高田図書館は、明治41年(1908年)6月27日に「県社榊神社三百年祭紀念立高田図書館」として開館しました。内務省神社局の通達を受け、明治43年1月に榊神社の付属図書館から有志22名による私立高田図書館に改組、明治44年7月に高田町立高田図書館として再発足して以降、高田市立、上越市立と改称しますが、図書の貸出しを行うだけでなく、郷土資料の収集や文化・情報の発信など、地域にとって重要な役割を果たしてきました。
高田図書館創設にあたって中心的な役割を果たした清水廣博(こうはく)は、帝国図書館や財団法人大橋図書館(明治35年に東京市麹町に設立)などを参考にして高田図書館の発足時の規定や規則等の原案を作成しました。高田図書館の開館に先立つ明治41年(1908年)6月13日に図書館の運営委員会にあたる「商議員会」が開催され、清水廣博の原案をもとに協議が行われ、多少の修正が加えられました。本資料は、商議員会の協議を経て修正された「高田図書館規程」「高田図書館規則」で、創設時の高田図書館の組織や運営の概要をうかがい知ることのできる貴重な資料です。
高田図書館創立60周年にあたり、昭和44年(1969年)3月31日に「創立六十周年記念 高田市立図書館小史」が刊行されました。書名が示すとおり34ページの小冊子ですが、そのあとがきに編集者の池田嘉一氏が「書き始めたのは夏ごろで、そのころは「小史」であることをすっかり忘れてしまった。いよいよ印刷にかかるまぎわになって、大々的にけずるしまつ」と記しているように、かなり割愛されてしまいました。ここでは割愛された原稿のうち、「戦時中の図書館」(「小史」では、9,10ページ「六 戦時中のなやみ 思想統制」)を紹介します。
高田図書館は、創設の地である岡島町(現大手町/大手十字路東側駐車場付近)から中小町(現本町5丁目/紺太上越店付近)、再度岡島町、そして現在の本城町へと移転しました。このほか、館舎改築のために天主公教会や高田市中央公民館(旧偕行社(かいこうしゃ)、金谷公民館にも一時移転しています。その時々の館舎の外観や館内の風景、催事などを撮影した写真を紹介します。
高田市立図書館(大正4年頃)
戦前に発行されていた「高田新聞」「高田日報」「上越新聞」に掲載された図書館関連の新聞記事です。明治41年(1908年)6月27日に県社榊神社三百年祭紀念立高田図書館が開館しましたが、高田図書館はこの時から上記の3社のほか地域紙の収集を始めました。当時の新聞を紐解くと、高田図書館の開館当初、一日平均約2名だった閲覧者が、大正11年(1922年)には160名を超えるようになったことが分かります。高田図書館がどのような経過を経て「市民の書斎」として利用されるようになったのか、また高田図書館を取り巻く環境がどのように変化していったのかなど、当時の高田図書館の様子を伝える新聞記事をピックアップして紹介します。
高田図書館の開館を伝える明治41年(1908年)6月28日発行の「高田新聞」
昭和25年(1950年)に施行された図書館法は、図書館サービスの無料化や多様な学習機会の提供、図書配架方法の改善、利用のための相談(レファレンス)サービスの充実など、新しい図書館のあり方を示しました。高田図書館でも同法の趣旨に基づき、戦後、様々な改革を進めていきました。また、今日では、情報化社会の進展や多様化した利用者のニーズに対応する取組も行っています。戦後、新たに出発した高田図書館の歩みを「広報たかだ」及び「広報じょうえつ」に掲載された記事でふり返ります。
昭和33年(1958年)6月1日発行の「広報たかだ」