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村山市長記者懇談会(平成26年6月)

印刷用ページを表示する 掲載日:2014年8月7日更新

開催日:平成26年6月30日(月曜日)


(市長)
 
梅雨に入っても雨が少なくて農作物が随分心配されましたが、ここにきて少しお湿りがありましたので、山手を含めて少しは助かるかなと思って安心したところであります。
 議会が終わって、来月すぐに開府400年という節目を迎えます。4日、5日、6日には400年祭がありますが、イベントを含めて皆さんに参加いただきながら祝っていただきたいと思っています。
 400年祭のイベントとして、8月10日には渡辺明 棋王、王将2冠をお招きして、子どもさんたちを中心にした将棋の大きなイベントを行います。渡辺2冠は日本の棋士の中では3本の指に入るトップレベルの方で、お父さんが三和区、お母さんが頸城区の出身です。縁が深い渡辺2冠に全国に発信してもらうとともに、庶民の楽しみである将棋に関連するイベントを400年祭の一環としてできればと思っています。
 それから開府400年祭を記念して作りました記念誌についてですが、掲載した古絵図の中に被差別部落の町名が入っていました。上越市はこれまでいわれなき差別、そのことによる人権侵害を大きな課題、テーマとして市民の皆さんと一緒に(あらゆる差別の解消に)取り組んできた中で、執筆者、実行委員会、そして我々行政が普段そのことを意識していながら、この冊子を作るときに少し思いが至らず、非常に残念で悔しい思いをしています。今回のことを契機にしっかりと取り組んでいければと思っています。
 それから、水族博物館の指定管理者が決まりました。横浜八景島という事業者で、水族館や動物園について豊富な経営ノウハウを持っているところに受けてもらうことになりました。現在の水族博物館については2年、新しい水族博物館については15年、都合17年の指定管理をお願いすることになります。水族博物館の整備が進んでいることを実感しており、今後、しっかりと市と指定管理者、設計者が連携を取りながら進めていくことができればと思っているところであります。
 議会が終わって、すぐ400年祭ということでバタバタしていますが、少し腰を落ち着けてといいますか、慌てないでしっかりとできればと思っているところであります。
 私からは以上です。

高田開府400年祭について

(記者)
 
開府400年について、ちょっと盛り上がりがどうなのかという声が少しあります。我社も当日は中継しようと思っていますのでぜひ盛り上げていきたいと思いますが、市長が今感じていらっしゃること、また、これから100年に向かって意気込み等を改めてお聞かせください。

(市長)
 
どなたがどういうふうにおっしゃったか。ご自分もその盛り上がりの中に入っていただいて、頑張ってもらえたらと思っています。400年という節目、100年100年の節目の中で、それぞれ歴史なり、文化なり、自分たちの歩いてきた道を振り返ることができると思っています。
 ちょうどこの400年という節目を、前回の300年はどうだったか、350年はどうだったかは別にしても、合併して10年、新幹線が来る、大きく時代が変わり人口が減少していく、そういう節目の中で、この400年をどうやって次のまちにいかしていったらいいかということになると思います。
 我々の世代がああだこうだというよりも、若い人たちに400年を一つの節目にしてまちを語ってもらったり、まちの将来を描いてもらったり、見つめてもらい、50年経った後に、その人達があの時に議論したり、あの学校にみんなで集まって開府400年でいろいろなことがあったよねと言いながら、あのときに描いた、見つめた未来が今だねと言ってもらえるような取り組みがあって、そのときには思い出として汗をかいてペットボトルを集めたとか、お城ができたときに皆で手をたたいたとか、花火がすごかったなどの客観的な事実は事実として抑えながら、そのときに自分たちが住んでいく、生きていく将来を一人一人がどう描いたか、どんな人と一緒になりたいとか父親や母親に長生きしてほしいとかいろいろなことを考えて、それぞれのまちがそれぞれの中に描かれて、共感したり一体感をもったりしながら大きなまちができていく、しっかりしたまちができていくと思っています。
 そういう思いの中で今回の400年を一緒に過ごしてもらい、その中でいろいろなことを考えながら前へ進んでもらえればありがたいと思っています。祭りが1日、2日盛り上がったとしても記憶が残るだけで、その記憶と同時にそのときに自分がどんなまちを描いたか、どんな人生を描いたか、一人一人がそういうことを描ければそれぞれが共感しながら一つの方向に進んでいける、これからの上越を作ってくれる人たちがそのことをしっかりと見つめてもらえるそんな機会になればと思っているところです。

関西圏における市のPRについて

(記者)
 
新幹線に関連して関西圏での上越のPRは今現在どのようなイメージで行われていますか。

(市長)
 
県の大阪事務所や新しい「じょんのび にいがた 食楽園」でのイベントを含めて、知名度の低い上越を売り込んでいくときに、上越が本当に理解されるかどうかということになりますから、謙信公なりこの地域を理解してもらうために一番わかりやすいものを中心に売り込んでいく、理解してもらい足を運んでみたいと思われる取り組みをしていきたいと思っています。これは個人個人の皆さんというよりも、エージェントを中心にお願いをすることになると思っています。この地域に来ていただくときに何があるかということになるわけで、旅をする人達の非日常を満足させるためのキーコンテンツがどれだけこの地域にあるかということを、我々が本当に自分のこととして考えてしっかりと売り込んでいく、一人一人がセールスマンになっていくということ。そして我々がこの地域に住んで本当に生き生きして過ごすことで、あの地域の人達は生き生きしているねといわれることがリピーターになってくれることに繋がるかもしれません。謙信公を見てもらったり、蓮を見てもらったり、桜を見てもらったとしても、それを一過性でなく、あそこに行くとなんかホッとするねとか、あそこに行って何もしなくてもボケッとしているといいね、何かあの雰囲気が好きだよねと言ってもらえるような地域の観光資源の掘り起こし、ブラッシュアップだけでなく今の資源をしっかりと見つめ直して売り込んでいくことも必要かと思っています。観光バスで10台、15台と来るような時代ではないと思っています。新幹線を使った小さな旅が、帰るときには気持ちの中で大きな旅になるような観光資源を我々が提案していく、これは一朝一夕にできないと思いますので、そういう取り組みを丁寧に、丁寧に関係する皆さんと一緒になってやっていく必要があると思っています。
 そのためにはやはり基本的には本物が無くてはダメ。食というものもあるだろうし、古い歴史・文化もあるでしょうけれども、そういうものを織り交ぜながらこの地域が持っているその価値をしっかりと、そしてまた着実に広げていく取り組みをしていきたいと思っています。
 新幹線が走ったことによって(観光客が)大きく増えたけれども、1年も経たないうちに訪れる人がいなくなったということが無いように、四季折々の本物が発信できればと思っています。いろいろな人達にその発信方法を工夫してもらいたいと思っています。そんな仕掛けを行政ができればと思います。

(配布資料について)
 
配布資料は10月19日、脇野田駅が新しい新幹線の駅の西側に移って営業を開始するというメッセージで、今日、この資料を私がご説明すると同じ時刻にJR東日本でも発表されることになっています。10月19日の前日はバスの運行に代わるなど新駅に移るための準備が少しあると思いますが、駅の東西の昇降口、それから昇降施設、それから自由通路も暫定的に共用を開始します。広場も少しオープンするような状況になっています。日が決まりましたので、地元の皆さんにも新しい駅が19日からオープンしますよというPRをこれからしていきたいと思っています。

脇野田駅の移転と新駅の暫定供用開始について

(記者)
 
脇野田駅を移設するにあたって名前を変えた方がいいのではないかという話は聞いていますか?

(市長)
 
JR東日本は、同じ「脇野田駅」とすることで最初から決まっていました。そして、トキめき鉄道がどうするかっていうことですが、今ある脇野田駅をそのままお使いになるということが前回発表されたかと。社長のインタビューか記者会見の中でそのまま使うのが一番いいでしょうというようなことをおっしゃっていたのを聞いたのですが、正式にどうなったかは確認していません。JR東日本は「脇野田駅」のまま使い、料金も同じとなっています。距離が変わらないということだと思います。

(記者)
 
トキめき鉄道が開業すると名称が変わると発表されています。開業したら上越妙高駅ですよね。

(市長)
 
すみません、開業したら新幹線の駅と同じ名前がいいということになっていますね、そうですね。

(記者)
 
旧脇野田駅の撤去作業の予定はどうなっていますか。

(市長)
 
駅が移った段階で、駅舎の取り壊し、線路の撤去作業は作業が一気に進むと思いますし、東の土地区画整理の用地を整理しなくてはいけませんので、換地をして家を建てられる方も出てくると思います。

(記者)
 
今の脇野田駅の土地を寄付した地主の顕彰碑を東口に移すという話があったと思いますが、10月19日までに移す予定ですか。

(市長)
 
それは新幹線駅の開業に併せながら作業すると思います。あそこにはポストもあって動かしたいという話もチラッと聞いています。設置場所は決まっていると思いますが、そういうものを含めて、駅の完成と同時に東口の広場を整備する段階で動いていくと思います。

「高田開府400年記念誌」等における古絵図掲載問題の対応について

(記者)
 
400年祭から人権問題について伺います。被差別部落の旧町名が記載された古絵図が記念誌に記載されていて、市議会一般質問でも解説が足りないといったところで指摘がありました。市長も議会答弁で、反省の上に立って今後取り組んでいきたいというお話しですが、一般質問の指摘を受けて今までどういった協議といいますか、取り組みをされてきましたか。

(市長)
 
差別を受けてこられている皆さんに、これまでの経緯と我々の反省をきちんとお伝えしました。お伝えする中で、このことを一つの大きな反省として、もう一度、本気、今までのものに負けないくらいの差別に対する意識を持ちたいという話をさせていただいて、団体からも、ぜひそういう方向で進んで欲しいという言葉をいただきました。
 その中では、ここに至った経緯、実行委員会に作成をお願いしたとは言え、2,000人の職員がいてもこのことに気づくことがなかったと言いますか、議論が出ることがなかったという反省から、幹部職員を対象に差別・人権に対する研修をやるということと、もう一つ、具体的な日取りや内容はこれからですが、400年祭を歴史の節目として人権差別に対するフォーラムを開催し、その中で我々は差別を嫌うということだけは、きちっと皆さんにお知らせするような取り組みをしていきたいと思います。これは、不断の取り組みが必要ですので、こういうフォーラムを実施することによってもう1度意識しながら、平常業務の中でもそういうものがいかされるような取り組みをしていきたいと思っているところであります。
 ご案内のように、全ての記念誌の中に解説文と至らなかったことについての差し込み(追録)を入れることにしました。今、販売を停止していますが、差し込みが終わったものから販売し、皆さんに求めていただけることになっています。

(記者)
 具体的に販売の再開はいつになりますか。

(市長)
 
7月1日からです。

(記者)
 
すでに購入された方に対しての対応はどう考えていますか。

(市長)
 
お買い求めになった書店にその旨を明記するほか、7月15日付の広報上越の中にそのことを明示し、買った書店に赴いていただければそのことをお話させていただき、解説文を差し込むことができるような対応をとりたいと思っております。

(記者)
 
今回の事態を受けて、今後、市としては人権問題には常に啓蒙を深めるということで、今回を一つの契機として取り組んでいきたいということでしょうか。

(市長)
 
その通りです。非常に申し訳なかったと思っていますので、言葉だけでなくてきちんとした対応をしたいと思っています。

脇野田駅の移転と新駅の暫定供用開始について

(記者)
 
脇野田駅の話に戻りますが、式典は当日10月19日に予定していますか?

(市長)
 
10月19日については我々は何かしなくてはいけないと思っていますが、具体的に駅をどこまで使えるか、ホームは使えないと思いますので、自由通路で開業をお祝いすることができればと思っています。その日も朝一番列車が走るわけですが、一番列車に間に合わせずに、10時か午前中くらいにお祝ができるように、今、担当が整理をしていると思います。

(記者)
 
8月5日の歓迎セレモニーはどうなりますか。

(市長)
 
8月5日にはW7系が初めて入線しますので、運輸機構にもお願いしながら、初入線をホームに入ってお祝いができればと思っています。具体的にどういう催事にするかは、今、連携会議が整理をしていると聞いています。

「高田開府400年記念誌」等における古絵図掲載問題の対応について

(記者)
 
人権問題で確認させてください。記念誌のお話に関連してガイドブックにも古絵図の掲載があって、それに対する対応も販売分に関しては解説文を差し込むという形でよろしいでしょうか?

(市長)
 
博物館が作ったガイドブックも同じです。

(記者)
 
公共施設、図書館、学校にも配布されていると思いますが、その対応はどうされますか?

(市長)
 
外に出ているものについては、全てそのフォローをすることになっています。

(記者)
 
現在閲覧ができない状態ですが、随時できるようになるということですか?

(市長)
 
はい、そうですね。

北越急行の今後の経営見通しについて

(記者)
 
先日、北越急行の社長が代わり、今後の経営見通しを発表しました。「はくたか」が無くなる前提で運賃収入が現在の10%以下になり、基本的に行政側に支援を求めていくというお話でした。30年間は持つという計算ですが、早めに手を打っていくということ。例えば固定資産税なのか。行政側に支援を求めていくとおっしゃっていましたが、その辺をどのようにお聞きですか。

(市長)
 
具体的に今100億円を超える剰余金を内部留保している会社が、30年間でそれが数千万円になってしまうという計画は計画としてありますが、行政に支援というのはどういうことなのか。具体的にどういう論理からそうなるのか。今100億円の内部留保がある会社に行政が負担をするという根拠は私もわかりませんし、市民の皆さんもなかなか理解ができないでしょう。計画の中で、30年後にはこの鉄道は皆さんの支援をもらわなければ立ちいかないので30年後にはどうしたい、20年後にはどうしたいとなれば、お願いしなくてはならないことが出てくるという意味ではないかと思っています。

(記者)
 
内部留保が減ることで利子も減るので基本的にどんどん収入が減っていく。最初の3年間は運賃を値上げせず、その間に交渉するという言い方をしています。

(市長)
 
そういうことだと思います。大きな袋詰めの中で考えるとそういう方向だということなのではないですか。社長も代わられたので、会社を預かった中で、将来を中長期的に見たときに30年後には厳しくなる。今運用している100億円の利息が減ってくるということを考えておられると思いますから、きちんと会社で議論をし、行政の支援が必要であればそのときの説明として出てくるのではないかと思います。

事務事業の見直しについて

(記者)
 
事務事業の見直しに着手されたと伺っております。2010年度にも実施されていますが、このタイミングで再度行われる狙いですとか、また前回との違いを教えていただけますか。

(市長)
 
前回も事務事業の見直しをやってもらったのですが、実際の現場でそのことをどうやって捉えたらいいか、各部局によって温度差も随分ありました。予算要求のときに見たのですが、真に必要なものと新しく求められているものがスクラップ&ビルドされていない部分も随分あったということで、今回、総合計画と財政計画を見直す機会に、もう一度本気になってみていこうということです。市民の皆さんが必要としている部分もあるでしょうし、少子高齢化の中で福祉はどうするか、子育てをどうするか、新しい事業の取り組みもどんどん出てきている中で、今までのものでいいのかという議論も片方にありましたので、もう一度実施することにしました。
 今回はシステムをつくって、係長、課長のヒアリングを通じて、具体的な事業に対して外から見た目ではこうだよという話をしながら、現場で携わっている職員が実はこれは必要なのだ、これは我慢してもいいけれどもこれは必要だ、新しいものがここに必要だという議論をしてもらっています。議論の中で不要不急のものは落ちていきますが、今までなかった新しいものが入ってくると思いますから、見直しというのは削るだけでなくプラスの部分も含めた見直しになると思っています。全体でどれだけの事業が残り、新しい事業がどれだけ入ってきて、どれだけのものがスクラップされたのかということが出てきて、その総体が予算の規模になると思います。予算規模が1,000億円を超えるのは上越市の体力としては非常に厳しい感じがしていますので、今回もう一度整理をしてみたいと思っています。作業も8月の中頃には、いいところへくるのではないかと思っています。

(記者)
 業を終えられて最終的には10月くらいに公表ということですか。

(市長)
 
財政計画を作る時期が10月ですので、合わせていければと思っています。今回、議会にも特別委員会で行政改革専門の特別委員会ができましたので、そういうところにも諮っていきながら発表になっていくと思っています。

行田市から贈られた蓮について

(記者)
 
春先に行田市からいただいた蓮「甲斐姫」ですが、今日、きれいに咲いたそうです。何らかの感想はありますか。

(市長)
 
今の土塁を発掘しているところに行って、この辺に行田市から預かったものがあると思いながら、見てくることを失念したのですが、咲きましたか?黄色とピンクのですよね。
 行田市の蓮もすごいということですが、行田市の蓮大使が上越の蓮を見て、行田の蓮も是非あそこに置いて欲しいということになり預かったのです。交流の一つの証として400年祭に花を添えてもらったと思っています。さっそく見てきます。

その他

(記者)
 社内の雑談で聞いたのですが、バイパスの岡原の交差点にいまだに(仮称)上越駅という看板が残っているらしいですが。

(市長)
 
確認して我々のものなら対応しなくてはいけないし、国道であれば高田河川国道事務所に話をさせてもらいます。多分、新しい道路ができて看板を付けていくので、今外すとわからなくなると思っているのかもしれませんね。

集団的自衛権について

(記者)
 
集団的自衛権が今大詰めになっていますが、自衛隊のあるまちとして市長は何かお考えがありますか。

(市長)
 外交や貿易は国の専権と言われる部分で私がとやかくいうこともないでしょうから、市長としての感想にはならないかもしれません。私は母親の父というか、じいさんを知らないのです。というのは、じいさんは戦争のために中国で亡くなっていますから。そう考えますと、戦争によって死というものを私自身が感じている部分と、12歳のときに父親がいなくなったおふくろ、生まれたときに中国から送られてきた名前をつけた一番下の叔父は76になりますが、父親の顔を知らない中で、私自身も可愛がって育てられたということからすると、戦争というものが小さいながらに身近にあったというのは間違いないのです。そういうことも考えながら1970年を過ぎたとき、安保の改定のときですが、憲法9条、65条、99条、13条、それから前文だとかいろいろな議論をする中で、学生がああやって社会を大きく動かしたという時代があったこともふり返れば、今そうした議論がされている実感がないことを私はすごく不思議に思っているのです。
 皆さんは、若いからそういう経験はないでしょうが、9条の交戦権がどうだとか、武力の行使はどうだとか、戦力や軍隊はどうだということで日本中の学生がワーワーと騒いだ思いからすると、集団的自衛権は認めないことになっていたものを今回閣議決定されるということで、我々の中に浸透していた憲法に対する一つの考え方が、ここ何か月かの間に大きく動いていくことについて、私自身は国民的な議論がないような感じが強くしています。
 それから新聞各社がアンケートをしていますが、〇か☓かということになると圧倒的に☓が多い、6割くらいが☓、本当に賛成する人は1割か2割しかいないということと、今決まっていくことの乖離を考えれば、国民的にどうやって整理をするのかということだと思います。〇か△か☓かというと真ん中に一番集まりますが、〇か☓かというと☓のほうがいっぱい集まるという、こういう構図になっているのはどこの新聞社のアンケートにもでているので、国民の中に、先ほどいったような私が若い時に感じたような自分の考えを言う感じが少し無いのだろうと。閣議決定した後はいろいろな法律の整備をしていくのでしょうが、それが国会でどう議論されるのか、具体的に派遣されるときには国会の事前了解はあって物事が進むのだと思うのですが、どうかと思っています。
 しかし、一方でここへきて国際的な安全保障の環境が非常に変わってきていることも確かで、40年前と比べるとどうかという議論も考えれば、自衛とか防衛とかに対する考え方も片方では必要なときになってきている。それが国際的に認められるか認められないかということだと思うのですね。
 我々は何も侵略されることがなかった。それは我々が平和憲法を持ったためだという気持ちもどこかにあるのですが、今の時代になってくるとやはり国際的にそうはいかないことになってくる部分もあります。一番仲の良い友達が誰かに殴られたらお前は助けないのかという話と同じ話かわかりませんが、そういうことに一つの例をとられるとそれは助けるという話になると思います。そこで幸せだとか安全だとか安心だとか権利だとかを守っていくというのは本当に難しいことだと思いますから、今の個別的自衛権と集団的自衛権が共有するように重なったところで、限定的だと言っている部分をどうやって国際的に認めてもらい、市民・国民もそのことなら当然だという議論になっていくものを、我々一人一人が感じられるような環境をどうやって作っていくのかということになると思っています。だから新聞の論調だって各社みんな違うと思いますよ。

(記者)
 
国民的議論がもうちょっとあった方がいいのではないかということですか。

(市長)
 
そういうものを議論する中で物事が決まっていくのが普通だと思う部分があります。

(記者)
 
憲法解釈の変更について市長はどのようにお考えですか。

(市長)
 
今の個別的自衛権の引っ張りだって憲法の解釈でしかないわけですよね。

(記者)
 
どうせやるなら憲法を改正したほうがいいっていう人と、憲法解釈自体がおかしいという人もいますが。

(市長)
 
与党の皆さんは、憲法の法理を100%守りながら解釈を変えるだけだということです。憲法9条の法理は全くそのままで動かしていないという話だと思います。しかし、個別的自衛権も結果的には憲法の解釈の中で整理されているわけです。

(記者)
 
解釈の変更で容認していくということに○か×かという話をしたと思うのですが、○か×かで言ったらどちらですか。

(市長)
 
個別的自衛権が憲法の解釈でなくて、物事を整理されたのであればそうなのでしょうけれども、集団的自衛権も個別的自衛権の外側にあるものとして、憲法の中で容認できるという法的な解釈ではないですか。ですから、改憲ではなく解釈でやるということですが、今までの30年、40年の議論の中でできないと言ってきたものをできるというためには、やはりいろいろな議論があるはずでしょうから、議論は尽くさなくてはいけないと思いますし、議論を尽くした段階で憲法を改正すべきだと思います。
 そうではなくて本来的に改正すべきだという議論であれば、その議論に行くと思っています。今の状況は、閣議決定では憲法9条の法理は変えないで100%そのまま残して解釈をするだけだということです。個別的自衛権が可能だということも当然、憲法の法理の中で決めてきたことを解釈してきたことだからという法理ですから、そういう法理を皆さんに説明したときにいろいろな議論が出てくると思います。出てきたときにはどういう手法がいいのか。今のような解釈ではなくて、憲法の改正が必要だという議論になれば、憲法の改正という方向に物事が進んでいく、その中で国民に訴えていくという考え方ではないでしょうか。時間がかかるとかかからないとかいう問題ではないと思いますが、今の場合、国が言っている論理からすると、法理を変えないで解釈を変えるということですから、前と同じことをやるのではないかと思います。
 そのことを先ほど言ったアンケートの中で〇か☓か問うと、ほとんどの人が☓だけれども、どういうことで☓なのか、どういうことだからどうなのだという議論をしていかないと、例えばある人はこんなことをやると、日本にテロがいっぱい来るという人もいるかもしれませんし、どこかから勝手に攻められてくるかもしれませんし、敵をいっぱい作るだけだという人もいるかもしれません。いやこれは抑止力になるのだという人もいるかもしれませんし、そういう議論があちこちにあるわけですから、どこかで皆さんに議論をしてもらいながらそれをまとめていく、それが解釈の変更になるのか、憲法の改正に行き着くのかということだと思っています。

(記者)
 
賛成か反対かと言われるとどちらともいえないということですか。

(市長)
 
新潟の市長さんははっきり違和感があるとはおっしゃったみたいですが、私はそこまで言うのは控えたいと思います。私の気持ちとしては、今進んでいる状況、特にアンケートが国民の真意だとすると、Noとした場合にどういうものもあるのか、そのことも語っていく必要があるかもしれないと思っています。

(記者)
 
このやり方を選挙ではなく閣議決定で決めていく、法案を出すわけでなく閣議決定で決めていくやり方に対しては賛成ですか。

(市長)
 
閣議のありようは全会一致で決めるということですから、内閣が国会に対して連帯責任の中で物事を決していくのですが、憲法だとか法律の解釈だとか政府方針を決めていく大事な要素ですから、政府の方針を決めるというのは、どこかで決めなくてはいけないわけですからそれは閣議になると思います。
 しかし、閣議で決めたものを現実に執行していくときには法律が必要なはずですから、法律は国会で議論されるので、閣議決定で国の方針は決まったけれども、その方針に対して執行するためのいろいろな法律が出てくると思います。いろいろなルートが出てくると思います。変更のルート、改正も含めて。そのときに大きな議論が出てくるのも一つのありようかもしれませんが、今までダメだったという憲法の解釈を変えるということは、今回の大きな一つの踏込ですから、閣議決定する前にそのことはどうしてなのだという議論が出ているのはわからないでもない。今まで30年間、40年間、そのことはしないのだ、ダメなのだ、解釈上できないのだと言ってきたことを今回変えるということですから、変えるなら変える、どうして変えるのかという議論を国民がわかりやすく理解するようなまとめ方というのがあるのかなと思っています。

(記者)
 
閣議決定というやり方について、政府の方針を決めるのであれば、それはありというお考えですか。

(市長)
 
それも政府の方針を決める一つの手法、方針を決めるのが閣議でしょうから。内閣として国会に責任を持つという方向付けをしたということなのでしょうね。その後、どうなるかという議論が国会でなされるということは国民で議論なされるということでしょうし、見ている国民にわかりやすく議論されれば、理解した国民一人一人が評価を発すると思っています。この社会の仕組み、政治の仕組みの中ではその方向が一つのありようですから仕方ないというか、国の方向を決めていくにはそういうことがあると思っています。