御手洗池と片目鮒

印刷用ページを表示する 掲載日:2014年11月26日更新

御神体を背負ったまま御手洗池に沈む若者の画像
御神体を背負ったまま御手洗池に沈む若者

 潟町の西念寺は、昔は九戸浜村にありました。この寺のあった所は、現在海中と思われますが、この近辺のことをお寺屋と、今でも呼んでいます。

 そのころの御手洗池は、九戸浜と潟町にまたがっていました。けれども、九戸浜の方が広かったためでしょうか、九戸の諏訪神社のお手洗い池といわれていました。これが「御手洗池」という名前の起こりなのです。

 ところで、潟町に宿場ができたので、西念寺が九戸浜から潟町へ移ることになり、この時この御手洗池を管理するためにもらってきたといわれています。

 けれども、西念寺はこれを管理するのに大変困り、それを潟町のオモダチに任せるようになりました。そのころの池は、九戸の諏訪神社近くまで広がっていました。そして、そこに木造りの御神体が安置されており、その御神体には金の目玉がはめこんでありました。

 ある晩のことです。1人の若者がこの御神体の金の目玉を盗みに、こっそりとお宮の中に入りました。そして、用意していたのみで、コツコツと目玉をえぐり出し、やっとの思いで1つだけ取り出しました。けれども、もう1つの目玉はなかなか取れませんでした。そのうち、夜が明けかかったので、御神体を背負って逃げ出しました。

 若者が逃げる途中、御手洗池のそばを通りかかりました。するとどうでしょう。御手洗池の水がみるみる増えてきて、若者に押し寄せてきました。若者は必死になって逃げようとしましたが、御神体を背負っているので、思うように足が進みません。とうとう、御神体を背負ったまま、池の水に巻き込まれて沈んでしまいました。

 その時までは御手洗池の鮒も他の池の鮒と同じように、普通の鮒でしたが、この若者が御神体を背負い、池の中に沈んでからは、片目鮒となってしまったのです。

 片目鮒というと、目が片方にしかないように聞こえますが、目はちゃんと両方にあるのです。けれども片目はうつろで見えないのです。これは御神体が片目のまま沈んでしまわれたので、鮒も片目になったのだろうというのです。

 御手洗池は明治の世になり、神明宮の財産になりましたが、明治30(1897)年に潟町駅を作るために埋め立てられ、3分の1くらいの大きさになってしまいました。けれどもとても深く、溺れても網にかかったことはなく、長い間「すじんこがいる」とも言われてきました。
(潟町 西念寺の口碑による)


(出典:昭和63年5月30日発行 大潟町史)