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レルヒ祭

印刷用ページを表示する 掲載日:2016年4月20日更新

レルヒ祭とは

 明治44年(1911年)1月12日、日本に初めてスキー術を伝えた、当時のオーストリア・ハンガリー帝国の軍人テオドール・エドラー・フォン・レルヒ少佐の功績を称えて開催される上越の冬の一大イベントです。

開催日

2月上旬

会場

 金谷山スキー場、高田本町商店街 など

主なイベント

 レルヒミュージックフェスティバル

さまざまなジャンルのアーティストがレルヒ祭に集結。ステージ上の圧巻なパフォーマンスをお楽しみください。

レルヒ屋台村 じょうえつの逸品博

軽食からお酒まで、地元グルメが大集合。(商品はすべて、なくなり次第終了です)

ミュージックスターマイン、マイ・メモリアル花火

ゲレンデに幻想的な空間が広がります。大迫力のミュージックスターマインをお楽しみください。


その他、レルヒキャンドルロード、あかりのパレードたいまつ滑降 など

日本に初めてスキーを伝えたテオドール・フォン・レルヒ

レルヒ少佐の肖像写真(小熊和助 氏 撮影)オーストリア・ハンガリー帝国(当時)のテオドール・フォン・レルヒ少佐は、アルペンスキーの創始者マチィアス・ツダルスキーに学んだアルペンスキーの名手でした。明治43年(1910年)、日露戦争に勝利した日本陸軍の研究のため来日したレルヒは、翌44年(1911年)、陸軍第13師団視察のため、上越市高田を訪れました。

当時の日本陸軍は、明治35年(1902年)の八甲田山事件などもあり、有効な雪中歩行具の必要性を考えており、スキーに関心を持っていた長岡外史・第13師団長の願いにより、明治44年(1911年)1月12日、上越市において日本の軍人に初めてスキーの指導が行われました。
このときのレルヒの第一声「メテレ・スキー」(スキーをはきなさい)が、日本におけるスキーの始まりでした。
つづいて民間にも指導が行われ、早くも2月には「高田スキー倶楽部」が発足するなど、レルヒのスキー術は瞬く間に市民へ広がっていきました。

その後、全国各地にスキー術が普及したことから、財団法人全日本スキー連盟などスキー関係団体は、1月12日を日本の「スキーの日」と正式決定しました。

現在、上越市高田の金谷山には「大日本スキー発祥之地」記念碑、レルヒ少佐の大銅像、日本スキー発祥記念館が建っています。
これは、日本のスキーが上越市高田においてレルヒ少佐指導のもと、軍民協働による組織的・体系的な取り組みによって多くの技術習得者を輩出し、全国普及に貢献した所であるとみとめられたからです。

大日本スキー発祥之地 記念碑(写真)レルヒ少佐の大銅像(写真)日本スキー発祥記念館(外観写真)

レルヒが伝えたスキー術 一本杖スキー

一本杖スキーの様子 レルヒ少佐が伝えたスキー術は現代のスキーとは少し違っています。
2本のストックではなく、竹製の長い杖を一本使います。
スキーの金具(ビンディング)は、踵(かかと)が固定されないタイプです。
もちろん、滑り方も違っています。一本杖の使い方にも特徴があります。
現代のアルペンスキーの源流となった技術を今に伝えています。

 

 

日本スキー発祥記念館

この記念館には、当時のスキーやレルヒ少佐に関する資料が展示されています。
オーストリア風記念館は、スキー発祥80周年を記念して、平成4年(1992年)4月にオープンしました。

日本スキー発祥記念館について

「大日本スキー発祥之地」の碑

日本スキー発祥20周年記念事業の1つとして、昭和4年(1929年)11月に完成し、除幕式は、レルヒ少佐が高田に着任した1月5日にとするために、その翌年に行われました。
高さは5メートルの花崗岩の大石碑の表面には、「大日本スキー発祥之地」と、高田スキー団長である川合直次・高田市長が筆をとり、発祥の由来は鶴見宜信・副団長が撰文しました。