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千手観音堂

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印刷用ページを表示する 掲載日:2023年9月1日更新
所在地:四辻町
千手観音堂の看板の写真

 本尊は「千手観世音」木像。明治16年仏堂明細帳には、境内135坪・信徒人員36人、由緒創立年月不詳とあるが、昭和30年代に金原省吾新潟大学教授等が行なった調査では、鎌倉か室町時代初期の作と推定された。

 古来、この地域は水運(飯田川船着場)・往来(関田街道荷継所・松之山街道)・農業用水(重川用水堰場)の要衝であり、飯田川対岸には川浦代官所もあった。

 古い歴史を物語る伝承や史実は数多い。この観音堂は越後の国の横道12番札所であった。重川用水の開削は、行基和尚(668年~749年)の力によるという。また、木曽義仲(1154年~1184年) が北陸での平家との合戦に際し、甲州から関田街道を下ってこの地に至ると、愛馬が歩みを拒んだため堂に立ち寄り深く参拝したと言われる。さらに、平成14年着手の県営圃場整備での遺跡調査では、境内東側に古井戸が発掘され、子供の駒下駄や陶器等が出士している。

 往時の往来の賑わいと観音堂への参詣の多さは容易に推測できる。昭和30年代までは、毎年「団子まき~2月15日」「御施餓鬼~8月18日」の祭りが行われ、お釈迦様絵巻掲出・奉納相撲等もあって、近郷近在からの参詣者で賑わった。また、昭和27年には多数の禅宗導師を迎えて寺院(朝日山観音寺)に昇格した。

 しかし60年5月、最後の尼僧宣明没後は無住となったままである。

千手観世音木造の写真
千手観世音木造
 
釈迦涅槃図の写真
釈迦涅槃図
 
「津有の郷 文化遺産めぐり」(平成26年津有地区地域づくり協議会発行)から抜粋して掲載しています。

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