旧直江津銀行

印刷用ページを表示する 掲載日:2016年4月20日更新

旧直江津銀行の歴史

銀行の発足

   明治28年9月、旧直江津銀行は資本金10万円で「直江津積塵(せきじん)銀行」の名称で貯蓄銀行として発足しました。
 この銀行は、貯蓄預金が一口5円未満の預金受入れを行う中小商工業者や農民を対象とする金融機関でした。のちに規模を拡大し資本金35万円の普通銀行として、同32年頃には名称を「直江津銀行」と改称し、地域の中心的金融機関に発展しました。場所は、直江津町大字直江津234番地、現在の直江津郵便局の西側にあたります。

困難な経営と解散

   しかし、銀行の経営は順調とばかりいきませんでした。直江津銀行も明治33年以降、何回か不良貸付などの問題が発生し、38年8月には大蔵省の立入検査に及び、粗雑な経営内容が指摘されています。また、明治43年以降には全国的な不況の影響をうけて、同銀行の経営は悪化し、大正2年4月には預金者が預金を引き出そうと銀行に殺到する取り付け騒ぎが起こる事態となってしまいました。その被害例として、津有村は預金1,000円の払い戻しができず、銀行は150円を支払うのみで、残金850円は村に戻りませんでした。このとき、同銀行の負債総額は 62万8,869円で休業に追い込まれています。その後、再建を目指しましたが、ついに大正4年6月14日に解散となりました。

建物とライオン像

旧直江津銀行とライオン像(写真) 大正7年頃、銀行の建物は海運業 高橋達太が同銀行の代表取締役・芳澤襄良(元外務大臣 芳澤謙吉の父)から購入し、現在は中央3丁目に移築されて、高達回漕店の社屋として、近年まで使用されていました。

 今に残る建物の外観は変則五角形で3つの小屋根を有し、外壁には白タイルが張られています。建物の周囲には赤レンガを巡らした大きな防火壁が立てられ、内部には銀行当時の大金庫、木製カウンター、ドイツ製天井扇風機、時計がそのままに残されています。
銀行当時の大金庫、木製カウンター、ドイツ製天井扇風機、時計がそのままに残された内部の様子

 さらに、建物の前には迫力に満ちたライオン像が置かれていますが、これは高橋達太の要請により、柏崎市の小川由廣が東京三越前のライオン像をまねて制作したものです。

建物公開及びイベントについて

 市では、歴史的建造物である旧直江津銀行の建物を多くの皆さんからご覧いただき、建物の魅力を知っていただくとともに、朝市や周辺来訪者のお休み処として、5月3日~11月3日の三八朝市開催日等の土曜日・日曜日・祝日に合わせて公開します。
  今年度は公開日(22日間のうち10日間)に合わせて、直江津にまつわる歴史講座や民話の語り、そして土蔵の中で聴く音楽イベントを開催します。

  • 入場は無料で申し込みは不要です。
  • 会場には駐車場がありません。船見公園駐車場をご利用ください。
  • 今年度の公開予定日や催し物情報は別紙チラシをご確認ください。

平成28年度 公開日・イベント案内(チラシ) [PDFファイル/424KB]

案内図

案内図(イラスト)