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松平 光長(まつだいら みつなが)

印刷用ページを表示する 掲載日:2016年1月27日更新

 松平光長は元和元年(1615年)11月、北庄(きたのしょう・福井県福井市)で生まれ、幼名を仙千代といいました。父は松平忠直、母は第2代将軍秀忠の娘勝子で、仙千代はわずか9歳で家督を継ぎました。
 寛永元年(1624年)3月、10歳の北庄城主:仙千代は高田へ転封を命じられ、寛永6年(1629年)12月、第3代将軍家光の一字を与えられて光長と名のりました。幕府は光長に尾張・紀伊・水戸の三家に次ぐ待遇を与えたので、人々は四家と称し、また越後中将家とも呼びました。
 光長は、延宝9年(1681年)6月、高田城主を改易(注)され、松山城主:松平定直に預かりの身となりました。ここで7年間を過ごし、貞享4年(1687年)10月に許されて江戸の柳原の邸に戻り、官位も旧に復し、宝永4年(1707年)11月、93歳の高齢で没しました。 

(注)改易:武士の身分を奪って、領地・家屋敷を取り上げる刑罰