この絵像は、本願寺10世の証如(1516~1554年)の画像です。
本願寺11世の顕如の時に、織田信長と本願寺が敵対し、石山戦争(1570~1580年)が展開されました。本願寺が水攻めにあった際に、この絵像が水に浮かんでいたことから、「水難の御影」と呼ばれるようになりました。
本紙縦95.5センチ、横39.5センチで、裏書には「釋顕如(花押) 天正三年乙亥七月廿六日書之 浄興寺門徒越後国頸城郡下郷三ツ橋村 願主釋教心」とあり、天正3年(1575年)に顕如から当市三ツ橋村に下付されたことがわかります。浄覚寺は江戸時代に三ツ橋村から現在地に移りました。
昭和49年8月1日に旧板倉町の文化財に、平成19年6月1日に上越市文化財に指定されています。