浄土真宗の開祖親鸞聖人の妻、恵信尼によって建てられた寿塔(五輪の塔)であると言われている。
大正10年に京都西本願寺から恵信の手紙が10通発見され、恵信が70才を過ぎてから、越後の地で子どもや孫と暮らしていたことが確認された。
昭和32年に富山大学の梅原教授により、米増に鎌倉時代の中期作と思われる五尺六寸の古い五輪の塔があり、樹齢600年と推定されるこぶしの古株や「五りん田、とよ田、びくやしき、びくに墓」などの地名等が残っていることから、恵信尼由来の寿塔と比定した。
昭和38年に西本願寺がこの五輪の塔を恵信尼の寿塔と認め、墓所として整備をしている。平成19年の親鸞配流800年にあわせ、平成17年に改修された。
板倉地方の豪族の娘恵信尼。知性と教養のある優しい女性だったという。
恵信尼自身により、寿塔を建立、横にこぶしの木を植えたとされている。
旧板倉町指定
考古資料
昭和49年8月1日
米増