市長記者懇談会を開催しました。
(市長)
今日はお忙しい中、お集まりいただきましてありがとうございました。
妙高山の初冠雪が10月17日だったということですが、昨年よりも18日早いという話を聞くと、秋も終わりなのだという感じもしないではありません。
去年を振り返りますと、今頃は台風19号が全国的にも相当の被害をもたらし、この地域においても、浸水被害だとか農林関係の被害は随分あったなというように思っています。今年は、台風はそれほど多くないので少し安心しているのですが、一方でこのコロナも微増であるといいながら、多くなってきているので、我々の行動の中でも緊張感を持ちながら、新しい生活様式、徹底した感染対策をとりながら、普通の生活に戻るような努力をしていく必要がある、その時期なのかなと思っています。
季節性インフルエンザの時期、冬期間になると、コロナウイルスが活性化するというような話もありますので、やはり緊張して過ごさないと、感染したことによって地域的にも含めていろんな対応策を講じなければならないということになりますので、このことについては緊張感を持ってやっていかなければと思います。
もう1つは、クマの目撃情報が多くなってきて、先日清里区では、山に入った男性の方が被害に遭われたということでした。大事に至らなかったようでありますけれども、やはり里をしっかりと守りながら、クマの生息する地域と、我々人間が生活する地域をきちんと環境整備といいますか、山の手入れをおろそかにしてはいけないのだと思います。
米の収穫では、今年は一等米比率の収穫も作柄も含めて良かったということですが、需要が減ることによる価格の問題が出ています。大きく変化している時代ですので、それぞれの分野に目を光らせ、細かいところにも気を配りながら政策を打っていく、また、市民の力を借りていくというような取り組みが必要だと思います。
改めて去年の台風で大慌てしたことからすると、今年はそういう意味では、気持ち的にも切羽詰まった状況ではないですので、良かったと思っています。
(記者)
イルカの不審死の関係で、検討委員会が立ち上がっていると思うのですが、それが10月を目途にまとめをというような話だったと思うのですが、どのような状況ですか。
(市長)
教育委員会の話では、第2回目の委員会を今月、または来月中に開くということで、前回の1回目の委員から求められた資料の収集、そして現地の視察などを行いながら、整理をしていて、2回目でどういう問題があるのか、ある程度具体的に出てくるのではないかと思っています。3回目において、最終的に整理をしながら、どういう課題で今回こういうことになったのかということの、それが全ての答えではないかもしれませんけれども、方向性は示されると思いますので、それに対する対応を取っていきたいと思っています。
(記者)
年内には3回目があるのですか。
(市長)
議会定例会が途中に入りますので、3回目は年内にできるかどうかです。2回目が終われば、ある程度、それぞれ委員のご意見は集約できるものと思っています。
(記者)
2回目の日程はまだ決まってないのですか。
(市長)
2回目は、年内中にはあると思います。
(記者)
佐渡汽船の件ですが、カーフェリーの売却がああいった形でされると。カーフェリーを売却して、カーフェリー分の赤字を圧縮したところで、債務超過という話が根っこにはあるわけで、その部分の負担という議論が出ているかと思うのですが、どう動いていって、どういうお考えを持っていらっしゃるか、お伺いしたいのですが。
(市長)
10月23日の4者会議の中で、「あかね」を売却して航路をどうするかという話の他に、佐渡汽船から経営的に債務超過が大きいので、行政からの支援が欲しいという話がありました。
知事はそれを引き取って、それについても考えなければいけませんねという話で終わっています。「あかね」の売却も含めて、佐渡汽船本体が非常に経営的に厳しい状況にあると思います。コロナが原因だという部分と、コロナ以前からの部分があると思います。ですから、やはり佐渡汽船の経営体制、方向性みたいなものをしっかりとやっていくという話にならないとスタートしません。その支援が仮にどのぐらいの金額になるか分かりませんが、その支援をした時に、確実にその債務をなくして会社を立て直していくという、その辺のことがないと難しいと思います。
コロナの影響は確かに大きいと思いますけれども、佐渡汽船が「ときわ丸」と「あかね」を購入した際、両方合わせると100億円を超える投資をしているわけです。投資を回収するための経営計画も、当時は大丈夫だと思ったのでしょうが、やはり社会の変化、人口が減る、旅行者が少なくなるという中で大きな損失に繋がって、そこに今度はコロナが輪をかけたということだと思います。今後の佐渡汽船の経営の安定のために何が必要なのかということを根底から議論していく時期だと思います。
(記者)
スケジュール的には、もうのんびりしているわけにはいかないということですね。
(市長)
先日の4者会議時に、初めて佐渡汽船から行政からの支援が欲しいという話が出ましたけれども、まず、船の航路やサービス基準をどうするかという話だったので、その話にはほとんど触れなかったですけれども、支援という話が出ましたので、これから考えていくことになるだろうと思っています。
(記者)
上越市としては、お金を出すというようなお考えはお持ちでしょうか。
(市長)
上越市は佐渡汽船の株主ではありません。やはり株式の40パーセント近くを持っている県が、佐渡汽船との関係の中でどうあるべきかという議論がされると思います。それが具体的に示された中で、我々がどういう役割を果たしていくのか。これは上越市だけではなく航路が動いている佐渡市も新潟市もありますので、県がイニシアチブをとりながら主体的に語りかけていく、佐渡汽船をどうやって支えていくかという議論もそこから始まるだろうと思います。
(記者)
先般の4者会議で、「あかね」の売却に合意したわけですけれども、上越市が出した建造費の支援のお金の部分については、今後どういった対応をお考えになりますか。
(市長)
佐渡汽船の状況からすると「あかね」は、佐渡汽船が持っている資産の中で一番高い優良な資産だと思います。それを売却することによって資金調達をするということが片方にあります。船が揺れるから売るとか、修繕費がかかるから売るのではなくて、基本的に、佐渡汽船の経営を立て直すための優良な資産を売却して、そこから、会社を立て直していくという考え方の中で決断されたと思います。市が建造費に支援したお金をどうするかということですが、まだどこに売るかも、いくらで売るかも分からないわけです。当然我々としても、出したものがなくなるわけですから、手続きをしてもらわなければならないし、議会の皆さんにも事情を説明しなければなりません。市の権限として、我々がまだ保有していると思われる金額については、佐渡汽船にどういう形で話をするか、佐渡市もあるわけです。佐渡市も8億1,000万円、上越市は2億5,000万円、合わせて10億6,000万円のお金が出ているわけですから、いくらで売れるかによって、金額を分割で返してもらうのか、それとも他の方法で整理するかということはこれから考えていかなければいけないと思っています。
要望の中では、その返還について当然話合いをさせていただきたいという話は議会に出しましたけども、売れた段階でどうするか、売れる時期もこれから探していくのだろうと思いますし、いくらで売れるかということも、細かく見ていかなければいけないと思っています。
(記者)
県も交えて、難しい話になったかと思いますが、「あかね」を売ったお金をまた、ある種取り上げるような形になると、それが経営にどれだけ影響するかということにもなってくると思うのですが。
(市長)
売れてからの話もありますけど、売るための交渉を進めることは、経営状況からすると致し方ないと認めたのだけれども、売れた金額を含めて、どうやって我々に返してもらうかという話は、佐渡汽船とこれから相談したいと言っておりますし、佐渡汽船も相談させてほしいという話ですから、その時に議論していく必要があると思います。
(記者)
上越市としては、早期のカーフェリー再導入、これは条件として議会にも示していたわけですけれども、トップ会談のお話を聞くと、早期というところはなかなか難しいというか、疑問符がついたというような形、先送りという話で受けとめているのですけれども。上越市が求めたこの最後の条件は、認められなかったのかというように受けとめたのですが。
(市長)
佐渡市も私も同じで、できるだけ早くという話をしてあるのですが、今般の需要の中で、小木・直江津航路に見合った船が今市場にない、だけどない状態の中でどうするかというのが一つあるということ。
もう一つは、カーフェリーを再導入した場合に、今の「あかね」と同じように、年10億円近い赤字が出ると、今会社の経営全体を早く立て直すと言っている時に、これまでと変わらないというのも、私もそう思っていますし、そういうことだと思います。ですから、できるだけ早くという話をしていますが、できるだけ早くするには、会社ができるだけ早くしっかりしてもらう必要があります。しっかりするための支援であれば、何とか支援をしていかなければいけないと思っていますが、そのこととの合わせ技みたいな形の中で、佐渡汽船と県と新潟市も含めて、その辺の話をしていく必要があると思っています。
航路が厳しいから、運用が厳しくて赤字が相当あるから、ジェットフォイルに置き換えるという話と、すぐまたカーフェリーが要るという話は相矛盾するので、これをしっかりさせるということが前提で今回話し合っています。
(記者)
経営の立て直しが優先順位は上ということですか。
(市長)
相当厳しい状況だと思います。
(記者)
イルカの話ですが、本年度、来年の3月までに、有識者の皆さんから、何らかの答申なりを教育委員会にもらうというスケジュールで良いでしょうか。
(市長)
今お話したスケジュールでは、例えばそれが、どういうような原因だとか、どういうことを手当すれば、環境が整うかということであると、予算にも影響します。できるだけ予算に反映できるような時点で委員会の議論の結果を受けたいと教育委員会に伝えてあるので、その日程で動いてくれているのではないかと思います。
(記者)
当初、今回の検証が始まった時、教育委員会からのアナウンスだと、今ぐらいにもう検討委員会の有識者の方から、結論なり答申をもらうという説明があったと思うのですけれど、3回目とか、さらに検証スケジュールが延びたというのは何か当初と違いがあるのですか。
(市長)
このイルカはみんな八景島から来ました。ですから委員から八景島で飼育した時の環境も調べたい、理解したいという意見があって、その時の施設の図面や環境、条件などを取り寄せるという作業をしています。それから、八景島で飼育された時の環境を見たいということで、委員の中には八景島の現地に行かれた方もおられます。そのようなことが、議論する委員の中から、色々な話があったものですから、若干延びました。
私は教育委員会には、予算に反映できるような時点での結論を得るような方向で、検討委員会にもお願いしてほしいという話をしてあります。
(記者)
医療再編の病院の話ですが、上越医療圏でも対象となっている病院があります。県がいま、地域の方や自治体と話をして進めているのですけれども、全国知事会で、社会保障を担当している鳥取県の平井知事が、コロナの状況もあるわけだから一旦その議論を凍結すべきだと主張されているのですけども、市長はどのように思われますか。
(市長)
コロナに関連して、医療機関の収益も大きく影響しているというのは現実です。ですけども、医療機関はなくてはならない機能を発揮してもらうわけですので、今お話あったように、凍結するかしないかは別にしても、上越市の立場からすると、病院は残して欲しいという立場には変わりはないのです。
その中で、県からは、民間に移したり、公設民営といった手法のお話もありますが、上越市は数多く診療所を持っていること、市民の選択による市民運営の病院を持っていること、それから、上越総合病院の設立によって、20年間、年1億円の支援をしているという、そういう事実を、県から来た皆さんには、きちんとお伝えしています。
柿崎病院は相当の年数をかけて、地域に根づいた病院ですので、ああいう形で、きちんと存続して欲しいという思いを伝えてあります。
我々はこれだけの診療所を持って、かつ、その診療所から、柿崎病院にいろんな患者さんが行っているという地域の医療体制を整えていることからすると、柿崎は県立病院で、その根に張った地域の診療所は我々がという、その棲み分けをしながら役割分担をしているとずっと言ってきています。
理解はいただいているのですが、最終的にどうなるかということは、ちょっとまだです。
(記者)
あくまでも上越市の立場としては県設県営をこれからも求めていくということでよいですか。
(市長)
はい。
(記者)
行政手続きのハンコ廃止についてお聞きします。政府が、ハンコ廃止、行政手続きのハンコ廃止を進めていまして、各自治体にも求めていると思います。また、花角知事も国の法令等の中で定めているものを除いて、9割を県の条例で廃止するとしています。上越市として何か方針ですとかそういう考えがありますでしょうか。
(市長)
同じような方向でいま、規則の洗い出しをしています。押印が必要という規則は随分あります。全部終わった段階で、どういう帳票にするのか、押印が無くなった場合の個人の確認とか、代理人であるとかということまで詰めて規則の見直しをし、規則を全部洗い出すことにしていますから、洗い出せば手続き的にはできると思います。
県が言っているように、市民の皆さんにお願いしている帳票については、そういうことで、そんなに時間はかからないで、無くすか無くさないかの議論はできると思っています。
(記者)
どれくらいの目途で行いますか。
(市長)
今年度中くらいに整理できると思っています。規則は私がOKすれば、それこそ私が押印すればという話になっていますので、そういうことを含めて、今年度中には、規則全部を見直しながら、帳票をどうやって変えるかということも出てくるのですが、その辺の作業もして、早い時期に、市民の負担にならないようにというようなことは、国も県もやっているようなことはできると思っています。
(記者)
必要なものは残していくけども、原則として無くしていくということでよいですね。
(市長)
そうですね。洗い出しながら無くしていくものは無くしていってよいと思っています。
(記者)
どれくらい無くせますか。
(市長)
私は数字を聞いていません。今、規則や条例の中にあるハンコを押す帳票を洗い出す作業を始めたばかりですので、どのぐらい出てくるかということは今のところ私は承知していません。
(記者)
一部の立場の方が、ハンコは大事だとおっしゃる方もいますが、ハンコについての市長の印象をお聞かせください。
(市長)
ハンコというのはやはり、そのことによって本人確認を不要にするとか、それがあると安心するとか、帳票に何も押印がないと不安だとか、そういう気持ちもあると思いますし、行政の文書も一時は押印して出していたものが、今は公印省略という言葉になっていることからすると、考え方でしょうけれども、サインで通ってきている状況だとか、今のまちの中でどうやって使われているかというようなことを考えて整理していく必要があるのだろうと思っていますが、時代の中でハンコに対する思いはそれぞれあると思います。婚姻届を出すときに、どうしてもハンコを押したいということもあるでしょうし、それぞれの人たちの中に思いがあると思いますが、いずれにしても、負担のないような形にしなければいけないと思っています。
手続きに来たけれどもハンコを忘れてきたら、どうしてもハンコを押さなければこの証明書は出ませんよというようなことになった場合には、どうだろうかなという議論が出てくるのだと思います。
そういうことの中での対応ですから、残すべきものと、省略すべきものというのは、精査しながら、やはり市民の思いの中でのハンコというものをどうやって使ったらよいかということを考えていかなければと思っています。
(記者)
関連で、行政手続きとは別に、庁内の決裁において、押印手続きを廃止したいとかいう考えはありますか。
(市長)
条例一つを変えるにしても30個くらいのハンコが押してあります。これをどうするかという話ですけれども、役所の場合はハンコを押せば、あなたもこの内容は承知したでしょうという話になるのです。その確認の意味がありますので、どんな形としても、自分自身が決裁権者として、上がってきたものをチェックするというのは、役所の中ではどうしても稟議の中にありますから、省略の仕方がハンコでなくてサインでよいというのも出てくると思います。その辺は職員とよくまた議論しながら、一番良い形をとれればと思っています。
押印が多いということは、それだけ時間かかっていることになりますので、その辺のスピード感みたいなものと、決裁権限も関わってくるのです。
決裁権限を省略すれば、ハンコの数は少なくなります。押印が多ければ多いほど時間をかけて稟議されていると。また、ハンコが2つしかなければ、2人の責任ですが、多ければ多いほど、責任の分散みたいな気持ちになるのもあるし、それに対する実際のコミットがどれだけなされているかという議論もあると思っています。職員には今後その辺の議論をしながら、どのようにやっていくかということを考えていかなくてはいけないと思っています。
(記者)
ワーケーションまたはテレワークに関する市長のお考えを聞きたいのですけれども、ちょうど1年前ぐらいに自治体のワーケーション協議会というのができて、そこにはこの辺では糸魚川市と妙高市が県内では入ったのですが、その準備会段階では例えば上越市も入っていたのですが、その協議会の中には加わらなかったと。
それで、その1年前ぐらいの話としてはいろんな方に話を聞いていると、上越市は慎重だという話でした。慎重が悪いという意味では全くなく、そういう話が出ていました。
それから同じように県も慎重だという話が当時は出ていたのですが、県の方がそれから1年経って、今それに対して非常に積極的に手を打たれていると。上越市ではそういう動き、あるいは市長の考えはいかがでしょうか。
(市長)
この話のきっかけはやはりコロナの感染拡大による、大企業含めての、リモートによる作業、仕事が出てきたことによって、どのようにしてそれを受け入れるまちになるかということなのですが、これは、昨日も職員と相当議論しました。
今、東京が3,000人くらいの転出超過になっています。東京が転出超過の中で、近隣で転入超過になっているところがどのくらいあるかというと、埼玉、千葉、茨城など周りのところが転入超過なのです。東京の転出超過の部分を、近隣の県でもって受けているのです。
新幹線があって東京から2時間だという話をよくしますが、例えばAという大きい商社が8割ぐらいリモートの仕事になり、会社には週に1回通えばよいというようなことになってきているという状況を、我々はその人たちを受けましょうということになるかならないかという議論をしなければいけないと思っています。
例えば、軽井沢は月に何百人も増えていると言われています。長野県も随分テレワークを含めてのワーケーションには補助を出したりする取り組みをしていますから、新幹線で週に1回、本社に行けばいいという人たちを受ける受け皿としてうけるのでしょう。
それがいま見ていると、埼玉、千葉、茨城辺りでこのようになっている。
そういう時に、その人たちが、この新潟の上越というところまで、交通の便が良いのだけども、来るのか。魚釣りもできるし山登りもできるという話は、我々の頭の中にあるのですが、月曜日から金曜日まで仕事する人がそこに住んで、魚釣りや山登りと、そば打ちでもいいですけど、そういうことの中でどれだけ若い人たちが動いていくのか。これが逆に常態化して、これからの日本の社会の状態だということになると、首都圏を含めてどういう状況が起きてくるかという、そういうことも考えなければなりません。我々は移住を含めて一生懸命やっているのですが、そのまま冠をかけてやるかどうかという議論の中で、これからは、職を持っている人に入ってきてもらいたいと。会社の中でワーケーションなり、リモートで仕事をするという会社が、こういう状況がずっと続いていくかどうかという、この辺の見定めもしないと。空き家に住んでもらってそういうことができるよということになるのですが、子供さんを連れて地域にどれだけの人が来てくれるのか。四季折々の変化の中で、雪もある、春の綺麗な時もあるといったことを楽しんでもらえるような形の中で、企業に対する宣伝をしなければと思っています。
妙高市が取り組まれるのはそれだと思いますし、我々は取り組まないわけではなくて、そういうものを、少しターゲットを決めてやってみればと思っています。
この状態が、これからの経済の常態として定着していくのかも見定めなければいけないという感じもしています。頭の中ではそういうことが言えて、マスコミも含めて色々なことを言う人がいますし、例は何件かあるかもしれないけれども、本当に何十人という形で出てくるかどうかという感じもしています。いずれにしても、リフレッシュするときは山登りも含めてというようなことでやっていますから、そんなことを見ながら我々は我々の戦略で企業に当たり、町家に住むとか、色々な形の工夫をしていければと思っています。
(記者)
そうですね。マスコミも成功例みたいなものには飛びつくけれども、成功例の裏には失敗例もあるわけですから。
(市長)
また皆さんから教えていただきながら、取り組む方向性を作っていければと思っています。
(記者)
10月24日の原子力防災訓練についてです。市長も直江津でのスクリーニングなどを視察されたかと思いますが、所感と、課題に感じたところがあればお願いします。
(市長)
バスでの住民の移動、それからスクリーニングを行った後でもコロナに感染している人についてはどうするかという、可能性のあるものを全部集約しながら実施したのですが、慣れていないやり方で初めて行うことは、その積み重ねが訓練だと思っています。
災害が起きた時に、どれだけのものを集中的に、職員の配置を含めてできるかというと、なかなか大変だというか、大掛かりなことだと思いました。
訓練は県の職員、東電の職員、それから団体にお願いしたのですが、そういう人たちが混在する中で、普段から密接な連携を取っていなければ難しいと思いました。ハンドリングする人が誰かが見えなくて、予定していた訓練にしてはやはり難しいと思いました。
それから、人もあれだけ一気に集中して集められるかどうかということなど、実際の時にどこまでできるのか、やはり訓練を何回も繰り返しながら行っていくしかないと思いました。
(記者)
新年度予算についてですが、この時点での編成状況、今後の見通しやスケジュール感を教えてください。
(市長)
スケジュールとしては、いつものタイムスケジュールですが、今年は国の概算要求が9月末で遅くなりました。地方交付税や税収などの歳入の見込みが大事なのですが、国では地方交付税を4,000億円ほど減らすとのことです。交付税の原資となる法人税や酒税といった国税が減収するということなのだと思いますが、国のレベルでこれだけ減るとの前提からすると、我々の地方の自治体においても、税収は相当減るということになると思います。その税収、入ってくる収入をまず見なければいけないのですが、なかなか今の状況では見づらいということです。
歳出については、国の新しい制度があれば別ですが、内部的なものは、今、担当部局がヒアリングを始めたところですので、少し遅れていますが、1月には私が査定できると思います。
スケジュールは変わっていないのですが、今年は国の関係も少し遅かったので、その誤差をどうやって吸収するか、交付税を含めて税収をどう見積もるかという難しさはあると思います。
(記者)
市長の任期が残り約1年ということですが、次の市長選についてお考えがありましたら教えてください。
(市長)
今話したように、コロナへの対策、税収がどうか、そして、私の任期の中で最後の予算を組むときにこういう状況ですので、どうやってまとめるかということに集中していますので、自分の次のことについては、時を見て、関係する皆さんに私自身が相談する時期が来るのだろうと思いますが、今は全くそのような状況にありません。国に対して我々の厳しい状況を伝えながら、国からの支援が得られるかどうかに頭を巡らせています。次の話については、今は全く考えに至っていません。
(記者)
先ほどのハンコの件ですが、大げさかもしれませんが、例えば、自治体を含めた行政がハンコ文化を担っているという一端があると思います。一方で、省庁で大臣が大事な省令なんかにサインする、その花押(かおう)はやめないということを言い出しています。文化と行政の効率化、あるいはハンコ産業はそんなに大きくないですが、その辺の両立や線引きをどういうふうに市長はお考えですか。
(市長)
二つあって、そのハンコの話はどっちの話をしているのかなと思っていました。役所の中で決裁するときに、今はハンコ文化ですからハンコを押していますが、その話をしているのか、それとも国民や市民が手続きをするときに、記名捺印、署名押印という話になっているので、そのことをなくそうとしているのかというのが、私自身はどちらか分からりませんが、どちらもだろうと思って今まで話をしています。
だから、どちらについても、省略なり、そのことについて内容を見極めてやらなければならない。それが、先ほど言ったように、権限でずっと必要だということになると、条例では30人くらい押印するんです。
そういうものをどうやって決裁区分を決めて簡素化するか、それでハンコの数が減るということです。ハンコが悪いのではなく、ハンコというものによって、特に役所などは時間がかかったりする。決裁権限について言えば、「お互いにハンコを押した」と責任回避の弊害もあります。
もう一つは、外から来られる方がハンコを持ってこないで「ここに押印が必要だ」というときに、「今日はハンコ忘れちゃった」と。「じゃあまた来てください」という話になるときに、ハンコが必要かどうかという議論から今の話になるのではないかと。
そういう議論と、さっきの役所の中の議論は二つに分けて考えなければいけないと思っています。役所内部の話は処理できますが、市民の方が来た時に「ハンコなんかいらないだろう」と言われても、「ハンコを押すことになっているから押してください」という話ですから、規則や条例の様式の見直しという点で見たときに、「これはどうしてもハンコがいる」と選別するか、あるいは「これは本人確認書類があればいい」というものもあると思います。その洗い出しをして欲しいと先日指示したということです。
私は、個人的には、同意の時はハンコが要るけど他は要らないのではと思いますけれど、それを職員に整理をしてほしいとお願いしたので、早い時期に整理ができると思います。
(記者)
トキ鉄についてですが、前の由利高原鉄道社長の春田さんが、営業部長としておいでになって、会社としての体制が整ったと。春田さんに対する評価というか、今後への期待はいかがでしょうか。
(市長)
今のトキめき鉄道の実態からすると、移管するときに、県知事を中心としながら将来的な20年、30年の財務の安定性を相当議論してスタートしたのですが、残念ながら、やはり5年後には料金を上げなければいけないという状況になりました。
今の財務体質を見ると、もう3年から5年でまた料金を上げなければならないというようなこともありますし、乗客が減ることによって非常に経営的にも厳しい。しかし、老朽化した変電施設を含めて、直していくものが相当あるという状況です。石を缶に入れて売ったとか、冬の景色の絵はがきを売ったとか、雪月花を大糸線に走らせるとか、それはそれで大事なことだと思います。そういう色々な工夫をされて、経営の観点で頑張っておられると思います。
しかし、本来的に人を運ぶという中での基本的収益は非常に厳しい状況になっている。ですから、そのことを、運営する会社と、最大株主の新潟県がどう見るか、我々は地域の足として使わせてもらっている株主であるけれども、どうやってその会社の経営を見ていくかというのを注視しなければいけない状況になってきていると思います。
そういうことを踏まえて考えると、持続可能な鉄道経営に繋がっていくのかという議論は、やはり、県も、それからもちろんトキ鉄もしっかりやっていく必要があるんだろうと思っています。
会社の中の体制と、やるべき意欲は本当に肌で感じますから、それをスポットではなくて、会社全体の体力づくりのためにどうやって生かしていくか、これから知恵がいると思っています。
(記者)
市長は春田さんに実際にお会いになったことはないのですか。
(市長)
ないです。
(記者)
9月にこちらにいらっしゃって、支局にご挨拶に来ていただいた際に、今までは専任の営業部長がいなかったので、何を強力に打って出るかというのが今ひとつ絞り切れなかったが、野球で言うと、ねらい球を絞って、コースを絞ってという営業戦略という形で今後、営業を展開していきたいというお考えをお聞きしました。
(市長)
今回、観光庁で募集した事業に採択されたようです。D51蒸気機関車を持ってくると聞いています。2,000万円の経費がかかるということですが、そういう話題づくりを含めて、この地域の鉄道に色々な人の関心を集めるということは決して悪いことではありませんし、そういうものを積み上げていってほしいと思っています。
(記者)
「あかね」の話に戻りますが、4者会議の中で、「あかね」の売却先は見通しがついているのか、市長からお聞きしたりしなかったですか。
(市長)
しましたが、今は話をするような状況ではなくて、「そういうように働きかけているけれども」というようなお話でした。だから、どこのどの会社ということは聞けなかったし、どういうところで売れるかという話もしていないです。
(記者)
確認ですが、やはり佐渡汽船が経営再建の黒字化に向けたスキームを明確に出さない限り、市としては、佐渡汽船が求めている行政支援には手をあげられないということですか。
(市長)
そうですね。今の改善のスキームというのは、「あかね」を売却して、売却した資金を会社経営の安定化に向けて使うという前提ですから、そのことによってどういう状況が生まれて、もっと経営改善するにはどんなことが必要なのかという議論が必ず出てくると思います。その時には、やっぱり最大株主である県がリーダーシップを持つのか、佐渡汽船が自分たちの金融機関等に資金をお願いしながら、県や佐渡市や新潟市や私にもお話になるのか、その時には話は出ませんでしたが、私はそういうことが必要だろうと思っています。
(記者)
「あかね」は通常ですと11月後半から冬期運休になると思いますが、そうするとこのままラストランになる可能性があるのでしょうか。
(市長)
今の予定で行けば、4月までぐらいには売却になるでしょうから、もうラストランになるのではないでしょうか。
(記者)
小木・直江津航路では見納めになるのでしょうか。
(市長)
そういうことでしょう。順当に今のスケジュールでいけばですけれども。
私もこの8月に佐渡の行き帰りに乗りましたが、その時は本当にもう車よりも静かでした。海が荒れた時がどれくらいあったのかというと、航行したうちの2割ぐらいだったそうです。
もう一つ、ジェットフォイルですが、「あかね」が航行できるような波でもジェットフォイルが運航できないことはいっぱいあります。天候に非常に左右されるかもしれないと思っていて、予定が決まっている旅行者などは、待っていられないから新潟まで行って乗るということにもなるだろうと思います。
(記者)
そのことに関して、結局、ジェットフォイルになるということになれば、上越市としても、新たな観光戦略というか、ジェットフォイルに合わせた別の観光のあり方と、二次交通ということもまた見直しが必要になってくると思うのですが。
(市長)
それは必要になってくると思います。今回の4者会議でも、二次交通を確保してほしいということをお願いしました。私も小木に船が着いた時にバスが来るかどうか、レンタカーがどのぐらいあるのか見に行きました。
そういう面を含めてジェットフォイルになった時は二次交通を整備してほしいとお願いしてありますし、佐渡汽船にやってもらいたいと思います。
それから佐渡汽船はまだ大阪に営業所を持っていると思います。大阪の営業所が関西の皆さんに旅行を働きかけた場合は、「あかね」の時とジェットフォイルではずいぶん違ってくるだろうと思っています。だから佐渡汽船には営業の展開についての努力もお願いしました。
(記者)
代わりに来るジェットフォイル「ぎんが」ですけれども、かなり老朽化していて、たしか鯨にも激突した時があったと思います。ジェットフォイルなのはやむを得ないとしても、古くて、そもそも更新が予定されていた船です。
故障してしまえばもう代わりの船がないという状況になってしまうので、その辺の故障リスクが大丈夫なのかという心配をするのですが。
(市長)
佐渡汽船が考えていた船への投資は大体皆凍結といいますか、止まっています。「ぎんが」をリプレイスして新しいものにするということも止まってしまった。だから新潟航路に「ぎんが」を含めて3隻あったのが2隻しかなくなるわけです。その1隻をこちらに持ってくるという話ですから。本当は「ぎんが」が老朽化したから新しい船を作るという話だったのに、それもできなくなったということですから、そう考えると会社がしっかりしてもらうという前提をなくして議論できなくなった。「ぎんが」に故障もなく走ってもらうしかありません。
直江津港はカーフェリーとジェットフォイルが両方運航していた時代がありました。今から思うと隔世の感ですが、佐渡の方たちが高田の医院に「あかね」に乗ってきて診療を受けて、その日のうちに佐渡に帰ることができるようになった。それがたった5年前です。
それだけ佐渡市の人口動態の変化、人口減少と高齢化が急激に進んだということだと思います。佐渡市の人口は以前10万人だったのが、今は5万人です。観光地としての佐渡市の復活がどうしても必要です。
新潟県の一番の観光の拠点になると言われる、佐渡観光の受け皿をどうやって作っていくかということが大事で、そこに世界遺産の話、新幹線の敦賀の話が乗ってくる。それに備えたり、皆が温めてきたものを開花させていくとか、今日明日の話ではなく、先を読みながら何かできればいいなと思っています。1日何万人ぐらい受け入れて、どういうルートで送客するかという、観光の受け皿づくりみたいなものをやる必要があって、もう少し県全体での観光利用を考えていくことが大事なのだろうと思います。
以上