城山遺跡全景(1枚目)、山頂(共有地)から望む、麓の集落(2枚目)
山頂に建立された石祠(3枚目)、毎年5月に執り行われる城山祭典(本祭)の様子(4枚目)
城山は、春日山城の支城、黒田城、今泉山城、今泉古城等が築かれたとされる、標高283メートルの山です。江戸時代、城山は大字今泉の飛び地となり、旧集落(今泉、土合、七ヶ所新田、脇野田、荒町)の共有地(入会地)となりました。昭和時代中頃までは、燃料の薪や牧草の採取地として利用され、入山規則を定め、大切に管理されてきました。昭和42年には高田発電所、城山浄水場等に協力し、共有地の一部を譲渡するなど、公共事業にも貢献してきました。現在も引き続き旧集落の共有地として、山菜採り等で利用されています。
山頂には、文化13年(1816年)8月建立の石祠があり、城山神社として毎年5月に祭典が行われています。例祭では、山頂(山頂祭)と麓の発電所脇(本祭)の2か所で宮司による神事が執り行われます。
城山管理者は、共有地を持つ旧集落の「城山割」納付者で構成され、代々大和二丁目町内会長が代表を務めています。祭典はもちろん、城山神社周辺の草刈り等のほか、地元小学校の総合学習の講師を務めるなど、保存活用・次世代への継承を図っています。
城山管理者
城山遺跡とは、金谷地区の中にある大和地区の飛地(大字今泉字城山)で、古くは中世の黒田城遺構、その後は今泉村飛地や今泉村外5ヵ村(後に4ヵ村)を源流とする城山共有地としての採薪、採草等の生活文化跡、そして共有者によって建立された城山山頂の神社、これらを総称した呼称です。
大和地区の関係者は、山頂の祠を城山神社の祭神として崇め、毎年5月に山頂祭と山麓の本祭を執り行い、往時を偲びつつ地域の発展と五穀豊穣、無病息災、家内安全等を祈願しています。
「上越市「地域の宝」を認定しました」をご覧ください。