童子のあどけない姿が愛らしく表現されている如来像
金谷山の坂道を登りきる手前に医王寺薬師堂があります。ここの本尊がこの銅造如来坐像です。
この像は、民謡「米大舟」(べいだいしゅう)(市指定文化財)の中で「田舎なれども金谷の薬師」と唄われており、古くから地域の信仰を集めてきました。
寛永年間(1624年~1643年)に、本像を篤く信仰した高田城主松平光長(みつなが)の母勝子(かつこ)(高田姫)が薬師堂を建立したと伝えられています。
全高23.6センチメートル、像高17.2センチメートルで、像全体に比べて頭部と手がとくに大きく表現されており、目は二重まぶたで厚い唇がやや開きます。
左手に持物(じもつ)はありませんが、薬壺(やっこ)を持っていたと推測されます。懸裳(かけも)にいたるまで、衣摺(いしゅう)の稜にはタガネで複連点文を施し、鋳造も厚手に均一化された丁寧な造りですが、火災にあったため鍍金(ときん)を失い、首も損傷を受け右に少し傾いてしまいましたが、それが一層愛らしさを増しているようです。
童子のあどけない姿がいかにも愛らしく表現された可憐な作品として注目されます。
制作は奈良時代後半とする説が主ですが、白鳳時代(7世紀後半)に作られた法隆寺の如来像と似た点が多いことから、奈良時代以前の可能性が高いと指摘されています。いずれにしても地方の残る古代の小金銅仏として注目すべき遺品です。