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江戸時代に発生した大火:直江津今町編

印刷用ページを表示する 掲載日:2017年8月18日更新

第12回公文書センター出前展示会では、「江戸時代に発生した大火:高田城下編」のテーマのもと、高田城下を対象として、大火に至った原因、大火からの復旧・復興の経過、高田城下の防火・消火体制の概要などを伝える資料を紹介しました。今回の展示会は、その続編です。港町として繁栄した直江津今町では、江戸時代に類焼家数100軒以上の大火が6回発生しています。これらの大火がどのような状況で発生したのか、大火に備えてどのような消火体制を編成していたのか、直江津今町の大肝煎を務めた福永家に伝来した古文書資料から具体的に解き明かしていきます。

展示説明資料 [PDFファイル/1MB]

資料1「民政局通達」(福永家文書:高田図書館所蔵)

本資料は、版籍奉還後に高田藩民政局から出された通達の控えです。展示説明資料の年表「江戸時代に上越市域で発生した大火」からも分かるとおり、上越市域では春に吹き荒れる強い南風によりたびたび大火が発生しました。このため高田藩は、江戸時代から領民に対して「雪消(ゆききえ)風立(かぜたち)候節(そうろうせつ)、別而(べっして)火之元入念(ねんいれ)候(そうろう)」で始まる通達を出しました。なお、この通達が出された日付は明治4年(1871)3月1日(新暦4月20日)ですが、3日前の2月28日(新暦4月17日)には、直江津今町で民家782軒、寺社2軒が類焼する大火が発生していました。

民政局通達(画像)

資料2「出火一件御用留(ごようどめ)」(福永家文書:高田図書館所蔵)

本資料は、文化15年(1818)3月4日(新暦4月9日)に発生した直江津今町の大火の後に、町会所が領(りょう)奉行所に提出した報告の覚えです。御用留によると、火災発生時の夜四つ時(午後10時頃)には激しい辰巳(たつみ/南東)風が吹いており、これが被災規模の拡大につながりました。また、「焼失家数」だけでなく「残(り)家」も記録されていることから、各町の焼失率も把握することができるため、被災状況を知る上で貴重な資料といえます。

出火一件御用留(画像)

資料3「川端町火札(ひふだ)割付帳」(福永家文書:高田図書館所蔵)

本資料には、慶応4年(1868)2月当時の川端町(現中央3=荒川町)の火災発生時の役割分担が記されています。割付帳には、1組3名編成でそれぞれの人足名が記載されていますが、これを「火札」と呼びました。川端町では、全部で44組131名の人足が登録されていました。このうち重要施設の類焼を防いだり物品を運び出したりする任務には11組32名、火災現場での消火活動には33組99名があたったことが分かります。

川端町火札割付帳(画像)

資料4「出火之節詰(つめ)人足控(ひかえ)」(福永家文書:高田図書館所蔵)

本資料は、廃藩置県後の明治5年(1872)に、高田県の統治下にあった直江津今町の町会所が定めたもので、火災発生時に各町から指し出す人足が記されています。記された内容そのものは、江戸時代のものをほぼ踏襲しているのではないかと思われます。渡守(わたりもり)と小揚(こあげ/材木以外の船荷物の陸揚げに従事した職人)以外の職人の役割分担にはふれていないので、職人の役割分担については、これとは別に定められていた可能性があります。なお、この控えには、人足が参加しなかった場合には罰金を科すこと、人足には手当てを支給すること、破壊消火で家を潰(つぶ)された家主には補償を行うこと、井戸の中への鍋・釜などの投げ入れを禁止することなど、火災発生時における直江津今町のしきたりも明記されています。

出火之節詰人足控(画像)

資料5「御請書(おうけしょ)」(福永家文書:高田図書館所蔵)

元治元年(1864)3月14日(新暦4月19日)に高田城下と周辺8か村が被災する大火が発生しました(民家1,755軒・寺社14軒・家中屋敷10軒・家中長屋130戸類焼)。本資料は、大火後の建築資材等の諸物価や大工をはじめとする諸職人の賃金の高騰を防止するために、高田藩が藩内の町役人・村役人に出した通達です。藩では、この通達の内容をもらさず全員に申し渡すよう町役人・村役人に伝え、これを実行する証(あかし)として請書を提出させました。直江津今町では、各町の丁頭(ちょうがしら/村の庄屋に相当する町役人)とその上に立つ大肝煎(おおきもいり/直江津今町の町政のトップ)・大年寄(大肝煎の補佐役)が署名・捺印して領(りょう)奉行所に提出しました。

御請書(画像)