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干ばつの記録と記憶

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印刷用ページを表示する 掲載日:2018年11月1日更新

平成30年(2018年)は、6月の月間降水量が観測史上(1922年以後)ワースト4位の54.0mm(観測以来の平均降水量の40.6%)、7月の月間降水量が同じくワースト第6位の48.0mm(同24.1%)と夏場の降水量が少ない年となりました。幸い8月の降雨により、大きな干害は生じませんでした。さて、上越市域では、現在のような貯水池やがんがい施設が整備される以前は、干ばつによる水不足により、たびたび干害に見舞われてきました。また、降雨を願う雨乞いも各地で行われました。

干ばつの記録と記憶 [PDFファイル/571KB]

資料1「乍恐以書付御注進奉申上候(おそれながらかきつけをもってごちゅうしんもうしあげたてまつりそうろう)」(阿部家文書:公文書センター所蔵)

阿部家は、江戸時代に伯母ヶ沢(おばがさわ)村(吉川区)の庄屋を務めていました。当時、伯母ヶ沢村は、榊原家の三家老の知行地の一つでした。本資料が作成された前年の文化8年(1811年)の「伯母ヶ沢村明細帳」によると、村高は234余石、家数38戸、人数210人でした。文化9年の7月、伯母ヶ沢村では永照(ながでり)により水不足になり、水田約25町のうち、2町が白割(しろわれ)、3町が黒割(くろわれ)になりました。白割と黒割の区別ははっきりしませんが、いずれも水田にひび割れが生じ、耕作不能となったことを示しているものと思われます。

乍恐以書付御注進奉申上候(画像)

資料2「大地震ニ付書記(かきしるし)帳」(池松縄家文書:公文書センター所蔵)

池松縄家は、江戸時代に所山田(しょやまだ)村(三和区)の庄屋を務めていました。「大地震ニ付書記帳」は池松縄家に伝来した資料ですが、この中に弘化3年(1846年)の干ばつの記録も残されています。本資料によると、同年の4月から一月半以上に及ぶ日照りが続いていました。所山田村と岡田村・今保村(いずれも三和区)は、5月25日(新暦6月18日)に代表者を出発させ、戸隠に向かわせました。詳細な経費等は記されていませんが、3か村合同で酒樽を新調して持参したことが記されています。

大地震ニ付書記帳(画像)

資料3「雨乞御届(あまごいおとどけ)」(山田正男家文書:公文書センター所蔵)

明治22年(1889年)に、大豆・春日・中門前・宮野尾・牛池新田・中屋敷・寺分・上正善寺・岩木の9か村が合併して新たな春日村が発足します(明治34年に高志村及び国府村を合併)。本資料は、明治16年の干ばつに際して、春日村が雨乞いを行った記録です。したがって、ここに登場する春日村は、江戸時代以来の村域(現在の大字程度)のままであり、明治21年時点で家数8戸、人数48人でした。資料によると、明治16年8月12日から14日までの3日間、威徳院(寺町3)の蓮江鳳道住職により春日山で雨乞いが行われました。「霊岩谷山峯(春日山)ニ於テ」と記されているので、屋外で祈祷(きとう)が行われたものと思われます。このためか、春日村は中頸城郡長にこの届を出しています。

雨乞御届(画像)

資料4「旱魃(かんばつ)被害反別調査表」(大山家文書:公文書センター所蔵)

大山家は、江戸時代に飯村の庄屋を務め、近代に入り稲荷中江普通利水組合が組織されると代々常設委員になりました。本資料は、稲荷中江用水を利用する春日村(23か字、383町)・金谷村(3か字、103町)・直江津町(8か字、40町)・高田市(5か字、20町)について、大正14年(1925年)から昭和9年(1934年)までの干ばつによる被害をまとめた記録です。大山家文書には、本資料の基礎データを集計した「旱魃被害大字別調査書」が残されており、同調査書には昭和10年7月14日に「吏(り)ニ調査表ノ通リ修正呈出(ていしゅつ)」と記されています。おそらく新潟県からの指示に基づいて作成されたものと思われます。

旱魃(かんばつ)被害反別調査表(画像)

資料5「戸隠神社関連資料」(橋本家文書ほか:公文書センター所蔵)

江戸時代、戸隠神社は稲作の神を祀(まつ)る神社として、地元の信州だけでなく頸城郡を中心とする越後でも信仰を集めました。とりわけ干ばつが発生すると、雨乞いのためにその都度村々の代表者が奥社の横にある九頭龍(くずりゅう)社に参詣し、御札や御神水を持ち帰りました。このうち、江戸時代に惣代庄屋(幕府領の庄屋の代表)を務めた名立大町村(名立区)の橋本家に伝来した御札が残されています。「御本地弁財天」「九頭龍大権現」と併記されていることから、神仏混淆(こんこう)であった江戸時代に作成されたものだと分かります。このほか、戸隠講(こう)で戸隠神社を訪れた際に持ち帰ったと思われる戦前の絵葉書も残されており、当時の雰囲気を伝えています。

九頭龍社の御札(画像)

資料6「平成6年の異常渇水を伝える広報じょうえつと節水ちらし」(上越市歴史公文書:公文書センター所蔵)

平成6年(1994年)は、全国的に梅雨明けが早く、各地で記録的な猛暑が続きました。上越市でも4月から8月までの5か月間の降水量が観測史上最も少ない年で、河川や貯水池の水が著しく少なくなりました。水不足の影響は、農業だけでなく市民生活などにも及びました。「広報じょうえつ」第514号及び第521号は、異常渇水に苦しんだ当時の様子を伝えています。また、市民に配付された節水協力を呼びかけるちらしからも、水不足の深刻さが伝わってきます。

広報じょうえつ(画像)

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〒943-8601 新潟県上越市木田1-1-3電話:025-526-5111Fax:025-526-6111

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