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木造善導大師立像

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印刷用ページを表示する 掲載日:2021年3月9日更新

木造 善導大師立像(画像)
合掌し、空を仰ぐ善導大師像。目は水晶をはめ込む玉眼となっている。

  • 名称:木造善導大師立像
  • (名称ふりがな)もくぞうぜんどうだいしりゅうぞう
  • 指定:国指定文化財
  • 指定年月日:平成23年6月27日
  • 種別:彫刻
  • 地域:合併前上越市(高田区)
  • 所在地:上越市寺町2-5-5
  • 所有者等:善導寺

微証・伝来

 善導は中国浄土教の大成者で、後の法然(浄土宗の開祖)や親鸞(浄土真宗の開祖)に大きな影響を与えた人物です。

 本像は像高126.9センチメートル、檜材の寄木造りで、目は水晶を入れる玉眼(ぎょくがん)という技法が用いられています。
 容貌の写実的な表現や、衣文(えもん)などから鎌倉時代後期に制作されたものと推定されています。表面の彩色は剥落し、現在はその一部に残るのみです。
 蓮華座の上に直立して空を仰ぎ、口をやや開き胸前で合掌する姿をしていますが、これは、善導が極楽浄土を仰ぎ見ながら「南無阿弥陀仏」を唱えている姿で、善導の思想をそのまま表現したものといえます。
 室町時代には、後奈良天皇が拝謁され、江戸時代には徳川綱吉の母 桂昌院も本像を信仰し、供養料300両と50石を寄進したと伝えられており、古くから著名な彫像です。

 本像を本尊とする善導寺は文明7年(1475年)、蓮開(れんかい)によって、直江津の西浜に創設され、はじめは光明寺といいましたが、後に蓮開が夢のお告げにより、善導浜の捨て小舟の中から善導大師像を発見し、これを本尊としたため善導寺に改めたといわれています。
 その後、高田開府にともない現在の場所へ移転しました。

 木造善導大師立像は、昭和52年3月29日に上越市の文化財、平成18年3月28日に新潟県の文化財に指定され、平成23年6月27日に国の文化財に指定されました。

このページに関するお問い合わせ先

上越市

〒943-8601 新潟県上越市木田1-1-3電話:025-526-5111Fax:025-526-6111

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