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上越で見つけたドイツ 蒸気機関車「コッペル号」

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印刷用ページを表示する 掲載日:2021年6月3日更新

上越市は、東京2020オリンピック・パラリンピックにおけるドイツのホストタウンです。このページでは、私たちの暮らしの中にあるドイツとのつながりについて皆さんにご紹介します。今回は大正時代から大切に保管されてきた蒸気機関車「コッペル号」について紹介します。

上越市頸城区の「くびき野レールパーク」に1911年にドイツのオーレンシュタイン・ウント・コッペル社から日本にやってきた蒸気機関車「コッペル号」が大切に保管されているのをご存知ですか。今回は、「コッペル号」の動態保存などの活動をされているNPO法人くびきのお宝のこす会・西山義則会長にお話をお聞きしました。

(オーレンシュタイン・ウント・コッペル社:1876年ベルリンで設立された機械製造会社で、ドイツで初めて鉄道網建設分野に参入しました。特に創業当初は蒸気機関車を盛んに製造し、その後、重機や船、エスカレーターなどを製造し、世界中に輸出していました。)

「コッペル号」車体胴体のプレート(写真)

「コッペル号」車体胴体のプレートには、オーレンシュタイン・ウントコッペル社と表記されている。


Q:上越市にあった軽便鉄道について教えてください。

A: 明治後期から大正初期の日本では、軽便鉄道の開業がブームとなり、多くの蒸気機関車がドイツから輸入されました。軽便鉄道は一般の鉄道より線路の幅も車両も小さく、比較的安価に建設できたので、頸城地域においても建設の機運が高まり、大竹謙治と山田辰治の兄弟が中心となり、「頸城鉄道株式会社」を設立し、1914年10月1日に「頸城鉄道」が開業しました。その後、人々の生活や行楽に欠かせない存在として、1971年の全面廃止までの57年間、地域の人々に愛されてきました。

1960年(昭和35年)頃の百間町駅の様子(写真)

1960年(昭和35年)頃の百間町駅の様子(西山義則さん提供)


Q:コッペル号にまつわるお話を教えてください。

A: 「コッペル号」は廃線の翌年1972年から5年間、西武鉄道・山口線に貸し出され、「謙信号」として走りました。その後、上越市に戻り、しばらくの間、車庫に眠っていました。コッペル号以外の車両は、神戸市の熱心な鉄道愛好家の曽我部光明氏によって購入され、保管先の六甲山中に線路を引いて、子どもたちのために走らせようとしていましたが、その矢先、亡くなられました。

その後、頸城村の商工会議所の人たちの「車両を頸城に里帰りさせたい」という思いが、曽我部氏のご子息に届き、保管されていた車両が2004年11月20日、33年ぶりに上越へ帰還しました。翌年、旧百間町駅や旧機関庫の跡地を利用した「くびきレールパーク」が誕生し、再び「コッペル号」が注目を浴びることとなりました。

大切に保管されてきた「コッペル号」(写真)

大切に保管されてきた「コッペル号」


Q: 現在の活動について教えてください。

A:車両と資料館は、イベントとして年5回程度公開し、その他にも予約制で見学を受け付けています。運転手の都合が合えば、車両を動かし、乗車することも可能です。各種団体や市内の保育園の遠足や小学校の総合学習の一環として利用されています。車両と資料館の見学はすべて無料です。

現在、NPO法人くびきのお宝のこす会の正会員は76名、法人会員が10社で、会員数は減少傾向にありますが、会員の皆さんとともにこの地域と鉄道の文化をつないでいきたいです。

「コッペル号」が保管されている「車両展示資料館」(写真)

「コッペル号」が保管されている「車両展示資料館」

頸城鉄道の資料が展示されている「軽便鉄道資料館」(写真)

隣接の「軽便鉄道資料館」では様々な頸城鉄道の資料を展示している。

 頸城鉄道物語「コッペルじいさんのひとりごと」

コッペル号のことを知ってもらうため、頸城鉄道を題材にした絵本「頸城鉄道物語 コッペルじいさんのひとりごと」が、頸城区の読み聞かせサークル「ワンダーランド」によって制作されました。市内の小中学校や4つの図書館(高田、直江津図書館と頸城、浦川原分館)に寄贈されています。

絵本「コッペルじいさんのひとりごと」(写真)

このページに関するお問い合わせ先

上越市

〒943-8601 新潟県上越市木田1-1-3電話:025-526-5111Fax:025-526-6111

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