梅雨が明けると待っていたかのように、大きな雲を抱いた青空が広がり、上越後の本格的な夏がやってきました。暦が教えてくれる季節の移ろいではなく、わくわくし、何かに期待したくなる夏を、この暑さの中、輝きと照り返す陽射しに、また涼風と潮騒に、そして街の飾りのあれこれに感じることができます。襖を簾に代えるだけの我が家の夏座敷の用意は父の仕事です。
心待ちにしていた大好きな時です。
白抜きの氷ひと文字の四角い旗が揺れる坂道の小さな食堂はもうありません。また、夕陽が遠く水平線に沈むときは「ジュウと音がするから」と、冗談を真顔で語ってくれた優しかった小母さんも今はもういません。少なからず、私の夏の記憶は時を経ると共に寂しさを呼び起こしますが、その寂しさが頑張りに繋がっているのも事実であり、不思議です。
また、人との出会い、別れ、人と人との関わりの大切さ、そのあるべき形を「愛」「仁」「慈悲」これらの同義語で教え、諭してくれた住職に出会ったのも、夏です。
小学校4年生まで泳げなかった私ですが、夏休みになると、毎日、友達に海へ泳ぎに行こうと誘われます。海までは家から遠くありません。松林を抜けるとすっぱい、すっぱい実をつけるグミ畑が広がり、砂山の向こうには海が見えます。町内会の皆さんが建ててくれた、よしずで囲っただけの急ごしらえの浜小屋で着替え、海に走り出します。渚までの熱く焼けた砂浜は子どもにとって余りの距離です。探し当てた板切れを投げ、そこまで走り板の上で足裏の熱さを堪えます。また、投げてそこまで・・・。渚は焼けた足裏をくすぐるように冷やしてくれます。
「泳ぐことは水に慣れることだよ。目を開けて潜ってみて」「さあ、やってみて」と私に泳ぎを教えてくれた、あの時の叔父の真剣な姿は私の夏の大切な記憶のひとつです。志願し、海軍兵として終戦を迎えた実直で物静かな叔父。明後日(25日)がちょうど49日の法要です。今年の夏も別れのときで始まりました。
今日(23日)、上越まつりが始まりました。高田地区の大民踊流しで、上越まつりの気分は一気に高まります。今年は39団体、1,800名もの踊り手が本町通り(三、四、五丁目)を埋め尽くしました。息のあった企業グループの皆さんは勢いがあります。子どもさんや学生さん、町内会など多くの市民の皆さんの踊りの列もまつりの広がりを感じさせてくれます。外国からの皆さんも国際化など意識することなく、市民の皆さんと同じ輪の中で高田の夏を楽しんでいます。三味線の音や尺八の響きに、また歌い手の流れるような節回しに、地域の人々が育んできた伝統や、深い文化を感じます。大民踊流しは、参加された全ての皆さんの気持ちがひとつになった、夏の宵の熱気でもありました。
今回、100名もの市の職員が参加しました。踊りで噴き出した汗は、ビールで補給します。踊りが終わり、1時間足らずでしたが、賑やかで楽しい、また和やかな打ち上げの会となりました。課長の強引な?勧めで参加したと、口々に冗談めかして言いながらも、その職員の皆さんが心から踊りを、また祭り気分を楽しんでいたと感じました。更に、もっと楽しもうと踊りに誘ってくれた課長中心の2次会を計画していて、辺りかまわず周りにいる他の部課の職員に声をかけているのをみて、人が出会い、関わり合うことの出来る「祭り」の凄さを実感しました。そして、希薄になったといわれる人と人、人と地域との関係性の再構築の思いを「祭り」に馳せていました。
「わっしょい、よやさ。わっしょい、よやさ。」祭りはいつだって終わると思っていますが、今日(23日)だけは、いつまでも、いつまでも続いて欲しいと願いました。
朝顔は弦を巻きつけながら、日々伸びています。でも、花の咲く気配は未だありません。

朝顔
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