いわゆる「昭和の大合併」により、上越地域では、高田市が周辺の村を編入し市域を拡大しました。また、直江津町も周辺の村を編入し、直江津市になりました。昭和29年(1954年)11月18日、春日村の分村合併にかかわり、高田市・直江津市・春日村の三者は「近き将来において高田市と直江津市を合併して上越中心都市を建設すること」を記した申合書を交換しました。
その後、高田市・直江津市の合併に向けた様々な動きがありましたが、具体的な進展はありませんでした。高度経済成長に伴う生活圏の一体化、広域行政の必要性の高まり、両市が抱える課題の打開など、様々な要因により、昭和46年4月29日に高田市と直江津市が合併し上越市が発足しました。
昭和の大合併に際し、春日村の分村問題を収拾するために、高田市・直江津市・春日村によって作成された申合書の写し(高田市議会渉外委員会の配布資料)です。春日村の分村合併の手順及び高田市と直江津市の合併を目指すことが記されています。
高田直江津青年会議所は、昭和44年(1969)に高田・直江津両市の合併を促進する目的で街頭署名を実施し、同年11月28日に合併協議会設置の請願書を高田・直江津両市に提出しました。翌45年には両市とも請願を採択し、同年9月7日に第1回高田市・直江津市合併協議会が開催されました。
合併協議会第一部会では、両市の「町会長・自治会長・市会議員・各学校・官公衙・大規模事業所」など約500か所を対象に新市の名称のアンケート調査を実施しました。
昭和45年(1970年)12月3日に開催された第6回合併協議会で、その結果が報告されました。
昭和45年(1970年)12月23日、高田市・直江津市合併協議会は合併協議を終了し、合併協定書を上越支長を通じて県知事に提出ました。その際、上越支長が付した副申には、両市の合併が適当である理由が4つの観点から明記されています。
昭和46年(1971年)1月18日、高田・直江津両市議会は両市の合併を可決し、両市は県知事に合併の本申請を行いました。同年3月20日、県議会は両市の合併を可決し、県知事は両市に「新市の名称」「施行日」を記した廃置分合の処分書を送付しました。
上越市が発足した約1か月後の昭和46年(1971年)5月25日に、「広報じょうえつ第1号」が発行されました。第2面には「上越市誕生おめでとう」の見出しで、高田・直江津両市の合併の意義や新市の可能性などが述べられています。