2015年に、国内では上江(うわえ)用水路を含む4施設が、世界かんがい施設遺産に登録されました。この世界かんがい施設遺産は、歴史的・社会的・技術的価値のあるかんがい施設から選定されますが、上江用水路は新潟県内では初めての登録となりました。
川上地内(妙高市)の取入口から流末までを記した上江用水の水路の概略図です。
明治25年(1892年)に新潟県知事から町村長に対して「水利組合設置に関する資料を提出するよう」指令が出されており、その際に資料の一つとして提出されたものの写しだと考えられます。
川浦村の下鳥冨次郎をはじめとする31か村の願出でにより、安永4年(1775年)から3か年にわたり、上江用水の堀継が行われました。
その後、同7年から9年にかけて、幕府から派遣された役人等による現地調査が3回に分けて行われました。
この結果を受けて、同9年12月に、幕府は31か村に対して用水使用を認める裁許状を出しました。
明治27年(1894年)に、上江古組(うわえこぐみ:元禄年間に用水を掘り継いだ17集落)と新組(しんぐみ:安永年間に掘り継いだ31集落)により、上江用水普通水利組合が組織されました。これに伴い規約が作成されました。
資料3は、旧高士村役場で保存されていたもので、昭和8年(1933年)当時の規約です。
近代になってからも、取水口が近い上江・参賀・中江用水組合の間では、関川からの取水にかかわってたびたび訴訟が行われました。
しかし、訴訟による解決が困難であるため、3つの用水組合から提出された水利権にかかわる資料をもとに、大正10年(1921年)、新潟県知事は取水量の上限を示した行政命令を下しました。