日時:令和2年1月6日(月曜日)午後2時~2時40分
(市長)
皆様、明けましておめでとうございます。
令和2年の新春を迎えて、皆様にとりましてこの新しい年が、希望に満ちた、また豊かさのある幸多き年になるよう心からご祈念申し上げたいと思います。
昨年は、時代が平成から令和へと移り変わる中で、12月には上越地域待望の県立謙信公武道館が開館いたしました。また、上信越自動車道の全線4車線化が完了するなど、内外からの来館者でにぎわう高田公園オーレンプラザやうみがたりに加えて、当市の交流の機会が大きく広がったというふうに思ったところでございます。
東京2020オリンピック・パラリンピック開幕が目前に迫る中で、当市におきましても、市がホストタウンになっておりますドイツのパラリンピック柔道チームが謙信公武道館で、また、オリンピックのドイツ体操チームが今月26日にオープンいたします上越体操場「ジムリーナ」で、それぞれ合宿をすることが決まっております。この世界的なスポーツの祭典を契機としながら、市民のスポーツの振興や交流人口の拡大がより一層図られるよう取り組んでまいりたいと考えているところであります。
また文化の面では、小林古径記念美術館が古径作品の常設展示に加えて、当市ゆかりの作家などの作品展示や各種のイベントが開催できる多目的室を備えてこの秋開館いたします。学びと交流の場として、市民の皆様を始め、広く市外からも多くの皆様に訪れていただきながら、当市の魅力に触れていただければと思っているところでございます。
全国最多の14市町村の合併から15年が経過いたしました。私たちの先人がこれまで様々な交流を通じて、多くのものを外から受け入れ、このまちの歴史を紡いできたように、15年前の合併はそれぞれに異なる歴史と文化を受け入れて尊重する中で、心を同じくしながら「ふるさと上越市」を築いていこうとする選択だったというふうに思っています。合併以後、多様な地域特性が共生する、個性豊かな自主自立が可能なまちを目指して、今日まで歩んでまいりましたが、この15年という節目を機に、改めてそれぞれの地域の皆様の思いを重ね合わせながら、つないでいく取組を進めてまいりたいと思いを新たにしているところでもございます。
市民の皆様におかれましても、それぞれのお住まいの地域はもとより、他の地域の状況や、自主的な活動の様子を知りながら、さらに市の内外で交流の輪を広げていっていただき、一人一人が持つ知恵と力、思いを重ね合わせながら、ともに豊かさを実感し、暮らすことのできる「すこやかなまちづくり」を加速させていただければありがたいと思っているところであります。
人口減少、少子化、高齢化が加速する中にありましても、当市が「持続可能なまち」「すこやかなまち」としてあり続けられるよう、市民の皆様とともに歩みを進めてまいりたいということを申し上げ、年頭のご挨拶とさせていただきます。
(記者)
合併から15年の節目に当たって、「地域の思いを重ねてつないでいく。」という表現をされましたけれど、改めてそれがどういうことを指すのかということをお聞かせください。
(市長)
15年前に予想したまちの姿、目指すべき状況は今のような状態ではなかったと私は思っています。これだけ急激な人口減少、高齢化、そして大きな国際的な変化の中での担い手の不足等々を考えると、我々が15年前、合併する時に思った状況からは大きく様変わりをしているということでありますから、それに対する心構えができていなかった部分もあるだろうと思います。変わることによって、我々も意識を変えていかなければいけない、将来にわたってのまちづくりをするときに、物事を変えていかなければいけないという思いが、今、私自身には非常に強くあります。
14市町村の合併の中で、7割近くが中山間地域です。これだけ広大な面積で人口密度が200人程度の19万人の都市というのはそんなにないわけです。そういうことを考えると、それぞれの地域の状況をもう1回素直に正面から向き合って感じてみる。それは、高田に住んでいる、直江津に住んでいる、中山間地に住んでいるということではなくて、お互いの地域について、その地域の中に今、何が残っているか、自主的な活動があるのか、地域の状況はどうなっているのかを見て、合併した時に考えた状況と比べてみる。それぞれが思いを重ね合わせるというのはそういう意味で、重ね合わせながら、15年前に合併した時の状況と変わっているのであれば、求めていくべきものと、変わったことによって対応していくもの、そういう選択を市民の皆さんと心を同じくしながらやっていく、そんな時期に来ているのではないかという思いを強くしたことから、そのような話しをさせていただいたということです。
(記者)
この15年の節目に、地域の現状に真正面から向き合って、合併した時と状況が違っているのではないかとか、厳しくなっていたり、よくなっていたり、いろいろだと思うのですけれど、そういうことに向き合って調べていくという感じでしょうか。
(市長)
2025年、あと5年後に上越市の人口がもう1万1,000人から1万2,000人減るということです。1万2,000人というのは大潟区と隣の吉川区、この二つの区の人口に匹敵するものです。この状況をそれぞれの皆さんがどう考えるか。そういうことから思いを致していく時代に来ているんだろうと思います。
少子化、高齢化も含めて、今現在ある社会というのは、我々が作ってきた社会だと思います。ですから、合併する15年前に思い描いたことと違っているのであれば、どうして違ったのか、違っていることをどう受けとめるのか、このことについての議論もやはり必要になってくる。これが、このまちを「持続可能なまち」にしていくための大きな第一歩の取組だと思っています。
この人口減少の中で、働く人がいない、地域の製造業は非常に困っている、建設業は本当に担い手がいない、そして担い手の育成もできない、技術の伝承ができない、こういう状況を我々は自分のこととして考えていくことが大事だと思いますので、そんなことを市民の皆さんと一緒に考えましょうと、そして我々のまちを次につなげていきましょうという思いを新たにしたというのが、今日お話しした内容であります。
(記者)
新年祝賀会の挨拶や資料に、「20年後、30年後に、あの時代があったおかげで今があると言われるように精一杯努めてまいります。」というフレーズがありました。具体的な取組、思い、どんなことをして市政を改善していきたいのかということをお聞かせください。
(市長)
今、お話ししたようなことを含めて、我々が直面している問題を解決するには、行政のみならず、関係する企業、そしてまた市民一人一人も、思いや方向性を同じくしながら考えていく必要があると思っています。
「あの時があったから」というのは、我々が努力したこと、頑張ったこと、そしていろいろな問題を解決して先送りしなかったこと。「あの時があったから今がある」と言ってもらえることが行政の仕事だと、10年前に市長にさせていただいたときから職員に語り続けてきて、今回、このことと同じことを繰り返したわけです。
次の総合計画ができる令和5年までに財政状況を改善しなければ、5年度以降は、完全に厳しい運営になるということが間違いない状況です。今、我々が行財政改革に手をつけないと、たった4年後、5年後には上越市の財政がどうなるかという議論をしなければならない。先送りしないための議論をしていく必要があるということをずっと言い続けてきましたし、今日も職員にはそのことを話しました。行財政改革をやっていくときに、とりわけ市民に対する痛みとか苦痛という話が出てきますけれども、有効な財を有効なところに使うという取組をしていく必要があると強く思っているところであります。これをしなければ、5年後には財政計画がうまく立てられない。財政調整基金も枯渇するというような状況が現れてくるというのがもう確実ですので、それまでに手をつけることをしっかりとやっていくべきだと思っています。これまで10年間、財政健全化のための努力を続けてきましたが、それでもこういう状況です。本気になってやらなければ、将来的に持続可能というのは難しいと思っています。
今やるべきことを先延ばししないでやる、「あの時やってくれたから、今こうやって豊かな生活、そしてまた、お互いの信頼の中で暮らすことができるんだ。」と思ってもらえるような行政の取組をしていく必要があると思ったことからそのように発言させてもらいました。
(記者)
今年の最重要課題と位置付け、また施策的にも力を入れて取り組んでいきたいとお考えになっていることはどのようなものでしょうか。
(市長)
やはり暮らしのための経済がしっかりしなければならないと思っています。
上越市の産業構造を見ると、製造業が圧倒的に高い比率を占めています。この製造業に新しい力を持ってもらう、頑張っていただくということが喫緊だと思っていまして、今回、製造業を中心とする皆さんに、成長なり努力を促しながら、それを下支えする新しい支援体制のようなものを作っていきたいと思っています。産業の振興が安定した雇用を生むための大事な部分だと思いますし、魅力のある職場づくり、人口減少対策の大きな力になると思いますので、産業の振興に少し新しい支援策を取り込みながら、製造業が異業種を含めて連携し、半製品であったとしても一定の付加価値の高いものを作り上げていくような産業構造を作っていければと思っています。IoTやAIの活用に取り組んでいる地域の製造業の皆さんもおられますので、そういうものも支援できればと思いますし、近隣の大学とのタイアップも含めて産業支援に新しい芽出しができればと思っています。
(記者)
新年度の予算編成がこれから市長査定を迎える時期かと思います。個別の事業等はまだこれから精査されると思いますが、ここまでの編成状況について、どのように捉えているのかということと、財政との絡みについて、規模的なものも含めて、どのぐらいのものを考えているのかというところをお答えできる範囲でお願いします。
(市長)
国の補正予算がこれから出てくるだろうと思っていまして、新年度の予算に組んであるものを補正予算に組み込みながら、15か月予算を作っていくことが、一番財政的に有意性があると思っています。国の財政支援策のある有利な補助金・交付金等を使い、その裏負担にも有利な起債を使って、一般財源の持ち出しを少なくしながら、バランスのいい予算を、補正予算を含めて考えていければと思っています。
規模としては、上越市の体力的に1,000億円を切るような予算、補正予算と合わせるとまた少し違うかもしれませんけど、そんなことになっているかと思います。
(記者)
上越地域で唯一の介護福祉士養成校である上越保健医療福祉専門学校が、20年度の募集を停止されるということで、介護人材の養成の受け皿的なものが地域から一つなくなります。ただでさえ介護人材の不足が言われる中での地域への影響と、人材確保の面について、お考えをお伺いしたいと思います。
(市長)
何年か前から応募者が減ってきて、関係する皆さんが心配されていました。結果的に、募集停止という選択をされたということですが、上越地域は、県内においても福祉施設の数が非常に多いところですし、地域にとっては非常に厳しい問題だと思っています。
私が上越へ戻ってきた頃は介護福祉士を志す方がたくさんおられましたが、それからたった15年でこの状況です。ものすごい時代の変化だと思いますし、職業選択の幅が広がる中で、介護福祉士が若い人たちから選ばれる職業ではなくなってきたのかなと思っています。
介護福祉士の仕事の魅力、使命感、報酬もトータル的に考えて、この職を魅力あるものにすることが、若い人たちの選択につながると思いますので、そんなことも含めて、考えていく必要があると思っています。
(記者)
本日、花角知事が職員の方を前に訓示したお話ですと、知事の今年の意気込みを漢字一文字で表すと挑戦の「挑」、挑むという字だそうです。このことに対して何かご所見があればお聞かせください。
(市長)
知事の話を聞いていませんので、何とも言えませんが、やはり今までの現状を超えてチャレンジする。「挑戦」という意味なのかなと思っています。花角知事も就任されて1年半が経ちましたので、今まで副知事として承知していたことと、知事になって承知し、また取り組まなければいけないことがはっきりされたんだろうと思います。
(記者)
4月の市議会議員選挙について、新顔の立候補予定者の方が名乗りを上げたり、或いはその政策を公表したりする方が増えてきました。その中に地域の疲弊の解決策の一つとして、さらに広域合併をしていこうという考えを持つ方もいらっしゃいます。市長の合併への評価、それから地域の疲弊に合併が特効薬になりうるのかということについて、お考えをお聞かせください。
(市長)
私が県にいた時に112あった市町村が、今は30ですので新潟県は全国の中でも本当に合併が進んだ県だと思います。一方、お隣の長野県はそんなに進んでいない。人口が何千人という村、町がまだ幾つもあるということを考えると、合併に対する見方というのは、両極に分かれるのかなと思います。
あの頃、合併を推進した皆さんは、財政的に厳しくなって立ち行かなくなるから、大きな中で一緒に頑張るしかないという話をされていました。しかし、あれから15年経って、長野県では現実に市民が、町民が、村民がそこで暮らしておられるということから考えると、合併そのものを評価するには、もう少し細かく自分たちの中で見ていく必要があると思っています。
合併して体力が落ちることも随分ありました。合併したことによって国の一定の支援はありますけれども、その支援に甘んじて、いろいろなことに手を広げてしまいますと、それを収束させるために相当のエネルギーが必要になります。どこかで今まであったものを止めるとか切るとかしなければならない。そこで、また軋轢が出てくる。この繰り返しです。
合併が何かということを当時、本当に議論したのかということは、今になって検証してみてもなかなかわかりませんが、上越市と一緒になってどうなるのかと思っている内にあっという間に15年が経って、周りに人がいなくなったとか、子どもがみんな町に出てしまったということが現実にたくさんあるわけです。そういうことを考えると、市民にとっては上越市に住んでいるということと、小さな町や村に住んでいることとの違いがわからない、なかなか難しいのだと思います。
上越市になったから、子育ての制度が良くなったとかいうことが実感できればいいけれど、高齢者の場合は、村にも施設があって、体が動かなくなればその施設に入ることができていたわけですから、そんなに変わってない。ですから世代間によって、合併に対する評価が違ってくる。あの地域に住んでいる人とか、この地域に住んでいる人が合併をどう評価するかではなくて、自分が合併効果を享受できるかによって、差が出てくるんだろうと思っています。例えば、前回の総合計画を作る時に行ったアンケートには高齢者の皆さんが多く回答してくれました。これまで子どもの医療費負担の軽減など、子育て支援に力を入れてきましたが、高齢者の方々の回答では、10年前より子育てしやすくないという答えがたくさんあるわけです。
実態をどうやって理解してもらうか、そしてまたその状況をどうやってわかりやすく市民に説明していくか、このことが合併に対する、またこれからの市域の一体化というものに対する我々の取組だと感じています。私自身の評価よりも、それぞれの世代間の評価をきちんとしながら、地域の皆さんにこの合併の意義を納得してもらい、理解してもらい、心を同じくしながら、どこに住んでいても上越市の市民だという思いを持ってもらうことが大事だと思っています。
私の2年前の選挙の時に、ある方が「合併したことによって上越市民として幸せになりたいだけだ。」と言いました。何が幸せなのかと言えば、「お互いが違和感なく、共感して住んでいける、そのことが大事だ。」と。それぞれが自分の地域を思う愛着と、自分自身の人生の中でこの合併がどう関わるのかということは、自分の人生に対する評価に関わっていると思うので、単にいいとか悪いとかいう簡単な評価にはならないと思います。
後戻りするわけにはいきませんので、「この上越で幸せになりたいだけだ。」という言葉を私自身しっかりと受けとめながら、幸せというのは何かを探っていく、そして答えを出していくことが、今の私に課せられた仕事だと思っています。