この地には、明治7年から同28年(1874年~1895年)まで、戸野目小学校の前身である四ケ所小学校が建てられていたという記録が残されている。
戸野目小学校が現在の地に移築されて後、跡地に旧中頸城郡津有村役場が置かれることとなり、木造二階建ての瀟洒な洋風建築は津有村政の象徴的存在となって、近年までその姿を留めてきた。
昭和25年頃から、旧高田市の「大都市計画案」による近隣村々への合併の働きかけが活発となり、津有村も新道村、金谷村に次いで昭和30年2月1日、高田市への編入合併を行った。合併時の津有村の人口は、合併した村の中で最も多い6,756人、面積は18.20平方キロメートルで、産業は稲作を中心とした農業が主流であった。
合併に伴い高田市役所津有支所、後に津有出張所となり、昭和40年出張所廃止と同時に、高田市立公民館津有分館、上越市立公民館津有分館として利用されてきたが、昭和56年11月、老朽化により惜しまれつつも現在の建物に改築された。
平成6年、津有分館が現在の平成町の建物へ移管となり、上越市老人デイサービスセンター「デイホーム津有」として現在に至っている。
注)平成25年3月31日「デイホーム津有」は廃止となり、現在は四ケ所町内会館として利用されている。