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小川未明について

印刷用ページを表示する 掲載日:2016年4月1日更新

日本近代童話の父(日本のアンデルセン)

上越市高田出身の小説家・童話作家、明治15年(1882年)、現在の幸町で旧高田藩士の家に生まれ、中頸城尋常中学校(現 高田高校)へ入学。卒業後は小説を執筆するかたわら童話を意欲的に発表し続けました。昭和36年(1961年)、79歳で死去するまで1000点以上の作品を送り出し、「日本のアンデルセン」として、現在もたくさんの読者に親しまれています。
未明肖像写真

生涯

西暦(年号)

年齢

出来事

1882年(明治15年)

0歳

上越市幸町に生まれる

1888年(明治21年)

6歳

4月、岡島小学校(現、大手町小学校)へ入学

1895年(明治28年)

13歳

4月、中頸城尋常中学校(現、高田高等学校)へ入学

1897年(明治30年)

15歳

この頃、一家春日山に移る

1901年(明治34年)

19歳

4月、東京専門学校(現、早稲田大学)へ入学

1904年(明治37年)

22歳

9月、「漂浪児」を「新小説」に発表。坪内逍遙から「未明」の雅号をもらう

1905年(明治38年)

23歳

7月、早稲田大学英文科を卒業

1906年(明治39年)

24歳

5月、長岡市山田藤次郎長女キチと結婚

1907年(明治40年)

25歳

6月、第一短編集として「愁人」を出版

1908年(明治41年)

26歳

新ロマンチシズムの研究会「青鳥会」をつくる

1910年(明治43年)

28歳

日本最初の創作童話集といわれる第1童話集「おとぎばなし集 赤い船」を出す

1919年(大正8年)

 37歳

3月、労働文学雑誌「黒煙」を創刊 著作家組合会員となる
4月、児童雑誌「おとぎの世界」主宰 「牛女」「金の輪」などを発表

1921年(大正10年)

39歳

2月、「赤い蝋燭と人魚」を発表

1925年(大正14年)

43歳

日本小説家協会員となる

1926年(大正15年)
(昭和元年)

44歳

3月、「日本童話作家協会」創立に参加
4月、小説の筆をたち、童話に専念することを決意

1937年(昭和12年)

55歳

5月、童話雑誌「お話の木」を創刊、主宰する

1944年(昭和19年)

62歳

9月、小国民文化功労賞を受ける

1946年(昭和21年)

64歳

3月、日本児童文学者協会を創立
12月、第五回野間文芸賞を受賞

1949年(昭和24年)

67歳

10月、児童文学者協会初代会長になる

1951年(昭和26年)

69歳

5月、芸術院賞を受賞

1953年(昭和28年)

71歳

11月、芸術院会員となり、文化功労者として表彰される

1961年(昭和36年)

79歳

5月6日、脳出血で倒れ、同月11日死去
6月20日、早稲田大学大隈講堂で追悼記念講演が開かれる

未明ゆかりの地