今なお古代の越後国の核心は謎に包まれています。
上越の歴史が古く、しかも深いことはよく知られていますが、現在の県庁にあたる越後国府も、諸国に必ず置かれた国分寺と尼寺も、総社の場所も特定できていないのです。意外なようにも思えますが、越後国の始まりである古代については謎だらけなのです。
昭和63年、五智国分寺の本堂が焼失したことから、上越市教育委員会は残った文書の整理や文化財の調査をはじめ、謎の解明に取り組み始め、五智国分寺は永禄5年(1562年)上杉謙信による再興であることがわかりました。また、五智の奥山の明静院には平安時代後期の「大日如来坐像」(重要文化財)が現存しますので、岩殿山に五智国分寺の元寺があったことが推測されます。
すると、奈良時代創建の国分寺が平安時代には五智に移動して、今日に至っていることになります。それでは奈良時代の国分寺はどこにあったのでしょうか?
三郷地区の本長者原には塔の巨大な礎石だけが残る廃寺の存在が知られており、奈良時代の越後国分寺のもっとも有力な候補地でしたが、これまで広範囲な調査を行うことができませんでした。この度、三郷地区において県営圃場整備事業が計画されたため、市教育委員会は令和6年から事前の発掘調査に入りました。
本企画は、発掘調査の中間報告とともに、その出現の意味を検討する祈念すべき最初の報告会です。
令和8年3月1日(日曜日) 午後1時から午後4時(開場:午後0時30分)
市民交流施設高田城址公園オーレンプラザ ホール(上越市本城町8-1)