「馬塚古跡」と刻まれた石碑(1枚目)、周辺は整備されている(2枚目)
現地に建てられている「馬塚古跡」の説明看板(3枚目)
馬塚古跡は上杉謙信公愛馬の塚と言い伝えられ、古い石碑が立っています。
馬塚稲荷があった場所と伝えられていますが、石碑が設置された時期や建立の由来については分かっていません。馬塚稲荷は現在関町神明宮(南本町2丁目)に合祀されており、合祀された後、明治末頃に石碑が建立されたのではないかとも考えられています。
永禄4年(1561年)の川中島の戦いに、謙信公が敵陣に切り込んだ時に乗っていた愛馬(放生月毛の駒、団白号)が傷付き、謙信公とともに春日山城へ帰る途中、ここまで辿り着いて倒れたと伝えられています。
このあたりは昔、外馬塚町と言われ、この馬塚が町名の由来になったとされています。
馬塚稲荷及びその周辺は、近接する地域住民により維持管理が行われ、由来についても、代々口承されています。
地元の小学校等の地域学習や、謙信公ゆかりの文化財として来訪する方々がみられます。
南本町2丁目町内会
県道青柳高田線沿いに、毘のノボリ旗が立っております。
その少し奥に馬塚古跡があります。
近隣の方が清掃を行い、歴史の佇まいを残しております。
上越地域及び歴史愛好家の皆さま、是非一度訪れてみてください。
「上越市「地域の宝」を認定しました」をご覧ください。