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上越市域の海水浴の起源

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印刷用ページを表示する 掲載日:2021年3月1日更新

江戸時代には漁村の漁師や子どもたちを除けば、ほとんどの日本人は海水浴を行う習慣はもっていませんでした。今回の出前展示会では、上越市域にどのようにして海水浴が普及していったのか、また現在の海水浴とはどんな違いがあったのか、これらを伝える新聞や絵はがき、歴史公文書などの資料を紹介します。

展示説明資料 [PDFファイル/896KB]

資料1「海水浴関連の新聞記事」(高田新聞・高田日報:高田図書館所蔵)

明治44年(1911年)7月30日発行の高田新聞は、第3面の全面を使って「海水浴号」を特集しています。今回の展示では、この海水浴号のほか、明治40年代に始まった上越市域の海水浴ブームの様子、鉄道院長野運輸事務所や頸城鉄道、高田新聞社による海水浴客の誘致、学校教育と海水浴とのかかわり等を伝える新聞記事を紹介しています。なお、新聞の劣化が進んでいるため、現物の新聞ではなくマイクロフィルムから転写したものや翻刻したものを展示しています。

高田新聞・海水浴号(画像)

資料2「海水浴の様子を伝える絵はがき」(公文書センター所蔵)

明治40年(1907年)頃から昭和12年(1937年)までの間に発行された海水浴の様子を伝える絵はがきです。この中でも、直江津町の柿村書店が「直江津海水浴」と題して発行した3枚組の絵はがきは、最も古い時代のものです。明治42年7月29日発行の高田新聞は前日の土用丑の日の直江津海岸の様子にふれ、「柿村書店にて海水浴の光景を撮影せる三枚組絵はがきを発行せるに売行宜しく頗る喝采を博せりと」と報じています。今回展示している「直江津海水浴」の絵はがきが、この年に発行されたものとは断定できませんが、菅笠(すげがさ)に着茣蓙(きござ)姿の人物や波打ち際で潮浴(しおあび/ちょうよく)をする人物が確認できることから、初期の海水浴の風景を撮影したものだと考えられます。

直江津海水の様子を伝える絵はがき(画像)

資料3「海岸借地願」(直江津町歴史公文書:公文書センター所蔵)

大正5年(1916年)の土用期間(18日間)に、高田新聞社は海水浴客誘致の手立てとして直江津町本砂山(ほんすなやま/現中央3・4丁目)の海岸に間口10間(約18メートル)・奥行5間(約9メートル)の無料休憩所を設置しました。明治42年(1909年)と同43年の両年に、鉄道院長野運輸事務所も直江津海岸に無料休憩所を設置していますが、丑の日のみに限定されていました。このため、高田新聞社の長期にわたる無料休憩所の設置は、直江津町から歓迎されました。本資料は、この時に高田新聞社が直江津町へ提出した借用申請書です。なお、高田新聞社は無料休憩所を飾る万国旗(綿小旗48枚)も直江津町から借用しています。

海岸借地願(画像)

資料4「頸城鉄道沿線案内図」(個人蔵)

大正5年(1916年)5月5日、頸城鉄道線新黒井・浦川原駅間が全通しました。本資料には発行年月日が記されていないため、これを特定することはできません。表面は、頸城鉄道線を中心に据え、東頸城郡及び中頸城郡の名所旧跡や特産物をカラーの俯瞰図(ふかんず)で紹介しています。このうち、上越地方の海水浴のメッカであった直江津海岸には、浮き輪と遊泳区域を示す旗が描かれています(裏面は、写真と文で構成された東頸城郡と中頸城郡の「名所案内」)。

頸城鉄道沿線案内図

資料5「頸城鉄道時刻表」(丸田篤家文書:公文書センター所蔵)

頸城鉄道が全線営業を開始した大正5年(1916年)5月5日の時刻表です。時刻表には「列車(番)号」が付されていますが、それぞれの到着・発着時刻をみると、1組の列車で往復運行されていたことが分かります。この年の土用の丑の日には、海水浴客の利便性を考慮して、通常百間町駅始発の1号列車を浦川原駅始発に、同じく百間町駅終着の12号列車を浦川原駅終着に変更する特別ダイヤを編成しています。

頸城鉄道時刻表

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〒943-8601 新潟県上越市木田1-1-3電話:025-526-5111Fax:025-526-6111

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