上越市では、東京2020オリンピック・パラリンピックの開催に当たり、市民の皆さんの機運醸成を目指し、様々な取組を行ってきました。大会終了後も引き続き、市民の皆さんから、オリンピック・パラリンピックを身近に感じていただけるよう、情報発信に取り組んでいきます。
このページでは、上越に所縁のある高校生のアスリートたちを取材し、選手たちの素顔やオリンピックに対する思いについてお聞きしたインタビューの内容を皆さんに紹介します。
今回は、上越市で生まれ育ち、中学3年の時には全国中学校水泳競技大会で100メートルと200メートルバタフライで準優勝の成績を収め、2021年7月に行われた水泳競技・北信越大会50メートル自由形で23秒22の大会新、100メートルバタフライ54秒43の大会新での2冠に輝き、インターハイに出場された直江津中等教育学校6年の矢澤祥太(やざわしょうた)さんにオリンピックに対する思いなどを聞きました。
Q:競技を始めたきっかけを教えてください。
A:2歳の頃、喘息を発症し、お医者さんに水泳を勧められて、スイミングスクールに入りました。当時は、親と離れる際に泣いていたことを覚えています。
小学4年の時
Q:バタフライの種目は筋力を使い、一番大変だと思いますが、バタフライを専門種目に選んだ理由を教えてください。
A: 小学校に入って間もなくバタフライを習得し、小学2年の頃から得意種目になっていました。他の種目よりも、苦しい種目ですが、身体の調子がよいときは、どんどん躍進していくので、とてもやりがいを感じていました。
小学6年の時
Q: 長年、水泳競技を続けてきて良かったことを教えてください。
A: 続けることの大切さを学べました。勉強に関しても、他のことに関しても、継続しているからこそ得られるものがあり、水泳を続けたことがいろいろな面でも活かされています。両親に対しては感謝の気持ちが大きく、毎日の送迎だけでなく、調子が悪くて苦しいときにも、励ましてくれたり、常にサポートしてもらいました。両親のサポートなしでは、ここまで来られなかったと思います。
上越地区水泳大会にてリレー2冠達成
(高田西小学校6年の時。中央のトロフィーを持っているのが矢澤さん)
Q:スポーツに怪我や故障はつきものですが、今まで怪我をされていたら、復活に至るまでのお話をお聞かせください。
A: 高校1年から2年の季節の変わり目に喘息が出てしまい、コロナ禍も重なり、なかなか練習時間を確保することができませんでした。その時は休息したり、ふだん時間が取れない勉強に力を入れたりして乗り越えました。高3の北信越水泳大会の後、中学の頃から抱えていた腰痛が悪化しました。我慢しながら、練習を続け、インターハイに出場後、病院で検査を受けたところ腰椎分離症と診断を受けました。8月から11月まで通院、治療に専念し、現在は軽く泳げるほどまでになっています。
カウントダウンボード除幕式(2019年7月)にて挨拶をする矢澤さん
Q:全中、国体、インターハイと大きな大会を経験されていますが、大会時には緊張されますか。緊張をほぐす方法やモチベーションアップの方法がありましたら、教えてください。
A:緊張で縮こまるときもありますが、大会を思いっきり楽しもうと笑顔を心がけています。他の競技や他の種目以上に苦しい練習を積み重ねてきたので、大会は自分の実力を発揮する場として、楽しむようにしています。
カウントダウンボード除幕式(2019年7月)にて勝どきを挙げる矢澤さん(一番左)
Q:オリンピックに対する思いを聞かせてください。
A:大学卒業後はまだ決めていないですが、大学はスポーツ推薦で入学させてもらうことになったので、在学中に活躍したいです。インカレなどの大会があり、さらに自分が大学3年の時にパリオリンピックがあるので、そこを目指して頑張っていきたいです。
高校1年の時、北信越大会にて(中央5レーンが矢澤さん)
Q:競技以外の特技や趣味がありましたら、教えてください。
A:料理をすることが好きです。携帯でレシピを見て、買い物もします。競技のことを考えて、良質なたんぱく質を摂るために鶏肉料理を作ることが多いです。
矢澤さんの作った鶏肉料理「つくね」
矢澤さんの作った鶏肉料理「油淋鶏」
Q:競技の日の朝は何を食べますか。もし勝負飯みたいなものがありましたら、教えてください。
A:大会の前日や朝は揚げ物などを避けて、うどんなど消化のよいものを食べるようにしています。元々、うどんが好きなので、遠征先では、お店を探して食べに行くこともあります。
高校1年の時、アメリカオレゴン州へ短期語学研修に参加