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松平 忠輝(まつだいら ただてる)

印刷用ページを表示する 掲載日:2016年1月27日更新

 松平忠輝は文禄元年(1592年)8月、徳川家康の6男として江戸城で生まれ、幼名辰千代。家康51歳の時で、母は側室茶阿局(ちゃあのつぼね)です。
 慶長4年(1599年)、家康は伊達政宗と結ぶため、忠輝(8歳)と政宗の長女五郎八姫(いろはひめ)(6歳)との婚約を成立させ、慶長11年(1606年)12月、15歳の忠輝は、13歳の五郎八姫と江戸竜口(たつのくち・東京千代田区丸の内)で結婚式を挙げました。
 慶長15年(1610年)2月、忠輝は福島城(上越市)主となり、慶長19年(1614年)に高田城を築城しました。
 高田城築城わずか2年後の元和2年(1616年)7月、忠輝は兄である秀忠により城地を没収され伊勢の朝熊(あさま・三重県伊勢市)に配流を命じられました。その理由は、忠輝がキリスト教の布教とヨーロッパとの通商貿易に積極的であったことなどにより、江戸幕府の基盤を確立するうえで不安材料とみられたことなどであると思われます。
 朝熊にとどまること2年、元和4年(1618年)年3月、飛騨高山城(岐阜県高山市)主:金森重頼に預けられた後、寛永3年(1626年)4月、諏訪高島城(長野県諏訪市)主:諏訪頼水に移され、天和3年(1683年)7月、92歳で死去するまでの58年間、高島城南の丸で過ごしました。