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村山市長記者懇談会内容(令和3年4月27日)

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印刷用ページを表示する 掲載日:2021年6月2日更新

市長記者懇談会を開催しました。

  • 日時:令和3年4月27日(火曜日)午前11時~11時55分
  • 会場:市役所 4階 市長応接室

質疑概要

(市長)
 年度初めの本当に忙しい中お集まりいただきましてありがとうございました。春は光と匂いだという人もいますが、早緑がもう若葉に変わっていますし、海風も変わりがあるなと感じます。まさに今のこの時季、さわやかな風の中で春はきらきらと輝く、そういう状況の中で思いますと、あの豪雪は何だったのだろうかという思いを強くしています。
 そうは言っても、新しい年度・体制が始まってひと月が経ちました。新型コロナウイルスの感染防止対策に一層力を入れていくと同時に、議決いただいた令和3年度予算の施策・事業の実施を早く取り組み、効果を発現させたいと考えています。
 大型連休が始まりますが、連休中の観光を楽しみにされていた方、この上越、新潟県に来てみたいという人がたくさんおられたと思いますし、学生を始めとして帰省することを楽しみにしていた皆さんもたくさんおられると思いますが、今のような状況になってしまいました。新型コロナウイルスの変異株が急激に増えているということで、25日からは大阪・東京・兵庫・京都という4都府県で緊急事態宣言が発令されているということもあります。またその他の県においても、まん延防止等重点措置が講じられているということもあって、新型コロナウイルスの第4波が本当に猛威を振るっていると思います。県内を見ますと、新潟県でも感染症患者が高止まりしている状況にあるという中で、新潟市においては、特別警報が発令されているというような状況です。せっかくの大型連休に足止めを食ったような感じがして残念だなと思いますが、やはりここをしっかりと乗り越えていかなければならないのも事実だと思います。4月21日から介護保険施設における新型コロナウイルスワクチン接種が始まりました。連休明けの5月10日からは65歳以上の皆さんの接種が始まり、順次進めていくことになります。しかしながら、接種が終了するまではまだ時間が必要だと思いますので、私たちは自分でできる新しい生活様式、マスクをし、手を洗い、うがいをするといった市民一人一人が感染拡大防止に努め、そして早く終息するように取り組んでいければと思っています。年度初めであるのに、あまりウキウキとするような気分にならない昨今でありますが、市民と力を合わせながら取り組んでいければと思っています。私からは以上であります。

(記者)
 昨日も市長がコメントを発表されていますが、この大型連休中、市民にどのように行動していただきたいか、改めてお話しいただけますか。

(市長)
 私が皆さんにお話しさせていただいた内容が、市民の皆さんへ届くようにご協力いただきたいと思います。今日はまた、新型コロナウイルスワクチン接種の対応について、担当部長から皆さんにお話しする機会を設けていると思いますので、その中でも、市民の皆さんに伝わればと思っています。他者だけが感染するのではなく、自身もいつ感染するか分からないという状況の中での防止対策ですので、一人一人がその思いを強くしながら取り組む、生活することが防止につながると思います。市民の皆さん自身が考えているその対策を徹底していただきたいと思っています。

(記者)
 新潟市に特別警報が出された際に、市長メッセージを発せられていて、新潟市を含めて感染拡大地域との往来というのは慎重に検討してもらいたいというのを市民に呼び掛けられました。今回の大型連休に当たっても感染拡大地域との往来、新潟市ですとか、もちろん東京や関西地方もそうですが、往来は慎重に検討してもらいたいというお考えでしょうか。

(市長)
 新潟市に限らず、感染拡大地域との往来は慎重に検討していただきたいと確か文章の中で書いてあると思います。新聞記事で「上越市長が新潟市に行かないようにと発した」との報道された翌日に市長会のため新潟市へ行きましたら、隣の席が中原市長でした。慎重に検討してほしい、慎重にご判断いただきたいというのが私の思いですが、どうしても避けることができないこともあるでしょう。お祝いがあったり、色々なことがあったりすると思いますが、そのことを前提にしながら、自分が徹底した対応を取って、お出掛けいただくことがあるのかもしれません。先ほど私がお話ししましたように、自分事であるけれども他人事でもあるということに思いを致しながら行動していくことが大事だと思っています。

(記者)
 昨年の大型連休も同じような状況になり、その昨年のことを思い出すと、上越妙高駅で、来られる人に対して「気を付けてください」というアナウンスがあったと思うのですが、今回はそういうようなものはありますか。

(市長)
 今回はこれだけ徹底したといいますか、1年間で私たちが学び取ったというか、自分のこととして考えたことが随分ありますので、特別なことがなくても対応はできると思っています。来られる方への注意だけでなく、私たちが出掛けるときについてどうかということにもなるかと思います。移動することの判断の中でやむを得ずおいでになった方もおられると思いますから、そこまでは今考えていません。

(記者)
 明後日で高田市と直江津市が合併して50年という節目の年ですが、これに対して、市長のお考えをお聞かせください。

(市長)
 広報上越5月号に別冊版として合併について掲載しました。私にとって非常に思い出深く、新潟県に勤めたのが1971年4月1日で、その4月29日が合併の日でしたので、新潟市にいながら、上越が一つになると承知していました。それから、私が入った課の課長が途中で変わり、新しい課長は直江津市の助役をしていたのですが、合併が成就したことにより県庁に戻ってきた人でした。高田市と直江津市の合併は、私が勤め始めた最初の年であり、また、その課長が直江津市の助役として合併に尽力されたというような事があったので、非常に印象深いのです。
 新潟市にいたときにも、JC(青年会議所)の若い人々が合併する機運を作ったという事は聞いていたのですが、上越に来て調べたり、仲間と話したりすると、やはり準備がずっとされていて、それからJCの大きなムーブメントが起きて、その中で市民全体が一緒になろうというまちづくりが進んだのではないかと思っています。

(記者)
 平成の大合併も経験されていると思うのですが、平成の合併と当時の昭和の、いわゆる高度成長期の末期ではありますが、その時に、新たに市になる、市と市とが合併してさらに大きな市になるというのは、比較にならないような衝撃というか、平成の大合併とは違う考えがあったかと思うのですけれど。地方で、しかも一大拠点都市ができるのは、かなりインパクトがあったのではないかと思います。

(市長)
 あったのではないでしょうか。国においてもあったと思います。私も、14市町村の合併後に地方交付税が一本算定になる際、総務省に随分お願いに行った時の話をしますが、総務省の皆さんも、上越市ができた高田市と直江津市の合併というのは、ある種稀有というか、全国的に見ても珍しい取り組みだという話はされていました。ですから、昭和46年の合併というのは、この地域に一定規模の中核都市を作っていくという、そういう思いがあったと思っています。また、道路整備が進んだ時代でもあり、高田と直江津が近くなったということ、旧国道ではない新しい道路ができたことによって、街の繋がりがたくさん出てきたということもありますし、道路が連たんしてきたという中で、一つのまちづくりが始まったのではないでしょうか。昭和の合併は、そういうまちづくりの中での合併だったと思いますし、平成の合併はやはり国の財政の問題があった異様な状況の中で、小さな市町村が立ち行かないと言われ、国や県の主導という面があったと思います。ですから合併そのものの自立性、自発性というのは昭和46年の合併の方が強かったのではないかと思っています。

(記者)
 当時はきっと、盆や年末などには直江津だとか、高田に足を向けられたと思うのですが、その時には、若い時に感じた、新しい市ができたという高揚感、そういうものを感じましたか。

(市長)
 この庁舎ができたときに、内覧会というか、市民が見学する会があり、父親と母親、そして子どもを連れて参加しました。その時の記憶では、グリーンと白という感じがとても強かったです。何か全体が緑色の庁舎だという、そのような感じがずっとしていましたが、改めて平成19年に入ってみるとそんな感じがあったのかと思いました。
 また、建設の経緯は分かりませんが、ちょうど両市の真ん中に位置しています。やはり、ちょうど真ん中に作ったというのも、二つの市が合併したからなのかというように思いました。昭和29年、30年の合併が終わった後、20年位しか経たないうちに、再度これだけの大きなまちをまとめていくというのは、やはり市民の相当な思いがなければ簡単にはならないと思います。
 まちの性格も違います。工場群があるまちと、城下町との違いもあるだろうし、そういう違いを乗り越えたというところが英知だったのではないでしょうか。

(記者)
 50年、半世紀経っても、直江津と高田という、いいか悪いかは別にして、互いに張り合っている部分がまだあって、元々ネイティブの方にとってみると、互いをライバル視しているところがあるかなと思うのですけれど。その辺というのは、平成の大合併の後の市の一体感をずっとおっしゃいますけど、そういう意味ではどうですか。個性が残っているとプラスに考えたほうがいいのか、庁舎を両地区の真ん中に建てたのだけれど、なかなかその旧上越市が一体感を醸成できていないと評価すべきなのか、それはどうですか。

(市長)
 昭和46年の合併時に生まれたお子さん達は50歳になっています。平成17年の合併時に生まれた子どもたちも、16年経ちますから高校生くらいになります。ですから、若い人たちの意識と合併する前にいた皆さんの意識というのは、そこで違ってくるのかもしれないと思います。50歳以下の人はみな上越市生まれなのだから、そういう面では、上越というのと、直江津・高田というのと言い分けるというのは意味があるのかなと個人的には思います。やはり故郷というか、ルーツというか、そういうものを大事にしたいことがあるのかも知れません。城下町で生まれたとか、港町で生まれたとか、自分のルーツとして、自分の気持ちの中で支えるものがそこにあるのだとすると、その町にこだわる、誇りだとか、愛着だとかがあって、ものすごく個人的な価値があるのだろうと思います。

(記者)
 話題が変わりますが、23日に長岡市で原発の30市町村長が集まる会合が6年ぶりにあり、村山市長が避難路についてご意見を表明されたのを議事録で拝見しました。私は6年経ってもあまり議論が前に進んでないという印象があります。例えば市町村の研究会が主導で行くのか、あるいはあくまでも防災は県だから県の主導を待つのかという姿勢がまだぶれているような気がするのですが、当初から会に参加されている市長として、どうお考えでしょうか。

(市長)
 まとめ役が長岡市長の磯田さんで、新潟市長と私が幹事を務めていますが、初めて参加される市長もおられるわけです。ですから、そういう人たちからどのような意見が出るかと思い参加していた中、最後に雪の話があったので、私も発言させていただきました。
 県の3つの検証委員会で議論しているべきことと、私たちが検証委員会に色々な意見を言うというようなことを含めて、うまく繋がり合ってくる、その時期に来ていると思っています。私は、県の中に技術委員会をはじめとする避難委員会や健康生活委員会という委員会ができたことによって、私たち自身が思っていることを協議会の中で整理し、そして事務局が絶えず県と連絡したり、国の原子力規制庁と連絡したりしているので、私たち首長が集まる会は6年振りですが、技術委員会が市町村の実務担当者会議の中で行っている回数は相当多いです。質問のように、最初の話と今の話はどうなのかということですが、専門家の会議は、片方で進んでいることと、私たちが不安に思っていることについて整理をしながら県の事務局へ打診したりしています。特に、今一番分かりやすいといえば、実効性のある避難をするということについては、自治体の状況が分からなければ、いくら専門家であったとしても現場を見なければ分からないわけので、私たちができることについての役割としては避難についての各自治体の状況、気象変動を含めてその状況をきちんと整理していくことであり、私たちがいなければ委員会の中で議論の熟度が上がっていかないと思っています。私はそういう面でも委員会を含めて地域の実情をきちんと聞きながら、雪にも洪水にも対応できる実効性のある避難計画を作ってほしいと申し上げました。自治体ができることについては、きちんと意見を述べ、また、意見を聞いてほしいということ、専門家でなければ分からない部分については、専門家の皆さんの意見を聞きながら共有し、自分たちの自治体としてどうするかという議論をしていくという互いの役割分担はできていると思っています。

(記者)
 8年か9年前、新潟県は市町村研究会で作った避難計画をそのまま県の避難計画だといって剽窃したような形で出しました。結局どちらが主導なのか、市町村研究会に任してくれるなら県は口を出すべきではないと思いますが、主導権をなんとなく県が握っているような素振りで、23日の時も原子力規制庁の方が「例えば」みたいな話をしていて、県内の首長さんたちが、もっと現場に則した議論をしてほしい、こちらの話も聞いて反映してほしいみたいな意見もあったと思います。事務的にすり合わせがなされているとは聞いていますが、それが本当なのかという疑義があって、新潟県に頼らず、市町村研究会が主導でいいのではないか、それを新潟方式だとして国の方に逆提案することも私は有りだと思うのですが。

(市長)
 原子力規制庁も県の避難委員会も、確実に言えることは、30市町村のルートを聞き取り、地域の実情が分からなければ実効性のある避難計画はできないわけです。技術委員会の東日本大震災の発電所の検証などはできるかもしれませんが。原子力規制庁は東京で考えておられるわけですが、大雪の現場など実感としてないのです。そういう話をこれからはしていくので、私たちの役割分担というのはそういう面ではっきりしていく、自ずから出てくるかと思います。向こうから情報をもらい、我々がある程度情報を提供しながらやってみるというのが必要なのかなと思っています。

(記者)
 柏崎刈羽原子力発電所の再稼働を巡って、多分、花角知事がUPZの自治体の首長さんに対して意見を聴取する機会があると思います。その場合、例えば上越市の場合は、どういうような意見集約の方法が考えられるのでしょうか。

(市長)
 色々な市の考え方があって、十日町市の関口市長は、住民投票みたいなこともおっしゃっていました。それも一つの方法だと思います。住民の意見を聞くのはどういう聞き方があるのか、研究しなければいけないと思っていますし、その意見をどんな形で県に伝えるかと、問われたことに答えるかということについての考え方を整理しなければいけないと思っています。県知事自身も最終的に自分がジャッジする時には真意を問う、どういう形なのか、選挙なのか、それとも県民投票するのか分かりませんけれど、そういうことをおっしゃっていますから、何らかの形で市民の声を私自身がまとめなければいけない時期が来ると思っています。UPZの地域に住んでおられる皆さんだけの意見を聞けばいいのか、上越市全体をどうするのかという議論もあると思いますから、その手法は検討していく必要があると思っています。

(記者)
 合併の話に戻りますが、気質も歴史も違う二つの、上越を代表する高田市と直江津市が合併して50年、上越市が生まれて50年になります。両市合併がもたらした意義というものについては、広報紙でも会頭と対談されていましたけれども、12万人都市になって新幹線が来る契機になったり、色々な効果をもたらした面があると思います。両市合併の意義について改めてどうお考えになりますか。

(市長)
 上越地域に拠点的な都市を設けたいということがあって、米山から西側、現在は糸魚川市と妙高市と上越市があるわけですが、この中においても集約された上越市というものが昭和46年の合併で、そのかたちの礎ができたということです。そういう面で一つまとまり12万人都市ができたというのは、この地域をリードしていくための核として、中核的都市を作っていこうという地域の住民の合意がなされた意義というのは今の合併にもつながっていますし、糸魚川市、妙高市との関係性の中でも繋がっていると思っています。50年前の選択というのは、上越地域を表すときに、私たちの市のある種の存在感そのものがあったのだと思っています。

(記者)
 新型コロナウイルスの影響があり、合併の50周年式典とか華々しいものがない状況になりましたが、10年前も見てみますと東日本大震災の直後で40周年の式典も中止になったということで、40年、50年とセレモニー的なものが無いというような節目が続いてしまう形になっています。広報紙で別冊の折り込みもあって市民には知らせる機会はあったのかと思うのですが、一般市民が思い致すのもなかなかむずかしいというところがあるのかと思います。上越市誕生の半世紀について、市民にどういう契機にしてもらいたいか、どんなこと考えてもらいたいかというところをお聞かせください。

(市長)
 時代や環境も随分と変わってきたと思います。平成の合併の13区の皆さんも、昭和46年に合併した直江津・高田の旧上越市に通勤や通学されている方も多くいらっしゃいます。ですから13区を含めて、46年に合併した旧上越市に関わることは、職場もそうですし、教育もそうですし、色々な面で重なってきていると思います。そういう面では平成17年の合併で上越市となったすべての方が、上越市民としてそれぞれの地域に対する誇りや愛着を持ちながら、暮らしや上越市の将来的なことの中で、お力添えをいただければと思っています。

(記者)
 先ほど新型コロナウイルスワクチン接種のお話がありました。市長は65歳以上で対象者です。いつ頃接種を受けるという予定はありますか。

(市長)
 職員からは5月10日に接種してくださいと言われています。

(記者)
 副反応などを心配される方もいらっしゃるかと思います。

(市長)
 私も副反応の例があるというのは聞いています。集団免疫という観点で考え、私は接種することを考えています。

(記者)
 ワクチン接種の予約の話で、例えば、新潟県内では津南ですと先にネットで予約が埋まって電話をかけてももう枠がゼロだったとか、全国的に予約が殺到して、手続きや予約でのトラブルが相次いでいて、上越市でも以前にはコールセンターがパンクしたこともありました。今回の65歳以上の一般接種となるとかなりの数の方が何万人単位で対象になって、その方たちから一斉に予約が殺到するような事態も考えられます。それへの備えというのはありますか。

(市長)
 上越市では、予約を受け付けるのではなく、接種日を市が予め指定して通知することとしました。医療機関での個別接種を希望される方と、接種を希望されない方は4月23日まで連絡をいただいていますので、その他の皆さんが集団接種を受けるわけです。今度は、その方一人一人に「1回目は何月何日、2回目は何月何日、会場はどこです」という通知を出します。会場へ行けない人には、バスを出しますし路線バスも無料で使えることにしました。指定した日の都合がつかなければ、連絡をいただくことになりますが、送付の作業はほとんど終わったと思います。
 職員は相当のシミュレーションと作業をしています。制度設計、オペレーションについて非常に綿密にしてくれたことについては、私も驚いています。

(記者)
 今度は前回のような電話回線がパンクするような事態というのはあまりないですか。

(市長)
 ないです。前回は電話回線を10回線から23回線まで増やすことになりましたが、今回は対応できるようになりつつあると思っています。気を緩めないで頑張ってほしいと、昨日も職員を激励しました。頑張ってくれていると思います。

(記者)
 合併の話に戻ります。昭和46年の合併の時にJCなど若い青年会の人が主体となって合併推進の動きを先駆けたのと、一方では慎重にという議会の動きもあったようですけれども、そういった先人たちの合併を成し遂げた思いに対してはいかがですか。

(市長)
 直江津と高田のJCが合併の請願書を出してから、合併まで1年ですからね。機運が高まったとき最後に一押ししてくれたのがJCではないかと私は思っています。合併するときの手続き、平成17年の合併も大変だったと思いますが、その時の行政を含め、合併するための事務的な手続きをしていなければ1年では合併などできないわけですから、そういう面では、当時のそれぞれの首長に行政の中での思いがあって、それはもちろん議会も含めてですけれども、議会の思いをまとめながら準備をし、そしてあと一押しの時にJCが背中を押してみんなでやってこうという若い人たちがそこへ入ってきたと。行政で考えたり、議会で考えたり、市民も啓発してきたと同時に最終的に若い人たちが合併して一つの街に拠点を作っていこうという強い思いがあったことが46年の合併につながったのだろうと思っています。それぞれが街に対する思いを強くしながら新しい上越市を作ったという事については敬意を表したいと思いますし、それが17年の合併にもつながったことは間違いないと思います。そういう面で46年の合併は、全国的に見て稀有な合併の時期であり、事例であったということは、国の方からも私も聞いたことがあります。それだけのことを成し遂げた先人については、相当なエネルギーが必要であったであろうし、頑張られたことが今に繋がっていると思います。

(記者)
 オリンピック・パラリンピックの関係で、変異種の話もあると思うのですが、ホストタウンとして受け入れの準備を進めていると思います。市からは「来ないでください」というよりは、向こうのドイツからの判断ということがあると思います。長岡市とか加茂市では受入中止ということになりましたが、上越市としては、今はまだ話を進めている段階になるのでしょうか。また、今後のコロナの状況にもよると思うのですが、どのように進めていきたいと思っているのか、受入れについての市長のお考えを今の段階でお願いします。

(市長)
 全国的にオリンピックをどうするかという議論が随分あって、このコロナ禍の中でできるのかとか、また、ましてやオリンピックに必要とする医療従事者関係を調達できるのかという議論がたくさん出ていて、今この時期にオリンピックについて議論するのはおかしいのではないかという人がたくさんおられるというのは承知しています。
 これは約束事でスタートしてきたことであって、ドイツからおいでになる先遣隊については行き来できないということで今回なくなりました。7月23日から8月8日までがオリンピック、そのあと8月24日~9月5日くらいまでがパラリンピックだと思います。そのことを考えたときにどうかということですが、パラリンピックの柔道は今のところ来なくて、直接入るということになりますから、パラリンピックのドイツの柔道チームは、事前合宿はこの上越ではないと聞いています。
 体操はあるのですが、新体操、トランポリンは、まだオリンピックに出場するかしないかという状況で、国内予選やヨーロッパ予選のようなものが6月中くらいにあるのだそうです。それで出場権を得た段階でこちらへ合宿に来るのかというふうに思っています。いずれにしても、おいでいただくことを前提としながら、担当部局である教育委員会ではきちっとした対応をしています。この国事の中で、外国から日本に受け入れるときの体制が、国のマニュアルによってどのように変わるのか、また、どんなふうに我々は受ければいいのか。このマニュアルをバージョンアップしながら、ホストタウンとしてはこうしてほしいということがきちっと出てくると思います。今のところ、いつ頃どのチームが来るかというのは、国内予選やヨーロッパ予選を通過することが決まれば、人数や来る時期が分かるということだと思います。
 インド株で違うのが出たとか、ヨーロッパではまだ行き来がなかなかうまく進まないとか、オリンピックをやるためにはどのくらいのものが必要なのだとか、色々な話があります。当市も6月4日に聖火リレーがあって、今までなら観客をという話ですけど、それもたぶん難しいだろうから、リージョンプラザまで走ってもらうにしてもどうするのか、その辺のこともまだ最終的にはフィックスされていないと思います。この間、県の委員会なりが県内で募集を始めたと新聞記事にありましたが、県の方でそんな話をしたということで、いずれにしても、今の状況としては非常に厳しいというか、厳しいというよりもどうなるのかなと。情報が我々にとってなかなか湯水のように来ていないというのが今の状況です。
 選手団についての受け入れは、相手チームの予選等の関係もあるので。「来たい」と言っていますが、事前の視察がなくなったということで、予選で選手が決まればいつなのかいうことになります。体操競技は7月24日のオリンピック開催の次の日だと思います。7月24日から始まりますので、その前と言うと6月ですよね。6月までにそれが乾くかどうかというのがちょっと見えないという状況ですから、担当者も非常に悩んでいるのではないかと思います。

(記者)
 そうしますと、聖火リレーは、上越市内は走らないということですか。

(市長)
 上越市内では、今の予定では謙信公大橋を渡って、リージョンプラザまで行くということになっています。

(記者)
 他の自治体ですと、公道を走らないで公園を周回したりしています。例えば、リージョンプラザの中の管理道を走るとか考えていますか。

(市長)
 まん延防止等の重点措置が講じられている区域だとか、緊急事態宣言の対象地域とか、そういう状況になるとまた若干違うのだと思いますが、我々が置かれている現状では、しっかりとマニュアルに従ってきちっと整理し、感染するという事がないという状況にして、そのマニュアルに従って今は計画的にやっているということです。

以上

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