日本では古来から、十干と十二支を組み合わせて、年の名前を付けてきました。平成29年(2017年)は、丁酉(かのととり)です。60年前、120年前、180年前の丁酉の年には、上越市域で次の出来事がありました。
それぞれの年に起きた出来事を歴史公文書や古文書等の資料から振り返ります。
昭和32年(1957年)8月に開催された電気と原子力利用博覧会のリーフレットは1万枚印刷されました。裏面には、各会場の配置図や高田市内外の観光名所が印刷されています。このほかにも、一般用ちらし30万枚、小中学生用しおり20万枚、ポスター6千枚が作成されました。さらに、上越地域及び長野県内で巡回宣伝が行われました。
昭和32年、「広報たかだ」は、3度にわたり電気と原子力利用博覧会の特集を組んでいます。当時の広報はタブロイド判(B4タブ:縦382 mm×横272mm)4ページ構成ですが、博覧会直後に発行された第72号は紙面の半分を博覧会の記事にさいています。
電気と原子力利用博覧会は、3つの会場で開催されました。第1会場の城北小学校(1959年3月、大町小学校・城北中学校の発足に伴い中学校校舎に転用)には、東北電力館・原子力利用館・電波と電気通信館・スキー館・物産館などが、第2会場の大手町小学校には、国土防衛館・教育館・発明工夫館・市勢と郷土資料館・農機具館などが開設されました。第3会場の城南中学校講堂は演芸館と名付けられ、開・閉館式のほか、期間中多彩なイベントが開催されました。
第一会場(城北小学校)
第2会場(大手町小学校)
第3会場(城南中学校講堂)
直江津町是は、昭和10年(1935年)前後に作成されたもので、直江津の歴史や町勢などが詳しく記されています。同書其ノ四の「天災地妖(ちよう)」の項に、明治30年8月5日に発生した洪水による直江津町の被害の様子が記述されています。この洪水の被害の様子については、「直江津町史」(1954年発行)も同書の記述を引用しています。
明治30年(1897年)に発生した洪水により、中江用水路は大きな被害を受けました。中江用水組合では直ちに仮工事を実施し、その後、本格的な工事を予定していました。本資料は、この仮工事及び本工事の経費を県税から支出することを要請するために、同年9月28日に中江用水組合が新潟県知事に提出したものの控えです。
中江用水組合で事務担当人を務めた吉村貞作が記録していた「中江日誌」(「中江用水史」(旧版)では「吉村日記」と呼称)です。明治30年8月5日に発生した洪水の様子について、吉村貞作が直接体験したことを時系列で記録しており、貴重な資料であるといえます。
天保8年(1837年)に幕府が発した時疫(じえき:流行病)への対処法を記した通知(享保18年(1733年)の再通知)です。各対処法は、いずれも中国の医学書を典拠としています。幕府の通知を受け、高田藩では町奉行から町年寄等を通じて町人へ伝えられました。本資料の表紙に「三上」の署名があることから、関町(現南本町2)の有力町人であった三上家に元々伝来したものだと考えられます。