上越市体操の歴史

印刷用ページを表示する 掲載日:2018年6月8日更新

ベルリンオリンピックで協議をする曽根選手の写真と現役時代の瀧澤さんの平行棒の演技(組写真)

 上越市は、体操競技において、戦前のベルリンオリンピックで活躍し、上越市で初めての夏季五輪選手となった曽根道貫氏をはじめ、指導者として男子団体徒手体操で国民体育大会8連覇、計12度制覇の偉業を成し遂げ、日本の体操の礎を作られた下新町出身の加藤信治氏、ドイツ選手権大会で個人総合優勝し、国際体操連盟の副会長も務められた板倉区出身の瀧澤康二氏、オリンピック3大会で8個の金メダルを獲得した加藤澤男選手を指導した三和区出身の金井昭三氏など、国内外で活躍した素晴らしい人材を数多く輩出しています。

 また、社会人の高田クレーンクラブの男子団体徒手体操における昭和26年・昭和27年の国民体育大会2連覇、高田高校の男子団体徒手体操における昭和24年からの国民体育大会8連覇、直江津中学校女子新体操部における昭和32年からの県中学校大会9連覇、直江津高校の女子団体徒手体操における昭和36年からの県総合体育大会8連覇、高田北城高校の女子新体操部における昭和52年からの県総合体育大会15連覇、城北中学校の男子新体操部における昭和52年からの6連覇と昭和57年北信越中学校総合体育大会優勝、頸城中学校の女子新体操部における昭和55年からの県総合体育大会11連覇など、これまでの輝かしい成績に裏打ちされた体操の歴史と伝統があるまちです。

 特に大潟区では体操競技の歴史と伝統を大切に受け継ぎ、昭和52年に体操教室をスタートしました。これまで多くの指導者が熱意を持って選手の指導に当たり、体操の普及に取り組んでいます。

 大潟区で育まれた体操の歴史と地域の想いが重なり、平成20年には、国内でも有数の体操の練習施設として、本格的な体操器具を完備した大潟体操アリーナが建設されました。

 大潟体操アリーナができたことで、全国の体操関係者との交流が生まれ、優れた指導者が良質な練習環境を求めて大潟区に集うようになりました。さらには、その指導を求めて、校区外から大潟町中学校に通学する生徒も増えるなど、好循環も生まれています。

 また、大潟体操アリーナを練習拠点に活動する体操クラブは、近隣市を含め会員数360人という県内最大規模に成長しており、大潟区は県内でも体操の盛んな地域として知られています。 

大潟体操アリーナでの練習の様子(組写真)

1936年(昭和11年)

高士村上曽根出身(現上越市上曽根)の曽根道貫選手がベルリンオリンピック出場(男子団体総合9位)

1952年(昭和27年)

高田クレーンクラブ(社会人)が男子団体徒手体操で国民体育大会2連覇

1957年(昭和32年)

下新町出身の加藤信治さんの指導のもと、高田高校が男子団体徒手体操で国民体育大会8連覇

1965年(昭和40年)

直江津中学校が女子団体徒手体操で県中学校大会9連覇

1968年(昭和43年)

  • 板倉区出身の瀧澤康二選手がドイツ選手権大会で個人総合優勝
  • 直江津高等学校が女子団体徒手体操で県総合体育大会8連覇
  • 女子の「団体徒手体操」が「新体操」へ名称変更

1968年(昭和43年)~1976年(昭和51年)

三和区出身の金井昭三さんが、オリンピック3大会(メキシコ、ミュンヘン、モントリオール)で8個の金メダルを獲得した加藤澤男選手(五泉市出身)を指導

1977年(昭和52年)

大潟区で体操教室が開始される

1982年(昭和57年)

 城北中学校が男子新体操で県総合体育大会6連覇、北信越総合体育大会優勝

1991年(平成3年)

  • 高田北城高等学校が女子新体操で県総合体育大会15連覇
  • 頸城中学校が女子新体操で県総合体育大会11連覇

2005年(平成17年)

瀧澤康二さんが国際体操連盟の副会長に就任

2008年(平成20年)

大潟体操アリーナ完成

2016年(平成28年)

東京オリンピックの合宿誘致でドイツ体操連盟と覚書を締結