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60年前の戌年 昭和33年(1958年)の出来事

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印刷用ページを表示する 掲載日:2018年2月16日更新

平成30年(2018年)の干支(えと)は戊戌(つちのえいぬ)ですが、60年前の戊戌昭和33年(1958年)は、ちょうど日本が高度経済成長時代に突入した頃でした。上越市域でも現在に通じる大きな変化が見られた年でした。今回の展示会では、当時の写真や歴史公文書、新聞記事などをとおして60年前の上越市域に起こった出来事を振り返ります。

説明資料 [PDFファイル/665KB]

資料1「昭和33年の市域の写真」(公文書センター所蔵)

昭和33年(1958年)に開催された観桜会などの各種行事や出来事、当時の建物などを撮影した写真30点です。大部分は、高田市と直江津市の広報担当職員が撮影したものですが、個人から寄贈されたものや市勢要覧等の書籍に掲載されていたもの、絵葉書なども含んでいます。なお、原典ではなく複写し拡大したものを展示しています。

河口分流前の直江津港(写真)

河口分流前の直江津港(昭和32年撮影)

資料2「石橋・三交分市調停案」(「高田市歴史公文書」:公文書センター所蔵)

上越市域における「昭和の大合併」は、昭和29年(1954年)4月1日に高田市が金谷村及び新道村を編入したのを幕開けに、昭和34年11月1日に高田市が高士村を編入して幕を閉じます。この過程で昭和33年4月1日に、高田市の三交・石橋地区が境界変更により直江津市に編入されましたが、事前にこれに反対する住民運動も起きたため、県町村合併調整委員会による調停が行われました。本資料は、この際に高田・直江津両市に示された調停案で、当時の三交・石橋地区の置かれていた状況を伝えています。

調停案(画像)

資料3「労災病院設置に関する陳情書」(「直江津市歴史公文書」:公文書センター所蔵)

昭和24年(1949年)2月、労働省はわが国初となる労災病院を北九州市に開設しました。その後、各地に労災病院が設置されることになり、直江津市は県や上越地方の各事業所とも協力し誘致運動を行いました。本資料は、昭和28年6月1日に労働省に提出された陳情書です。昭和29年9月28日、直江津市至徳寺字上川原(現東雲町1丁目)に新潟労災病院を設置する内定が出されました。昭和31年11月に工事が開始され、33年5月30日に開院しましたが、すべての病院施設が完成したのは35年になってからのことでした。

陳情書(画像)

資料4「雪と海1958」(高田図書館所蔵)

高田市と清水市の中学生交歓会は、昭和29年(1954年)2月に始まりましたが、清水市から高田市に転勤した朝日新聞の清水性作記者が高田市中学校長会に提案したことがきっかけでした。交歓会では、異なる風土や生活の実態についての理解を深めること、視野や知見を広げること、人的交流を通して好意や親切の尊さを学ぶことなどが目的とされました。昭和33年には、2月に高田市への訪問(第9回)、8月に清水市への訪問(第10回)が行われましたが、節目となる10回目の交歓会が終了したことを記念して、高田・清水両市の教育委員会は初の記念誌「雪と海1958」を刊行しました(以降、5年ごとに刊行)。昭和46年の上越市発足後も交歓会は続けられましたが、平成15年(2003年)に清水市と静岡市が合併したことが要因となり、同年11月に行われた旧清水市への訪問(第100回)を最後に50年間続いた交歓会は終了しました。

雪と海(表紙画像)

資料5「昭和33年の出来事を伝える新聞記事」(高田図書館所蔵)

昭和17年(1942年)10月に行われた第二次新聞統合により、上越市域で発行されていた地域紙はすべて閉刊しました。昭和20年11月に創刊された「週刊文化自由新聞」は、上越市域で戦後いち早く発行された地域紙です。その名前から分かるように毎週1回発行される週刊紙でした。昭和25年1月に「週刊文化」と改称し、昭和57年7月末まで発行されました。今回紹介する新聞記事は、すべて週刊文化に掲載されたものです。

新聞記事 [PDFファイル/445KB]

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〒943-8601 新潟県上越市木田1-1-3電話:025-526-5111Fax:025-526-6111

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