昔、すけん という屋号(家の呼び名)の漁師が、沖へ鯛網などの漁に出掛けました。
漁師が、ふと空を見上げると、今まであれほどきれいに晴れ上がっていた空が、いつの間にか真っ黒な雲に覆われ、今にも大嵐がきそうな天気に変わってしまいました。
「これは大変だ。早く帰らなければ大嵐になって、舟が波にのみこまれてしまうぞ。」
漁師は慌てふためいて、一生懸命舟をこぎ始めました。けれども波はだんだん高くなり、稲妻が光り出し、風が起こり始めました。その上潮の流れがどんどん速くなって、ろをこいでも思うように進まず、潮の流れに舟は流されるばかりです。そして雨も降り出し、とうとう大嵐になってしまいました。
「もうだめだ。」
こう思うと漁師は、それっきり気を失ってしまいました。ふと気がつくと、あの大嵐もすっかりやんでしまい、舟は佐渡が島に流れついていました。
「ここはどの辺だろうか。」
と、あたりを見回すと、そこには数えきれないほどのお地蔵さんがあるではありませんか。漁師は夢ではないかと、何回も自分の目をこすってみましたが、間違いなくお地蔵さんです。漁師はその中の1体を、そっと抱きかかえて舟に乗せました。そして、
「たくさんのお地蔵さんの中から、たった1つくらいもらっていったっていいだろう。」
こうつぶやきながら、とうとう1体のお地蔵さんを盗んで、舟を「エッサ、エッサ」とこぎ出し、佐渡が島を逃げ出してしまいました。
漁師はやっとのことで雁子にたどりつきました。そして、早速 ぜんしろ という屋号の家(今の宮川家)の前にお地蔵さんを飾っておきました。
さて、この当時は旅人の中には、馬に乗って道をゆききする人がかなりいました。ところが不思議なことに、馬に乗った人が、このお地蔵さんの前を通ると、馬から落ちてしまったのです。
初めは、村人たちも気にしていませんでしたが、次から次へと、馬に乗って来る人は必ず落ちてしまうのです。この姿を見た村人たちは、
「このお地蔵さんは、霊験あらたかなお地蔵さんだから、下に置いてはいけないんだ。高い所へ移しましょう。」
と言って、高い土地(現在の場所)に移しました。それからというものは、馬に乗った人が前を通っても落ちなくなりました。
このお地蔵さんを持って来たのは、すけん という屋号の人なので、人々は、「すけん地蔵」「すけん地蔵」と呼んで親しんでいました。
また、このお地蔵さんは子供が大好きなのでしょうか。夜泣きをする子供の夜泣きを止める不思議な力も持っておられました。夜泣きを止めたい時には、ろうそくをあげ(ろうそくをともし)肩に掛けてある御袈裟を貸りていくと、ピタっと夜泣きが止まってしまうのです。そこで夜泣きが治ったら、新しい御袈裟を作り、また元のようにお地蔵さんに掛けてあげるのです。こんなことから、人々は「夜泣き地蔵」とも言って、うやまい親しんでもきました。
このお地蔵さんは、いつしか雁子の村のものとなり、雁子のだれかが世話をすることになりました。また、4月3日と、11月3日は地蔵まつりというお祭りをすることになり、現在でも大勢の人がおまいりをしています。
今は、熊木金一郎さんが、このお地蔵さんの面倒をみてやっています。
「雁子のお地蔵さんの命は、15日間は雁子にあり、15日間は佐渡にある。その命は半月交代だ。」
と、今でも雁子の人たちはこう信じています。
(語り手 雁子浜 熊木金一郎 昭和56年 76歳)
(出典:昭和63年5月30日発行 大潟町史)