西暦 | 和暦 | 経歴等 |
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1897年 | 明治30年11月17日 | 父正利、母マツの長男として上越・高田に生まれる |
1910年 | 明治43年4月 | 高田中学校入学。小児マヒにかかる |
1913年 | 大正2年4月 | 東京神田順天中学校3年へ編入学 |
1916年 | 大正5年4月 | 第一高等学校理農工専攻に入学 |
1919年 | 大正8年4月 | 東京帝国大学農学部入学、農芸化学を専攻 |
1922年 | 大正11年4月 | 東京帝国大学農学部卒業、農学部副手 |
1923年 | 大正12年11月 | 高田市倉石家の娘カウと結婚 |
1924年 | 大正13年7月 | 東京帝国大学農学部助手 |
1926年 | 大正15年7月 | 東京帝国大学農学部講師 |
1927年 | 昭和2年2月 | 東京帝国大学農学部助教授 |
1932年 | 昭和7年6月 | 農学博士受位 「麹カビによる有機酸および酒精の生産に関する研究」 |
1935年 | 昭和10年4月 | 東京高等農林学校教授(兼任) |
1938年 | 昭和13年4月 | 日本農学会 日本農学賞受賞 「菌類による有機酸類の生産ならびにその工業的利用に関する研究」 |
1939年 | 昭和14年6月 | 東京帝国大学農学部教授 |
1942年 | 昭和17年3月 | 米穀利用研究所長および食糧管理局研究所長(現・農林省食品総合研究所)(兼任)昭和20年11月まで |
1944年 | 昭和19年 | 先祖の出身地大瀁村(現・頸城村)鵜ノ木へ。 戦後ここを「楽縫庵」と名付ける。 |
1947年 | 昭和22年 | 学術研究会議会員 |
1947年 | 昭和22年9月 | 財団法人科学研究所(現・理化学研究所)嘱託(兼任) |
1949年 | 昭和24年3月 | 科学研究所(現・理化学研究所)主任研究員 |
1949年 | 昭和24年10月 | 山梨大学工学部講師(兼任) 山梨大学醗酵研究施設設立に尽力 |
1950年 | 昭和25年5月 | 日本学士院賞受賞 「本邦産発酵菌類に関する研究」 |
1950年 | 昭和25年 | 文部省の微生物利用研究の調査のため欧米を視察 |
195l年 | 昭和26年4月 | 日本農芸化学会会長 |
1952年 | 昭和27年11月 | 東京大学農学部長(昭和29年まで) |
1953年 | 昭和28年8月 | 東京大学応用微生物研究所の創設に尽力 初代所長に就く(昭和32年まで) |
1957年 | 昭和32年 | 還暦を迎える 「歌集醗酵」を出版 |
1958年 | 昭和33年3月 | 東京大学教授定年退官 |
1958年 | 昭和33年 | 東京大学名誉教授 |
1958年 | 昭和33年 | 日本ユネスコ国内委員会委員 |
1958年 | 昭和33年 | パリのユネスコ総会に日本代表顧問として出席 |
1959年 | 昭和34年1月 | 特殊法人理化学研究所 副理事長 和光市への移転に尽力する |
1959年 | 昭和34年4月 | 大阪大学工学部講師 |
1960年 | 昭和35年4月 | 日本学士院会員 |
1962年 | 昭和37年8月 | フランス国農学学士院外国会員 |
1963年 | 昭和38年3月 | 第3回東洋レーヨン科学技術賞受賞 「核酸の一新分解酵素系とそれを応用した呈味物質に関する研究」 |
1964年 | 昭和39年5月 | 恩賜発明賞受賞 「微生物による5’-ヌクレオチド類製造法に関する研究」 |
1965年 | 昭和40年6月 | フランス国レジォンドヌール勲章三等章(コマンドール勲章)受賞 |
1966年 | 昭和41年6月 | 第7回藤原賞受賞 「微生物による醗酵生産物に関する基礎的研究」 |
1967年 | 昭和42年11月 | 文化勲章受章 「微生物酵素学の発展に貢献」 |
1974年 | 昭和49年11月 | 勲一等に叙せられる。瑞宝章授与 |
1975年 | 昭和50年1月 | 新春御歌会始の儀に召人 |
1984年 | 昭和59年 | 脳梗塞のため療養生活に入る。その後、回復 |
1988年 | 昭和63年1月 | 「愛酒楽酔」を出版 |
1994年 | 平成6年12月9日 | 心不全のため逝去 享年97歳 従三位に叙せられる |