
令和7年(2025)の開催をもって100回目を迎えた謙信公祭。そのはじまりは大正15年(1926)に遡ります。
令和7年8月に行った上越市公文書センター第38回出前展示会「謙信公祭のはじまりと100回の歩み」では、郷土新聞の記事や公文書を主な資料として、それまでの謙信公祭の歴史を振り返りました。
「展示説明パネル」には初期の第一回、第二回、そして謙信公没後350年と春日山駅開業が重なった第三回のようすや、昭和初期の目玉行事「奉納 郷土芸術」と昭和30年代にはじまった「出陣行列」にまつわる事柄などを説明し、以下の資料1から4に説明内容に関連する資料を掲載しています。また、謙信公祭の歴史を時系列にまとめた「年表 謙信公祭100回の歩み」もあわせてご覧ください。
年表 謙信公祭100回の歩み [PDFファイル/541KB]
大正15年9月13日夜に行われた第一回謙信公祭。その日、大勢の人々が郷土の英雄「上杉謙信」の名の元に参集し歓喜するようすを、高田新聞は「全山全く人を以て埋まるの大盛況」、高田日報は「参拝者や来遊者を以て山上山下連綿として織るが如く」 と 伝えています。
高田新聞 大正15年9月14日夕刊 1面

高田日報 大正15年9月15日 5面

第一回謙信公祭の開催に向け、大正15年9月6日の夜に高田市役所で開催された2度目の準備委員会の記録が直江津町歴史公文書に残っています。この日の会議では行事内容や役員が決定し、宣伝はポスター・訪問・自動車巡回などにより行うこと、行事の一つ「仮装行列」の審査員は各新聞社代表で、賞品としてメダルやタオルのほか一等受賞者には銀行の債券を授与することなどが記されています。
「謙信公祭第二回準備委員会協議事項」
昭和12年(1937)7月の日中戦争開戦後に行われた第十二回謙信公祭の行事予定とアジア太平洋戦争中の昭和19年(1944)8月16日午後2時から高田市役所で開催された第十九回謙信公祭に向けた打合会の記録が直江津町歴史公文書に残っています。戦争の影響を受けつつも、郷土の英雄上杉謙信の遺徳をしのぶ祭りは粛々と途切れることなく続けられました。
「第十二回謙信公祭ニ関スル件」

「第十九回謙信公祭計画案」
今や謙信公祭には欠かせない行事となった「出陣行列」は、永禄4年(1561)第四次川中島合戦から400年を迎えた昭和36年(1961)の第三十六回に初めて行われました。その翌年、第三十七回の開催告知とその年の出陣行列のようすを写真付きで伝える広報たかだの記事です。
広報たかだ 昭和37年9月号「謙信公祭迫る 勇壮典雅のかがり火」

文中、原典の印刷のすれにより二十七回と見えますが三十七回です
広報たかだ 昭和37年10月号「出陣の仮装行列 にぎわった謙信公祭」
