スキー発祥の地を訪ねる

レルヒ少佐

上越市高田・金谷山は日本におけるスキー発祥の地として知られる。
その伝道師はオーストリア・ハンガリー帝国の将校であり、スキーの
名手であったテオドール・エドレル・フォン・レルヒ少佐。
明治44(1911)年1月12日、
「mettez les skis!(スキーを履きなさい)」のかけ声とともに始まった
スキーの歴史とレルヒ少佐の人柄に触れる旅。
雪深い2月の上越を訪ねた。

除雪作業は上越市民の冬の日課。
天候の合間をぬって一気に片付ける。
▲クリックすると拡大します

金谷山 - 歴史を刻む山

例年より雪の少ない冬だと思っていたのだが、上越行きを決めたその日から雪が降り始めた。当日も雪。上越に近づくにつれ、風は強くなり、高速道路の雪も増えていく。予定の到着時間を軽くオーバーし、上越市へたどり着いた。目指すはレルヒがはじめてスキー演習を行ったという金谷山。高田の中心街から車で約10分、少し急な坂道を進んでいくと、維新から明治にかけて己の志を遂げようと戦った藩士たちが眠る「戊辰戦争官軍墓地」が雪に埋もれているのが見えた。金谷山は上越市のレジャースポットであるとともに、動乱の歴史を刻み込んだ山でもあるのだ。雪の下から半分覗く墓石に、上越という土地が抱える歴史の一端を垣間見たような気がした。

スキーの伝来1

急勾配の坂を登り切ると、山頂には赤い三角屋根に白壁の「日本スキー発祥記念館」が見えてきた。向かって左手側に金谷山スキー場、右手に高田市街が広がり、振り返るとレルヒの銅像が灰色の空にそびえ立っている。このスキー発祥記念館はスキー発祥80周年を記念し平成4(1992)年に開館。レルヒの偉業を讃えるとともに、スキー用具の発展など、日本におけるスキーの歴史をたどることができる施設だ。入口から入ってすぐの場所に、レルヒが持込んだものと同じ、リリエンフェルト式のスキー板が展示されている。このスキーの特徴は、長大なノルウェー式と比べ全長が短く、締具が頑丈で山岳地の急斜面の滑降に適しているということ。そしてストックが一本の杖であることが挙げられる。今からおよそ100年前、この土地ではじめてスキーが伝えられた日。それは上越で暮らす人たちにとってどんな日であったのだろうか。

平成4年にスキー発祥80周年を記念して
建てられたスキー発祥記念館。
▲クリックすると拡大します
レルヒが高田を訪れた当時の写真。

▲クリックすると拡大します

スキーの伝来2

明治38(1905)年、日本は日露戦争にて勝利を収める。当時全世界にその権力を振るっていたロシアを小国・日本が倒した、これは快挙というより奇跡のような出来事であった。ロシアの圧制に苦しんでいたヨーロッパ諸国は日本の勝利をことのほか喜び、日本の軍隊を研究・視察するために多くの軍人が訪日した。レルヒもその一人として明治43(1910)年に来日を果たす。翌年レルヒが視察に訪れたのが、この上越高田の地であり、長岡外史が率いる陸軍13師団であった。レルヒはスキーの教師として派遣されたのではなかったが、明治35(1902)年に大勢の犠牲者が出た八甲田山での行軍の教訓もあり、長岡外史はレルヒがスキーの名手であることを知ると、レルヒにスキーの指導を働きかけた節があったそうだ。

スキーの伝来3

レルヒは自費でスキーを10台作り、それを持参。そして明治44(1911)年1月12日、歩兵第58連隊営庭において、14名のスキー研究員を対象にスキーの指導が行われた。これが日本におけるスキーのはじまりである。長岡外史はスキー技術を軍の専有とせず、民間にも門戸を開いたため、わずか1カ月後には日本最初のスキークラブ「高田スキー倶楽部」が発足。多くの人々に伝播していった。スキー発祥記念館には袴に外套を着込み、スキーを楽しむ将校婦人の写真が展示されている。男女、官民の差なく、誰もがスキーを楽しんだ当時の高田の様子に思いを馳せると、なんとも微笑ましい気分になった。

レルヒが描いたスキーの滑り方に関する水墨画。

▲クリックすると拡大します


当時の姿を再現する一本杖スキー滑走。
▲クリックすると拡大します

レルヒ祭 - 伝統を受け継ぐ、伝える

上越市ではレルヒの功績を讃え、スキー発祥を記念し毎年2月に「レルヒ祭」を開催している。会場の金谷山スキー場では当時のの様子を再現した一本杖スキーの実演や小学生の金谷山太鼓の披露などが行われ、周りにはあたたかい食べ物の屋台が軒を連ねる。一本杖スキーの実演では当時の衣装を身にまとった男女が、一本杖を巧みに操り滑り降りてくる。毎年、絶えることなく受け継がれていくレルヒのスキー術。レルヒが官民の境なく、多くの人々にスキー術を伝えたことが現在まで受け継がれているのだ。誰もがスキーを楽しむことができる現在において、レルヒの功績は偉大であると改めて感じる一日である。



旧師団長官舎 - 長岡外史設計の洋館

金谷山を後にして高田市内へと戻る。本町の商店街を小路に入り、細い道をしばらく進むと、レンガと石造りの門構えが見えてくる。レルヒとともにスキーを広めた人物として知られる長岡外史の住まい、旧師団長官舎である。人が通れる分だけ雪除けされた前庭を進み、木造の洋館に足を踏み入れた。外観は洋館そのものだが、2階部分は和室になっている。明治43(1910)年、外史のヨーロッパでの生活経験を活かし設計されたこの建物は、明治期の貴重な洋風建築物として現在地に移築・復原されたものだ。スキー発祥記念館にはこの官舎でレルヒと一緒に写真に納まる外史の姿が残っている。レルヒと外史がこの中でスキーについて語り合ったこともあったのかも知れない。そう思うと感慨深い気持ちになった。

雪が積もった旧師団長官舎。

▲クリックすると拡大します
大正元(1912)年、レルヒは惜しまれながらも高田を去り、北海道視察の後、帰国し、昭和20(1945)年に77才でこの世を去る。だがそれからも娘であるヘラ・ホリヤーも高田を訪れるなど、交流は続いている。昭和36(1961)年にはスキー発祥50年を記念してレルヒ像が建てられ、昭和56(1981)年にはアルペンスキー発祥の地・リリエンフェルトと上越市は姉妹都市となった。 現在もスキーを通じて多くの人たちが出会い、冬という季節を楽しめるようになったことを考えると、レルヒの功績ははかり知れない。「mettez les skis!」の第一声のもと広まっていったスキーも、平成23(2011)年には100年目という節目を迎えようとしている。
マップ

Copyright © Joetsu City. All rights reserved.