今から約400年前、この地域に大干ばつが続いた。水田は亀裂し稲は生育せず、農民は大変苦しんだ。
たまたま村には、干ばつの時は山の池に行って竜神に雨乞いをしたという言い伝えがあった。
村僧は村人たちに「淨池を村内に設けて竜神に之を請い、常に別当(役人)を置いてこれを供養すべし」と説いた。直ちに、村人たちは青柳の池の形をした池を掘り、その傍らに僧房(お寺)を設けた。そして青柳の池の水を樽に入れて持ち帰り、その池に注いで大いに法楽(お祭り)を張り竜神を祝った。その後、慈雨が降りこの地域は潤って、村人たちはこれ即ち竜神の冥加によるものと喜んだ。そして新たに田地(新田)を開拓し、この収穫を僧房に容れて供養の料にした。
この供養の料にした灯明田は油田と称し、現在も横田家で耕作している。また、僧房は竜吟坊と号したが、その証跡は不明である。なお、いつ頃からかは定かでないが、池の隣には井戸があり、近年上水道が引かれるまでは、青竹で各家々へ引水し飲料水などに利用していた。