この五輪塔は、総高232センチで、花崗岩でできており、江戸時代中期の制作と考えられています。
榊原家第8代当主榊原政岑の追善供養の五輪塔で、上越市内に現存する唯一の近世大名の供養塔です。正面に種子(仏の象徴として書き表す梵字)がみとめられ、地輪に「寛保三癸亥天」、「二月十(有か)七日」、「厭誉離憶 善教院殿 栄欣大居士」と刻まれています。また、附指定の灯籠は福井県産の笏谷石製で、「寛延二己巳年二月十七日」と刻まれています。政岑は、寛保元年(1741年)、隠居謹慎を命ぜられて姫路から高田へ所替えをしますが、寛保3年(1743年)に急逝しました。灯籠の刻文から七回忌にあたる寛延2年(1749年)に至ってようやく墓が行われたと考えられています。