坂口謹一郎博士は、頸城区中城の大肝煎りであった坂口家の長男として、明治30年11月17日上越市高田に生まれました。このころ、坂口家は、石油精製業の工場を所有していました。
その後、故郷を離れ東京の第一高等学校から東京帝国大学(現東京大学)農学部に進み、醗酵学の研究をし、昭和7年、農学博士としての道を歩み始めました。
やがて博士は日本独自の醗酵学の確立において、世界でも先駆的な研究を進め、その功績が認められ日本農学賞、日本学士院賞など数々の賞を受け、フランスの農学学士員外国会員にも選ばれるなど世界的な権威としての評価を得ました。 日本の科学研究において、海外より抜きん出て優れている分野は、応用微生物学であり、それを今日のように導いたのが坂口謹一郎博士なのです。
酒づくりに携わる者で、博士の名を知らぬ者はいません。博士は醗酵の研究を通して、世界に類を見ない日本酒の独特な製造方法や、日本酒の奥深さについて、卓越した見識と豊富な知識を駆使した名著を数多く残しているからです。 「酒の博士」と言われた由縁です。博士が研究していたころの醸造学の分野は、古い枠の中でのみ研究することを習慣付けられたものでした。 それを応用微生物学、そして現在のバイオテクノロジーと呼ばれる広い分野に導いたのが博士です。
博士は醗酵学・応用微生物学の研究を重ねる中で、昭和39年、フランスの農学学士院外国会員に選ばれるきっかけとなったチーズに生息する珍しいバクテリアの発見など数々の世界的な功績を残しました。 中でも日本初の国産ワイン生産のきっかけとなるぶどう酒酵母「Oc2号」の発見は画期的なものであり、現在も全国のワインメーカーで使われています。
東京帝国大学時代の坂口博士
研究室での坂口博士
黒麹菌の顕微鏡写真