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ゴボウのつぶやき

夏の夜空の物語
2010年7月24日
 今月、文月の満月は明後日。今日の月明かりは煌々と既に満月模様であり、夏の星たちもその輝きを潜めてしまっています。夏の夜空には物語があり、夢が膨らみます。

 山歩きを始めてから日の出や日の入りの時刻、月の満ち欠け、また星座や星の名に興味を持ちました。

 期待に違わず、私には生まれて初めて見るほどの、色鮮やかで奥深い彩りの紅葉が麓から頂に向かって、広がっていました。柔らかな柿色の陽射しの中、ただただ凄いと思える織りなす錦を楽しみました。辺りが暮れなずみ、月の明るさが影を作るようになっているのに、まだ尾根の中腹にいる自分に気付いたとき、恐怖に似た焦りが堰を切り、不安に慌てました。あの頃は日帰りの山行きで携行ランプなど持ち歩くことはありませんでしたから、地図も見ることが出来ません。日はとっぷりと暮れて、月明かりだけを頼りに歩きました。遠く、小さく麓の人家の明かりを見つけることが出来たときに安堵した思い出は、今でも恐怖を伴って蘇ります。丹沢の紅葉は絶景でした。

 星空は山の醍醐味です。涸沢カールに張られた色とりどりのテントに灯が点る頃、星は瞬き始めます。はくちょう座を見つけると、織姫、彦星を探します。夏の大三角形を手で夜空になぞります。天の川が流れています。さそり座の尻尾は天の川の中にあると教えられました。星が降り注ぐという表現がそのままの山小屋のテラスで星を探す楽しみを覚えました。そして、そのときにはウイスキーとチーズが似合うようにも思います。海抜3,000メートルで眺める夜空は、時空を越えた壮大なロマンを掻き立ててくれながら、自分に向き合う小世界を見つめさせてくれます。

 この度、星のふるさと館(上越市清里区)で長年、観望会の指導をしてくださった先生方が「星空ガイドブック」を編集、発刊されました。早速届けていただいた冊子は、私が期待し、是非このような案内書をと願っていたものであり、大感激しています。
 世代を問わず、多くの皆さんがこの冊子を手に、天の川の流れる夏の夜空を、またオリオン煌めく冬の夜空を見上げるそんな時間をつくられることを願っています。

 かつて、渋谷駅前に映画館とプラネタリウムがありました。また、紅茶専門の大きな喫茶店もありました。貧乏学生でありながらアルバイトをすることもなく、時間が出来ると、その日の気分で、いずれにもよく出掛けました。慣れない都会で、一人の時間を過ごすには格好の場所でした。それは、いずれも新しい体験のできることが新鮮に思えたからでしょう。映画のシーンは自ら経験せずして、外国での生活などを疑似体験できます。また、星空は夢や不思議を掻き立ててくれます。一杯の紅茶は文庫本の友です。
 歳月は街を変えてしまいました。今はあの名画も、あの星も、あの街では見ることは出来ないと聞きます。

 我が家では、ノウゼンカズラの花が満開です。乱れるように花をつけ、夏の暑さを跳ね返すような咲きぶりです。また、追いかけるように、百日紅(サルスベリ)も花を付け始めました。暑さをものともせず、伸びやかなこの花たちの潔いまでの鮮やかさは夏に似合うと思っています。

ノウゼンカズラ 百日紅
ノウゼンカズラ 百日紅



夏、到来
2010年7月23日
 梅雨が明けると待っていたかのように、大きな雲を抱いた青空が広がり、上越後の本格的な夏がやってきました。暦が教えてくれる季節の移ろいではなく、わくわくし、何かに期待したくなる夏を、この暑さの中、輝きと照り返す陽射しに、また涼風と潮騒に、そして街の飾りのあれこれに感じることができます。襖を簾に代えるだけの我が家の夏座敷の用意は父の仕事です。
 心待ちにしていた大好きな時です。

 白抜きの氷ひと文字の四角い旗が揺れる坂道の小さな食堂はもうありません。また、夕陽が遠く水平線に沈むときは「ジュウと音がするから」と、冗談を真顔で語ってくれた優しかった小母さんも今はもういません。少なからず、私の夏の記憶は時を経ると共に寂しさを呼び起こしますが、その寂しさが頑張りに繋がっているのも事実であり、不思議です。

 また、人との出会い、別れ、人と人との関わりの大切さ、そのあるべき形を「愛」「仁」「慈悲」これらの同義語で教え、諭してくれた住職に出会ったのも、夏です。

 小学校4年生まで泳げなかった私ですが、夏休みになると、毎日、友達に海へ泳ぎに行こうと誘われます。海までは家から遠くありません。松林を抜けるとすっぱい、すっぱい実をつけるグミ畑が広がり、砂山の向こうには海が見えます。町内会の皆さんが建ててくれた、よしずで囲っただけの急ごしらえの浜小屋で着替え、海に走り出します。渚までの熱く焼けた砂浜は子どもにとって余りの距離です。探し当てた板切れを投げ、そこまで走り板の上で足裏の熱さを堪えます。また、投げてそこまで・・・。渚は焼けた足裏をくすぐるように冷やしてくれます。

 「泳ぐことは水に慣れることだよ。目を開けて潜ってみて」「さあ、やってみて」と私に泳ぎを教えてくれた、あの時の叔父の真剣な姿は私の夏の大切な記憶のひとつです。志願し、海軍兵として終戦を迎えた実直で物静かな叔父。明後日(25日)がちょうど49日の法要です。今年の夏も別れのときで始まりました。

 今日(23日)、上越まつりが始まりました。高田地区の大民踊流しで、上越まつりの気分は一気に高まります。今年は39団体、1,800名もの踊り手が本町通り(三、四、五丁目)を埋め尽くしました。息のあった企業グループの皆さんは勢いがあります。子どもさんや学生さん、町内会など多くの市民の皆さんの踊りの列もまつりの広がりを感じさせてくれます。外国からの皆さんも国際化など意識することなく、市民の皆さんと同じ輪の中で高田の夏を楽しんでいます。三味線の音や尺八の響きに、また歌い手の流れるような節回しに、地域の人々が育んできた伝統や、深い文化を感じます。大民踊流しは、参加された全ての皆さんの気持ちがひとつになった、夏の宵の熱気でもありました。

 今回、100名もの市の職員が参加しました。踊りで噴き出した汗は、ビールで補給します。踊りが終わり、1時間足らずでしたが、賑やかで楽しい、また和やかな打ち上げの会となりました。課長の強引な?勧めで参加したと、口々に冗談めかして言いながらも、その職員の皆さんが心から踊りを、また祭り気分を楽しんでいたと感じました。更に、もっと楽しもうと踊りに誘ってくれた課長中心の2次会を計画していて、辺りかまわず周りにいる他の部課の職員に声をかけているのをみて、人が出会い、関わり合うことの出来る「祭り」の凄さを実感しました。そして、希薄になったといわれる人と人、人と地域との関係性の再構築の思いを「祭り」に馳せていました。

 「わっしょい、よやさ。わっしょい、よやさ。」祭りはいつだって終わると思っていますが、今日(23日)だけは、いつまでも、いつまでも続いて欲しいと願いました。

 朝顔は弦を巻きつけながら、日々伸びています。でも、花の咲く気配は未だありません。

朝顔
朝顔



会いに行く日は決めているのです
2010年7月14日
 世界を熱狂の渦に巻き込んだ、サッカーワールドカップはスペインの優勝で幕を閉じました。ニュースは同じ国の経済困窮に抗議するデモ行進と100万人もの人々が参加した優勝パレードを報じていました。多様性と関係性を思うと複雑系?です。

 一月以上にわたったサッカーの祭典の終わりは、既に4年後に向けたスタートでもあるようです。極めた技と鍛え上げた身体、そして無駄のない動き、勇気ある防御、戦略と戦術の競いは美しくさえあり、芸術的でもありました。
 寝不足のときの不機嫌さ、気持ちの焦りが残らなかったことが不思議なのですが、それは全てのチームのそれぞれの個性的な素晴らしさに魅了され、全てのチームのサポーターになってしまっていたからのように思います。でも、祭りは終わりました。いつだって、祭りは終わります。

 友人の昭ちゃんが入院したと聞いて驚きました。その日の朝、「獲れたての魚を味噌漬けにしたから持ってきたよ」と昭ちゃんが来てくれたのですから。
 教えてくれた仲間も何がなんだか分からないまま連絡をしてくれたようですが、病院の談話室で昭ちゃんご夫婦が二人で病衣を着て、笑顔で仲良く話している姿を遠くから見つけたときは、もっと分からなくなりました。
 果たして、昭ちゃんが40年ほども連れ添ってきた大切な人に、自らの腎臓を提供することを決め、移植手術のために入院したことを知りました。

 「俺さ、母ちゃんと二人して40年間、働き詰めだったし、母ちゃん頑張ってくれたんだわ。今、こうやってあるのも母ちゃんが居てくれたからなんだわ。今まで、なあんも母ちゃんにしてやれるものなかったし、俺が出来ること考えたらさ」と。傍で母ちゃんは「感謝しているんです。でも、お父さんの具合が悪くなったら申し訳ないと思って心配ですよ」と。

 昭ちゃんは気持ちを落ち着けて、サッカーを見ることはなかったでしょう。また、プロ野球も、ゴルフ中継も・・・新聞だって文字を追うだけであったかも・・・いや、そんなことはないか?何でもきちんとしている昭ちゃんだから。選挙だって済ませたと言っていたから・・・。
 心配や不安はきっとあるに決まっているのに、二人は明るい。
 「こんなに二人きりでいるのは、結婚してから初めてなんだわ」と言って照れ笑いしている昭ちゃん。傍でやはり照れているやわらかな笑顔。

 昭ちゃんは昔から優しくて、心の強い男でした。そして、今も全く変わらず、とても優しく、とても心の強い男だと思います。私とは小学校も中学校も同じクラスで一緒だった昭ちゃん。そんな昭ちゃんを何か誇っている自分に気づくとき、改めて昭ちゃんはいい奴だと思います。
 今日、8時過ぎには手術室に向かう昭ちゃん。お二人には遠くからですが、声をかけ続けます。手術の時間を気に掛けながら、私は何度も何度も時計を見ることでしょう。その度に秘かに声をかけ続けます。そして、「おめでとう。良かったね」と、会いに行く日はもう決めているのです。

 千日紅にひとつ、ふたつ、みっつと蕾が見え、背丈も大きく伸びてきました。白、紫、オレンジと・・・。種蒔から芽が出るまで、その成長の遅さを心配しましたが、手を掛け、愛しんだ甲斐がありました。秋まで楽しめるこの花を随分と気に入っています。派手さのない、どこにでもあるそんな花ですが・・・。



夏祭り近し。
2010年7月1日
 西の空がいつまでも明るい初夏の宵。その明るさの残るまちの中から、鉦(かね)や笛の音、太鼓のリズムが聞こえます。祇園祭、直江津祭りの近いことを知ります。
 昔ながらの家並みが続くあちこちの町内で、子どもたちがお囃子の手ほどきを受けています。直江津人(びと)が受け継いできた地域の文化、地域の人々の心を繋いでいる光景です。この大人たちによる子どもたちへの手ほどきは、祭りの前日まで続きます。

 祭りの舞台が直江津に移る日、お神輿は御座舟に乗り、高田(稲田)から直江津に帰ります。川を下る御座船が直江津橋を潜る頃には佳境を迎える大花火大会。浴衣姿の粋な若者たちが、歓声を上げながら夜空の大輪の花を一斉に見上げます。直江津祭り、夏祭り。

 学生の頃、私は夏休みの帰省を、いつも直江津の祇園祭に合わせていました。帰ると、母は毎年、桐下駄を買っておいてくれます。ですから、2か月近い夏休みを過ごす履物はその桐下駄だけです。汽車に乗り出掛けるにも、またでこぼこで段差の多い直江津の雁木を行くときにも、カタンカタンと軽い音を立てて歩きます。なぜか、夏のあの街には下駄が似合いだと信じていました。

 そして、紙吹雪といなせな若い衆の汗がほとばしる勇壮な御餞米奉納で夏祭りは終わります。
 下駄の歯が外側に減る歩き癖のある私は、毎年、母に同じことを言われたのを思い出します。
 「歩き方が悪いんだね。私と同じで外側が減るんだね」と。また「下駄が減ってきたから夏休みもそろそろ終わりだね。東京へいつ帰るんだね。」と。

 繋ぐことの大切さ、また繋ぎ続けるに相応しい文化と、それを培い、育んできた人の心を直江津祭りに見ることができます。今日は下弦の月の宵。年配者が、若者が、子どもたちが鉦を打ち、笛を吹き、太鼓を敲き(たたき)祭りの心を繋げています。祭りを心待ちにし、心から楽しむために、この町内も、あの町内も・・・。夏祭りを待つ、今このときの景色も大好きです。

 遠く暑い夏の日、あの日も祭囃子が聞こえていました。この夏祭りの頃になると、水源地?から見下ろした直江津の街の景色をよく思い出すのです。「直江津の街はいいなあ、この街に帰って来る」そう思いながら見た景色なのですが、それはどこから見たものなのか、またどこから歩き、登ったものかなど、全く覚えていないのです。そんな水源地?はあったのでしょうか。でも、確かに海が見えました。米山も正面に美しい形のままありました。
 高校の卒業アルバムの巻頭の写真は、直江津の街を遠くながめるものだったような気がするので、それをそのように思っているのかとも考えるのですが、夏祭りに繋がる私にとってもう一つの忘れることのない景色なのです。

 祭りはそれぞれの人の心に、多くの懐かしさと大切な景色を留めてくれます。今年の祭りでも私たちの記憶の新しいページに、たくさんの思い出と忘れ得ないよい景色を描き留めたいものです。短かい夏、直江津祭り、夏祭り近し。

 梅雨空に朝顔が弦を伸ばしています。私が植えてから半月以上も後に父が植えた種の成長には目を見張るものがあります。勢いがあります。市の環境保全課の皆さんにお願いし、貰い受けた朝顔の種です。
 夏祭りの朝、どれほどの花をつけるでしょうか?



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