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村山市長記者懇談会(平成29年10月)

印刷用ページを表示する 掲載日:2017年10月23日更新

開催日:平成29年10月4日(水曜日)


(市長) おはようございます。また今日もお集まりいただきましてありがとうございました。議会も24日間という長丁場でしたけれども、28年度の決算認定含めてご承認いただきました。
 火災にあった庁舎の取り壊し、それから安全関係の予算も認めていただきました。また、仮称上越体操アリーナですが、この土地の購入についても議決いただいたということでありますし、センター病院に子どもの児童精神科が出来るということで、そのための条例の制定も承認いただきました。この議会については、いろいろな議論をしていただきましたけれども、我々が提案申し上げたものがすべて議決いただけたということで、ありがたかったと思いますし、議決いただいたものは、早速手をつけながらサービスにつなげていければと思っております。

 もう一つは、予期せぬというか、突然の9月28日の衆議院の解散総選挙というような状況がありました。予定していた市長選挙の日程は、市の選管が29日投票日、告示が22日となっていたのですが、この衆議院の関係で市長選の告示が15日となるので、1週間選挙が早くなることと、10日~14日までは衆議院選挙が優先されるので公選法上、自身の政治活動がなかなかできないという、後援会も含めてですけれども、そういう状況があるので1週間と5日間、選挙が短縮されるのかなと思っています。これも応援していただく皆さんの活動が少しそういう状況になりますけれども、いずれにしてもしっかりと訴えて対応していければと思っています。

 新幹線が走って3年経過します。あれだけ盛り上がった新幹線の開業を、ここで、ぜひ市民の皆さんから使っていただき、その新幹線の効用はどうかということを考えていく中で、交流人口を増やすというまちづくりの取り組みを出来ればと思っています。今月、「市民号」として、東京方面に、日帰りと1泊があります。また、年が明けて3月にも1回、京都の方に行くものもあります。新幹線が通ったことも含めて3年目になりますので忘れないで、まちづくりに資する公共交通の利用とか、そのことを市民に知ってもらいながら発信できればと考えております。

 私の方からは、非常にあわただしい状況になったのであまり整理してありませんけれども、議会を通して、感じたことをお話させていただきました。よろしくお願いいたします。

2期8年間の感想について

(記者)  任期最後の定例会を終えて所感と近況をお聞きしたいと思っていたのですが、今お話されましたので、改めて、市長としての2期8年間、議会の最後でもご挨拶されておられましたけれども、今思うことをお聞かせ願いたいと思うのですが。

(市長)  8年間は、やはり私にとっては非常に短かったという感じがしています。ものすごく物事が進まない時には長いと思ったこともありますけれども、今こうやって8年を過ぎてみますと、あっという間だったなと感じています。
 私が市長にさせてもらって、思いのほか、上越市の状況というのは厳しかったと思います。それは財政の事だけを言っているのではなくて、組織の肥大化だとか、一番大きかったのは、市民の皆さんの気持ちがやはり、同じ方向に向いていないということ、合併して5年に近くになる頃でしたけれども、合併してスタートしたときにいろいろな思いがあって、その合併の思いが地域からも、そしてまた行政の内部からも出てきたということがあって、そのことのまとめやしっかりと方向付けしていくという部分について、非常に難しいなと思ったのが最初でありました。 
 ですから、最初の4年間は、環境の整備という財政であったり、肥大化した行政組織のスリム化であったり、市民の声を聴きながらということで、キャッチボールトークを行ってきたのですが、地域、地域の思いと言いますか、おっしゃることというのは、まち全体のことではないということがあって、まち全体にそれを不偏にしていくための作業というのは非常に難しいものだとか、これが合併というものかとか、合併したときの歩み始めた時の状況なのかと思ったので、最初の4年間はそのことを地ならしするという環境づくりでした。そしてその先が見えてきたときに今やらなければという状況が私自身もわかっていましたので、そのときに出来るものに優先順位を付けて、一つ一つ作っていったところです。

 先ほどお話しませんでしたけれども、9月29日のオーレンプラザは、自分では本当に感慨深いものがあったと思います。8年前に約束した唯一の公共施設がオーレンプラザだったのですけれども、これが皆さんに訴えてから出来るまでに8年間かかりました。あの時の財政状況を考えたら、この厚生南会館の代替施設だけは、市民の皆さんが求めておられたので、それだけは苦労しても作りたいと思いました。手を付けてみると財政的なもの、市民のみんなの思いが一つの方向にならない、そういう状況でしたけれども8年間の中で出来たことが、本当に私にとっては感慨深いという思いと良かったという思いと、できてみてあのロケーションの中にある施設は、これから皆さんにかわいがってもらえると思いました。 
 9月30日、10月1日の土曜日・日曜日には、それぞれ1,000人を超える親子連れなどが施設に集まったということです。新しいものに皆さんが興味を持ったかもしれないですけれども、あれだけ議論してきた施設、子育て、公民館、それからホール、このコンプレックス、合築というのは非常に問題だと、反対意見が面々と書かれたパブリックコメントが項目で100くらいあったと思いますが、1項1項自分で手を入れてお返ししたような思い出もあります。その中であんなコンプレックスを作ってどうするんだと言われたのですが、今考えてみると非常に良かったなと改めて昨日思いました。いずれにしても市民にご協力いただいた8年間でした。

 オーレンプラザの開館について     

(記者)
 今お話に出ましたオーレンプラザが、構想から開館まで8年間かかったということで大変感慨深いという話でしたけれども、言葉が適当かどうかわかりませんが、今も様々な難関を突破して、と言うことだったと思いますが、中でも特にこれはというものは。

(市長)それはですね、私が見えなかったのは、例えば場所は、3つくらいの候補があったと思いますが、場所の議論をしているのか、施設の機能を議論しているのか、施設がいらないと言っているのか、その議論の焦点が、なかなか見つからなかったというのが、私にとっては非常に苦労したといいますか、悩みがあったところです。
 でもそのことを乗り越えてきて、また皆さんのお知恵をいただいて、ああいう施設が出来て、まだ始まったばかりですけれども、皆さんから使用していただき、あれだけ喜んでもらえるというものについては、本当に良かったなと思います。

 衆議院解散総選挙について

(記者)
 衆議院選ですけれども、市長からみてここを議論してほしいとか、こういったところに注目したい。あと、新党、希望の党とか、立憲民主党、こちらについての印象をお願いします。

(市長)国の解散理由みたいなものが、市民の中にどれだけ浸透しているかということ、国民の中にも市民の中にも非常にわかりにくいというか、私にとってはゲーム感覚みたいな感じもどこかでしています。政策の議論が、テーマは決まっていますけれども同じ主張をしている人たちもありますし、違う主張をしている人たちもいる。政党の皆さんがそれぞれの持っているその考え方が、我々にはなかなか伝わりづらいし、表面から出てくるものは政治という戦いなのかなと。政治の戦いというのは、何をもって戦うかということだと思うんですが、それが国民にしっかりと分かるようになるには、もう少し丁寧な、しっかりとした説明があるとわかりやすくなると思っています。
 ですから、新しい党が出来たり解党されたり、また解党しないで無所属であったり、だけど無所属であるという思いもまた違うという。解党した中に入っている人の思いも違う、新しい党が出来たとしても思いが一つにならない。その整理が、今まで同じ考えでやってこられたものが、この瞬間にいろいろな方向に向くわけですから、これは今までの政党の考え方というのはどうだったのか、というのもまた、議論されると私は外から見て思っています。マスコミ的な見方ではないかもしれませんが、今まであったものがいろいろな方向に向かっていく、別れていくというのが、この時期に起きたということについて説明がつくのか、つかないのかというのが、問われていると思います。

 いずれにしても我々が生活していくときには経済というものが大事だと思います。2019年10月にある消費税の使い道の話がテーマになっていますけれども、6年7年経過したときの福祉の財源というのも必要だと思います。片方では国際的に約束しているプライマリーバランスの黒字化というのも、経済の信用度としては大事なことだと思いますから、そういういろいろな議論をされて選択された、また争点として議論されていく選挙だと思います。次の時代のことを考えると本当に大切な選挙だと思いますが、大切な選挙の時に戦う環境をどうやって作るかという、その議論がすごくわかりにくいというのは感じています。これは私だけの感じかもしれませんが、そんな感じであります。

 消費税増税是非について

(記者)
 今消費税の話が出ましたけれども、消費税の増税の是非と増税分を教育の方に振り向ける、その是非についてはどのようにお考えでしょうか。

(市長)
 2019年10月に約束した国全体の消費税の使い方の方向性を変えることについて、信を問うことがテーマになっていると思いますが、1,000兆円を超える国債があるという状況を考えたときに、財政の難しさを国政の中では、案外横に置かれているのかなと思いますね。
 1,000兆円の1年間の利息は1パーセントで10兆円の利息がつくというような状況で、それが増えていく中でどうやっていくか、国ではあまり議論されないんです。市ではそのことがすごく気になっていて、利息の安いものに借り替えていく。それで年間で1,000万円の余裕が少し出て、それを積み上げてきた人間としてはすごく不安です。
 国全体でかかる福祉は、団塊の世代である我々が5年後10年後には確実に75歳以上、後期高齢者になってくるわけですから、その時の人口からしたら相当の景色が変わると思います。2025年の福祉、介護の在り様がものすごく様変わりすると思います。私は、人口減少とそれを思いながら、10年間、厳しく健康診断をやってきて、国民健康保険も介護保険給付費も前年に比べてマイナスになってきました。この10年間やってきたことがやっと医療のサイドから功を奏していると思いつつ、あの時、10年前に手を付けたことが今、効果が出てきているということです。また5年後くらいに医療費が圧倒的に増えると思います。
 その時の備えをどうするか。私は、公共交通だって変わってくると思いますし、そのときには本気で公共交通を準備しておかなければならない時期が、5年後7年後に必ず来ます。このことを考えて準備しないと、大変になると思っています。
 財政の中での占める割合は、公共交通、医療機関、福祉の施設など、相当環境が変わると思っています。老々介護が進み、我々の時代は子どもから見てもらえないんですよ。その子どもから見てもらうことが出来ないということは、在宅で見てもらえないということです。それを在宅で見るシステムを作っているわけですから、そのことをしっかりと作っていかなくては、大変なことになると思います。
 後10年経てば、二人で住んでいてどちらかが施設に入るような状況になれば、もう一方の人も施設に入らなければいけないという時代が必ず来ます。その施設があるかないかという議論をしているときにないんです。それに対して、特に中山間地を抱えていますから、足の確保とか、病院に連れていくとか、買い物だとか、行政が出来ることだけはしっかりとやらなくてはいけないと考えています。
 上越市の人口は19万人いて、人口密度が202人しかないまちです。このことを考えると、支え合うということがなかなか出来なくなるという不安があります。地域の中に人がいなくなり、お互いが支え合っていくという環境がもうなくなってしまうんです。だからコミュニティだとか、支え合いとか、私はずっと8年前から人と人、人と地域、地域と地域の関係性をもう1回濃密にして、子どもさんたちがそこに帰ってくるとか、近くに住むとか、その関係性をしっかり地域でつかまない限りは10年後20年後には大変なことになると思ったのが8年前です。
 あれからまだ8年しか経たないのに、人口が1,700人くらい減っています。社会減で減るのは政策で何かできるかもしれないけれども、自然減で減るのはいかんともしがたい。この自然減の1,000人をどうやって減らないようにするか、これは健康寿命を延ばすしかない、それが私自身の人口減少に対する緩和であり、連環を医療に求めたり、介護に求めたり、そして交流人口で社会減を減らすことだとして取り組んできたところです。

消費税増税分の使途について

(記者)
 消費税増税の使い道が問われていますが、一方で、上越市としては高齢者がどんどん増加していき、なお且つ人口減少が進む中で、高齢者福祉の需要がどんどん高まっていく。地域とのつながりを高めてく必要がある。一方で今回の増税は、未来への投資というのが全面に出されている。その中で、上越市特有の高齢者増加、福祉の需要拡大が今後その消費税増税、使い道が変わる中で財源確保できるかということに関して、市長は懸念を抱いているということですか。

(市長)今回は教育の話をされていまして、教育に投入するというのが基本的にあると思います。しかし、教育に投資するのも大事かもしれないけれども、子どもが少なくなって、首都圏との教育の格差、経済にリンクしていると思います。
 所得格差があって、年金を多くもらっている人たちは、今の新採用の人たちよりも年金の方が多いような実態もあります。だから、所得の格差があり、年齢層による意識の格差があると思っています。
 そういう中で、上越のことを考えますと、今年、小学校卒業する子どもが1人しかいないという小学校が、まだ上越市の中にあります。日本全体を考えたときの財をどういうところに有効に使うかというと、国全体で考えた時には教育でシフトするとか、福祉にシフトするということもあると思いますけれども、教育の格差をなくすというのは経済も含めてしっかりとしたことをやらなくてはいけないけれども、私は上越に大きく影響する福祉に対応するのが一番大事かなと思っています。教育も子育ても大事です、それはバランスよくやらなくてはいけないんだけれども、財政的に見たときに自治体に負担がかかってくることを考えてみると私は福祉が大きく関わってくると思っています。 

地方交付税について

(記者)
 関連で、影響は大きくなっているということをおっしゃいましたけれども、次の選挙の結果がどうあれ、自治体のトップとして次の政権にはどういうことを要求されますか。自前で稼ぐということも一つあると思うんですけれども、端的に言えば地方交付税をもっとくれよ、という話なんですけれども。

(市長)
 これは、私も今切り盛りをしていてわかるのが、合併という経過を経た自治体が内在する問題の中で、交付税の削減、一本算定という国の制度です。14市町村という合併をした上越市、全国で一番、最多の85億から90億円の減額になります。このことはもう6、7年前、合併するときにわかっていたんですね。
 継続的に持続的にこの自治体運営をするに一番大事なのは、自主財源と言われる税金もありますけれども、依存財源に整理されている交付税も大事だと思うと、財を確保しなければサービスが出来ません。まして、その財源の裏打ちがなければ、行政のジャッジはできない、意思決定できないというのがまさに鉄則です。予算がなければ、やりたくてもできないというのと同じですから、その財源をしっかりと確保することが一番大事だと思います。

 もう一つは、合併したことに対するまちの一体感というか、思いの一体感です。個性を大事にしながら1つのまちを作っていくので、そのまちの一体感をどうしても作らなければ、合併したことにもならないし、合併したときの思いを重ね合わせることはできないと思います。だからそういう思いを一つ一つ収斂していく、そのことがあればみんなで同じ方向を見ていけるかなと思いますので、お金の内容と気持ちを一つにするということは、事業を通じてでも、やっていかなくてはいけないと、やるべき事柄だと思います。

(記者)
 地方交付税を増額させるために、一自治体のトップとしてだけでは難しい面もあるかと思うんですけれども、どういう方向で国に訴えていこうと思いますか。

(市長)
 当時の総務省、自治省の課長さんや財政局長さんに話しましたけれども、まったく、歯牙にもかけられなかったですね。それを足しげく通い、話を聞いてもらうことをしました。全国で小さな村・町が合併したところも大変だということになって、結果的には国会議員の議員連盟を作ってもらって、合併後の団体を1団体として算定する「一本算定」と合併後10年間の特例措置として、旧市町村ごとに普通交付税を算定し、合算額を交付する「合併算定替」の乖離額に対して約70パーセントが復元するところに行きついたんです。ですが、上越市の場合、この全国の復元率が約70パーセントとされる中、約55パーセントと試算しており、財政計画で見込んだ復元額と約9億円程度の乖離が生じています。
 ですから、その中でやっていくとなると、予算に対する規模が1,100億円、合併して12年、13年経ってもまだ財政規模を含めてこれだけの予算を組んでいるんです。今年の予算の中で、公共事業は200億円です。ここへきてそんなに金を使って大丈夫かと言われるんですが、これは私たちの体質改善をするときにものすごく苦労した8年間だったと思うんです。その中で今、起債の残高が1,290億円あります。そのうちの920億円は、完全に国から入ってくるお金です。私どもが税金で返すのが370億円。ですからこの体質も変えたわけです。
 この体質を変えるのに職員にも随分厳しいことを言って、有利なものを使えと言って苦労したことによって、これだけ整理が出来たということです。そうして小さなものを2憶、3億円と足し込みながら今の状況に来ています。これからもそういうきめ細かなことに気を使いながら運営していく、本当にシビアな運営になると思っています。だからその辺のことをしっかりとやらなくてはいけないし、やらないと、上越市というのは底がそんなに深くないですから、ばたっと、というのも出てくるかなと思っています。
 財政の面と意識をする面、それから財務の体質を変えていくというこの作業で安定したものにしていくしかないと思っています。

(記者)
 今の関連ですけれども、自前で稼ぐというのはどういうのがありますか。

(市長)
 自前で稼ぐのは、この時代、右肩上がりの経済を大きく期待できない状況です。安定した中で日銀が、物価を2パーセントあげるだけでも、これだけかかってもあがらないわけです。ですから、経済というのは右肩あがりになりつつあるけれども期待するようにあがっていくものがありません。借金がいっぱいあれば、スーパーインフレになれば借金が棒引きになるという話は全然ないわけで、地道にやっていく。ましてや地域の産業というのは製造業、それも上越の場合はモノを作るより部品を作っているわけですから、付加価値そのものが全体には波及しないような製造業も多いです。大きな企業もありますけど、自前で稼ぐということになるとそんなに大きなものは、期待はできないわけです。だから、工業誘致しても労働力が無いということを考えれば、大きいものはないのです。
 やはりベンチャーの皆さんの新しい創業であるとか、それから農業や商業の中にある、新しい視点で物事をやっていく。農業も、稲作単作でやってきましたけれども、冬でも作れるような付加価値の高い園芸をやるとか。行政ではなくて、自分たちが頑張るという知恵と工夫をしながら、そこに財としてあがってくるというもので、まず、現場におられる皆さんが知恵と工夫の中で活動してもらう。そこの中に芽だしがあって、それが結果として上越の力になってくる。それが行政を運営していくときの力になると思っています。
 そういうものを考えると自前で稼ぐというのもある種、限界があるわけですけれども、それは市民の皆さんが暮らしの中で工夫して暮らしながら所得を確保されて、生活してもらうという環境をまず作っていくことが一番かなと思っています。

合併後のまちの一体感について

(記者)
 合併後のまちの一体感をどうしても作りたいということをおっしゃったんですけれども、今回の市長選で対抗馬の方が、特に13区に向けて地域自治区ごとの独自予算編成権の付与というものを打ち出しているんですけれども、その辺についてはまちの一体感という意味ではどういう所感をお持ちでしょうか。

(市長)
 地域の皆さんが自分たちのことを自分たちでやりたいという合併のときの意図、これがスタートしたときの思いだと思います。それは合併特例法の中で自治区を作ると。それは13区を主導で作りました。13区が埋没してしまう、合併上越市になってしまったときに自分たちの地域のものが埋没してしまうから、自分たちは自治区を作ってそこに協議会を作って自治区の中で自分たちのことをきちんと整理をしながら発言をし、そして、この上越市全体の中の施策に生かそうというのが自治区制度だったと思います。
 しかし、今、残念ながら、地域協議会に地域の課題を解決してもらったり、地域の小さなことでいいから、みんな元気が出るようにということで2億円を配分したのですけれども、今もう、地域協議会でそういうことをやることが困難な時代になってきています。これから地域の体力とか状況を見たときに、どれだけ地域の力が発揮できるかということになると思います。
 預かったお金を自分たちの知恵と工夫で使っていくという組織が今あるとすれば、地域協議会か、地域の皆さんの何かを作ってもらうんでしょうけれども、そういうものが具体的に出来るような状況があるとすれば、今、お金を地域に預ければ、地域が自活してそして、頑張れるという時代かということに、私は少し疑問なのであります。 

地元の国会議員との連携について

(記者)
 先ほどの交付税のところと関係するんですけれども、市長はこれまで地元の国会議員さんとどういう連携をされて、また地元の国会議員にどういう役割を期待されるのか教えてください。

(市長)
 国会議員の先生方が、一つは政権与党であるかないかというのはありますね。ビビッドにその政策がとれるかとれないか、お願いする部分と、ビビッドにその中枢なり財務省なりにそのいろいろな話、また厚生労働省・文部科学省、いろいろなところに話が聞けるかどうか、政権与党であるかないかによってその影響力がありますが、私はどんな政策も全て新潟県出身の国会議員には同じ要望をしていました。
 個別の政策の中で当面政権与党にお願いしなくてはいけないというか、実態がわかっておられるときは、個別にお話しをしてお願いした経緯もあります。

 消費税引き上げ後の経済対策について

(記者)経済の話でおうかがいしたいんですが、今回の総選挙は消費税の税率引き上げが争点となってくると思いますけれども、国との関係で交付金はもらえるかもしれませんが、消費税率が引きあがれば平成26年4月のように確実に市内経済が低迷するわけで、そういった場合に市はどのように施策を打たれるつもりなのか、また軽減税率であるとか、平成30年産米からの農政改革に影響すると思うんですけれども、どのように市は経済対策をすべきとお考えですか。現時点での印象をお教えください。

(市長)2019年7月に消費税を上げることは、もう国の法律に書かれているわけですから、それはそれでいくんだろうと思います。それが国会のことですから、そこで議論して法律を直すかもしれませんが、今のところその予定の中での話ですけれども、地域の経済に与える影響というのは当然、今までの何回かの消費税の増税のときにはありました。前回の8パーセントに上るときも同じように動いたわけですけれども、今回も経済に影響はまずあるだろうと。その影響は駆け込みによるものと、冷える部分と、そしてある程度時間が経ったときに平らになる部分があるんだろうと思っていますが、それはそれとして予定をしなくてはいけないと思います。
 今、所得格差が非常に激しい中で、そしてまた、非正規雇用と言われる人たちの所得の状況、子育てする状況の中で、市民の生活に影響が出てくるんだろうと思います。これだけやっても経済や物価がなかなかあがらないという状況も考え、地価が上越の場合は下がり続けているわけです。そういう経済全体、マクロで見た時の話と個別に見た時の、それぞれの業種業態によって違うのかなと思っています。
 ある企業の社長さんとお話したら、海外輸出をするので、この間1ドル120円くらいまで下がったときは良かったのですが、ここへ来ると112円くらいになったんでしょうかね。為替によって、我々作っている品物が直江津から海外に輸出されても、為替によっても大きく影響する、しないっていうんですから、業種業態によっていろいろな影響が出てくると思います。
 米の場合はまた違う、農政改革と個人の農家の皆さんの意識を変えなくてはならない時期だと思います。今までずっとやってきた人たちに農業経営をやることを求めるわけです。だから7,500円とった後、農協の資材がいったりきたりするから所得は減らないという論理がどれだけこの物価の影響の中で下がっていくのかというのが出てきます。でも、米が1俵1,000円上がれば7俵半とれば7,500円上がるわけだから、もとに戻るというのも出てくるだろうし、少し先、2019年からの話ですけれども、それまでにそういうシミュレーションだとか、軽減税率のようなものを導入するというのが前回のお話だったと思います。
 今回も、子育てに便利なものとか、必需品については下がるとか、その工夫をしながら、影響を抑えていきながら対応をしていくということになるだろうと思っていまして、それまではシミュレーションをしながら2年後に対応するというのが出てくると思っています。

経済政策について

(記者)
 ちなみに、弊社でちょっとしたアンケート調査をやってみたら、次の市長に期待する政策というのは経済というのが非常に多かったんですけれども、経済政策というのはある程度頭の中にいくつかプランを持たれているんでしょうか。

(市長)
 上越市が経済にコミットしながら、どれだけ経済に寄与するかというのは非常に難しい問題だと思います。それは工場誘致に補助金を出すとか、雇用がないから何とかするために、外から入ってくる人たちに何か手当てするとか、そのことはできると思いますけれども、先ほどいったように為替が動くとか、市内の企業が、為替が1円動いたときによってどれだけの影響を受けるとか、マーケットに任せている部分を行政が出来るところはありません。
 経済に期待したいという話は逆にいうと、所得を上げる。我々の上越地域というのは実体経済、物を作って、物を売って、そして所得を上げて賃金に跳ね返って、新しい設備投資をして、雇用が生まれると、こういう好循環になるんだと思いますが、どこかで止まるんです。どこかで止まった時に何をするかということですが、これを上越市だけでやっていけることではないと思っています。
 市民の皆さんがおっしゃっている経済に期待しているというのは、所得の向上、家族を守り、元気にやっていくためには、地域のまちの産業も元気になって所得が向上すると、そのことのための政策を上越市がどうやって打つのか。そのことにどうやって支援できるのかということが、アンケートの答えかなと思って、今日新聞見た時にはそう読みました。そう読んだのが間違っているかもしれませんけれども、上越市が出来ることは、ピンポイントみたいな政策になってきて、これだけ経済がグローバルになっていますから、その中では難しいと思います。所得を上げるという状況をどうやって作っていくかということは、私も大事なことだと思っていますので考えてみたいと思っています。

2期8年の評価について

(記者)
 2期8年の終わりということで、市長ご自身を振り返られて評価というのはしづらいと思いますが、点数を自分でつけたらいかがでしょうか。

(市長)
 点数は、皆さんにつけていただくものですから私が付けることはできませんけれども、どうでしょう。いろいろなことがあったけれども、一つだけ言えば、いろいろなお話があって背中を押してくれた方もおられたし、厳しく指導をしてくださった方もおられますけれども、私自身はぶれないでやってきたと思います。ぶれなかったというのは、やはりぶれてしまうと、自分が選ばれた、また仕事をすることには程遠いことになってしまうことと、1回ぶれてしまうとそこに戻れないんですね。ですから、あれだけ応援したのに何もしてくれないという人も随分いたかもしれません。いたかもしれませんけれども、結果的に個別にではなくて、どうやってやるかということだと思います。         
 自分の中に決めたのは、8年前の選挙最終日の夕方、大潟へ最後に選挙で帰ったんです。その時私は、大潟のために頑張りますと言わなくてはいけないとずっと思っていたんですが、瞬間的に上越市のために頑張りますと言って、大潟の人に何を言っているんだと言われたのも自分でも覚えています。そう思うとぶれないで良かったと思いますね。
 このぶれなかったのは、職員が頑張ってくれましたね。申し訳ないけれども、職員2,400人の中で、出来ないと思っていた職員がいっぱいいたんです。多分できないだろうとか、そういってもしないだろうという、申し訳ないけれども私が最初に来た平成19年、副市長できた時もそうです。私が頑張ってもだめですから、上の方に行ってくださいという人が多かったです。
 土地開発公社を解散するなんて、誰も思ってなかったですよ。土地開発公社の土地は何のために買ったか、誰の土地を買ったか、どんないきさつで買ったか、あのとき108億円くらい借金あったかもしれない。それが買い取るときに、173億円だったんです。それを全部引き取るなんて、そんなこと職員誰も考えません。買い取った時に職員だって、買い取るなんてこと誰も考えていないんだけれども、それやろうといってやれたと。そういうことが1つ動くと、みんな何かやれると思って本気になれば出来ると思うんです。
 あの水道用水供給企業団だって解散して上越市が買い取った。買い取ったことによって水のコントロールが全部上越市で出来るようになった。今まで水のコントロールが出来なくて、あの供給企業団に何億円も出していたものが、出さなくてよくなった。その3憶、4億円が利益になる。その利益が毎年、簡易水道に3億円、一般会計から繰り入れていたものが繰り入れしなくて済むようになった。その3億円が10年経てば、30億になるわけです。そういう積み立てをしたわけです。ですから、企業団を買い取るということなんて誰も考えないのに、買い取ってくれと言って話をしたら、買い取りましょうと言って職員が段々、変わってくる。そういうものが出来てくるというのは、職員の力だと思います。そういう大きい話ではなくて、そういうことを足し算しながら今の120億、130億円になっているんです。
 だから、私一人がやったってできないので、やってくれた職員がいて、やった職員を見た職員がいて、大きく変わってくるというか、車が動き出すというその感じが、私は本当にうれしいと思いましたね。まだ、道半ばでありますけれども、やれると誰も思わないものをやったということを考えると職員が、相当汗をかいてくれて、私がやろうと言ってお願いしたときにやりましょうと言って頑張ってくれて、一つ一つ歯車を回してくれたなと思っていますから、職員には感謝しなくてはいけないと思います。自分がやった8年間ではなくて、職員と歩いてきた8年間だと思います。

(記者)
 ぶれなかったとおっしゃったんですが、根底というのはどこにありますか。

(市長)
 私は政治家ではなかったんでしょうね。私は政治家っぽいことを言う行政マンだったと思います。行政としてやってはいけないことというのは、自分は38年も行政をやってきましたから、数字はごまかしちゃいけない、言うことだけはきちんと言う、情報公開はちゃんとするという、自分たちの決めてきたことというのがあります。
 多分応援してくれた人もあいつは違うという方も随分おられると思います。多分そのことにぶれていたら、今はないなと思います。8年間お叱りも受けましたし、良いことやってるなという人もいましたけれども、総じてお叱りの方が多かったですね。

(記者)根本的な問題かもしれませんけれども、市長、功成り名遂げて、あるところに登りつめて、この地位に就いたときに良く言われるということはないわけです。それでもなお且つ、その出てくれと言われて、引き受けたとき、どういう理由で、おっしゃっていたように、財政が破たん状態の上越市をやってやろうという、使命感みたいなものは何があったんですか。

(市長)一つは、木浦さんに呼んでもらったと。前の市長さんに呼んでもらって副市長をさせてもらったというのが大きかったです。木浦さんがリタイアされたときにじゃあ誰かということになったときに私は固辞しましたけれども、結果的に最後ぐるぐる回って私のところへ来たんです。私には負い目があるんです。自分の弟は2つ違いなんだけれども、私より勤勉で野球やるにもなんでもまじめで、正直だというのを考えると、ずっとその弟に対する負い目みたいなものがあったんです。弟と自分を比べたときに、どこかでそのことを意識したというのは確かですね。まじめにやらなくてはいけないと思ったのは間違いないと思います。ですから、そういう自分の身内の中に自分自身を規制するというか、自分自身を頑張らせる力があったのかなと思います。

(記者)
 村山市長にとってこの8年間、行革というのはとても大きな課題だったと思うんですが、今進めているものも含めて、地域からいろいろな声があったと思います。そんな中で、今のご自身の評価といいますか、その辺を一言お願いします。

(市長)
 この間もお話しましたけれども、足元くらいまでは見えてきたんですね。足元の明りくらいは見えてきたので、今、つまずくということはないんですが、これをビームを遠目にしながら歩けるようにするには、まだ少し時間がかかるなと。ここで、職員と一緒にやってきたことの方向性を違えるというか、違うことになったときに、また戻りはしないかと、その危惧はいっぱいあります。その危惧をなくすために今回選んでもらえたらという思いでいます。
 ですから、気を緩めることなく持続可能な上越市にするために、先ほど、何をやるんだと言われましたけれども、もう一度ここでギアを入れ替えて、10年後、我々の団塊の世代の福祉だとか、中山間地の農業がどうなるか、子育ての学校がどうなるのか、また働き方が変わってきて、所得や階層がどうなるのか、そしてそれぞれの14市町村の思いを一つにすることをみなさんの協力もあって頑張ってこられたと思います。ここで違う方向の道へまた戻っていくと、それがループしてまた8年前に戻ってしまう、その危険性がないわけではないと思っていまして、その時に職員と一緒にやれるのであればいいなと思ったり、財政の厳しい時期に行政にいた私がちょうどそのときに経験もあったことが力になれたかなと思っています。
 私も財政の厳しさの中でジャッジが出来ないというその思いは本当に強い思いなんです。今でも行政の意思決定は財源の裏打ちが無くてはできないという公務員の鉄則ですから、その鉄則だけは公務員の中で鍛えられたので、その思いをもってやれてきたかなと思います。