人頭税に苦しむ宮古島の人々に光明をもたらしました
板倉区出身の中村十作は、宮古・八重山諸島で明治時代まで残された悪税「人頭税」の廃止に尽力した人物です。中村十作記念館には十作に関する資料が展示されています。
1637年(寛永14年)から1902年(明治35年)まで宮古・八重山列島に適用されていた過酷で不合理な悪税です。所得や納税力に関係なく人頭数(人口)を基準に穀物や織物などを収めるもので、男は粟(八重山は米)などを、女は上布などの織物を人頭割に課していました。その税負担は凄まじく、1893年(明治26年)の記録によると収穫高の65パーセントにものぼっていました。このほか無償で農民を労役に使える制度があるなどの一方で、役人や士族は税を免除されるなど大変不合理な税制度でした。
税を納められない農民は牢にいれられ、拷問を受けることもあったため、農民の中には税を逃れるため自らの手足を切り落とし、不具者になった人もたくさんいました。
人頭税の領収証(竹富島)
海軍除隊後、真珠養殖を夢見て1892年(明治25年)に宮古島に渡った中村十作は、人頭税という過酷で不合理な税による貧困と差別に苦しむ農民の姿と士族たちの傲慢さを目の当たりにし、農業試験場の技師であった城間正安や農民総代らとともに人頭税廃止にむけて命をかけて取り組む決意をしました。
十作たちは士族側の幾多の妨害を排し、1893年(明治26年)に上京し、弟の十一郎や増田義一らの協力を得て、翌年に人頭税廃止の請願書を帝国議会に提出。請願は可決され、1903年(明治36年)ついに260年以上も続いた人頭税は廃止されました。
中村十作の功績は現在も宮古島で語り継がれ、「大和神」として奉られています。宮古島の民俗芸能「アヤグ」にも十作をたたえる唄が織り込まれており、暗黒の歴史に光明をもたらした大恩人として島をあげて敬われています。
この業績を称え、記念館を稲増集落開発センターに設置しました。
記念館には、中村十作に関する資料や、人頭税廃止運動を支えた人々の資料を展示しています。
展示コーナー
弟 十一郎の「日誌」
午前9時~午後5時
無休
中村十作記念館
〒944-0101 新潟県上越市板倉区稲増109-1
上越市役所 板倉区総合事務所 教育・文化グループ
電話:0255-78-2141