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現在地トップページ > 組織でさがす > 公文書センター > 「広報じょうえつ」のあゆみ 広報紙の顔、それが題字(タイトルロゴ)

「広報じょうえつ」のあゆみ 広報紙の顔、それが題字(タイトルロゴ)

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印刷用ページを表示する 掲載日:2023年5月21日更新

 令和5年の1月号から、「広報じょうえつ」の題字が変わりました。52年に及ぶ「広報じょうえつ」の歴史の中で、6代目の題字になります。今回は、歴代の題字を紹介しながら、「広報じょうえつ」のあゆみを振り返ります。

初代:合併直後の先発投手(スターター)

初代タイトルロゴ(画像)

初代題字の時代

  • 使用期間:1号(昭和46年5月25日)から23号(昭和48年3月15日)まで、1年11か月(23回)
  • 発行頻度:月1回、15日発行​
  • サイズ:B5判
  • 印刷:モノクロ
  • ページ数:12~18ページ

初代題字の頃の広報紙

広報じょうえつ6号表紙(画像) 広報じょうえつ11号表紙(画像) 広報じょうえつ19号表紙(画像)

左から

  • 6号(昭和46年10月15日)「源入線有田跨線橋が開通」
  • 11号(昭和47年3月15日)「市立総合博物館、4月5日にオープン」
  • 19号(昭和47年11月15日)「変身した中島たんぼ、北城土地区画整理事業が完工」

手作り感あふれる題字

 昭和46年4月29日、高田市と直江津市が合併して上越市が発足しました。翌月に「広報じょうえつ」の第1号が発行されます。それからの約2年間、表紙を飾った題字です。当時の職員がデザインしたものでしょうか。詳細は伝わっていませんが、手作り感あふれる、味のある題字です。

さまざまな連載コーナー

 1号には、新市の紹介や市役所の配置情報、予算説明などの他、この後10年に及ぶ連載「郷土・歴史散歩」や、現在まで続く「カメラスケッチ」の第1回目も掲載されました。20号(昭和47年12月15日)からは、市民参加コーナー「いんたびゅう」も始まりました。

配布と班回覧の二刀流​

この頃の「広報じょうえつ」は、合併前の両市で発行されていた「広報たかだ」や「広報直江津」と同じ月1回の発行でした。また、本紙の配布とは別に、町内会の班で回覧する「広報じょうえつおしらせ版」があり、行事や予防接種などの日程と、月1回の「広報じょうえつ」では間に合わない連絡事項が掲載されていました。

広報じょうえつおしらせ版

  • 発行期間:昭和46年5月25日から昭和48年3月25日まで、1年11か月(63回)
  • 発行頻度:月3回、5日・15日・25日発行​
  • サイズ:B4判
  • 印刷:片面、モノクロ
  • ページ数:1ページ

広報じょうえつお知らせ版第1号(画像) 

広報じょうえつおしらせ版第1号(昭和46年5月25日)

掲載内容:「浄水場を見学しよう」「6月6日は県民スポーツの日」「歯の無料検診と相談」「初夏の南葉山へ登ろう」「中小企業の皆さんへ 設備貸与制度のご利用を」「季節旅館の育成改善資金」「家内労働手帳の普及を」「刑務官を募集してます」「おしらせ版、読まれたらすぐお隣りへ」

広報じょうえつお知らせ版第63号(最終号)(画像)

広報じょうえつおしらせ版第63号・最終号(昭和48年3月25日)

掲載内容:「4月から工場騒音などを調査」「総合博物館 江戸時代の和時計展」「狂犬病予防注射と登録」「高城婦人学級を開設」「銃砲刀剣登録審査会」「おしらせ版、今回で終わりに」

 時代とともに変わる常識

 これは本紙の1号に掲載されていた記事です。

1号掲載記事。救急車サイレン、ピーポー音に。今月20日から救急車のサイレンが、ピーポーという音に変わりました。救急車が通るときは今までどおり道をおゆずりください。救急車は現在南消防署(高田)に二台、北消防署(直江津)に一台あります。救急車を呼ぶときは、局番なしの119番へ電話してください。(画像)

当時は書く必要もなかったのだと思いますが、いま読むと「では、ピーポー音の前は何だったのかはてなマーク」と大変気になるところです。

2代目:最長不倒の長距離走者(ロングライダー)

2代目タイトルロゴ(画像)

2代目題字の時代

  • 使用期間:24号(昭和48年4月15日)から643号(平成12年3月15日)まで、28年間(620回)
  • 発行頻度:月2回、1日・15日発行 
  • サイズ:505号​(平成6年3月15日)まで​B5 判、506号(平成6年4月1日)からA4 判
  • 印刷:モノクロ
  • ページ数:B5判​ 6~18ページ、 A4判 8~20ページ

2代目題字の頃の広報紙

広報じょうえつ69号表紙(画像) 広報じょうえつ191号表紙(画像) 広報じょうえつ643号表紙(画像)

左から

  • 69号(昭和50年4月1日)「市役所新庁舎、地下室のコンクリート打ちもほぼ終わり、いよいよ地上へ」
  • 191号(昭和55年7月15日)「水族博物館、7月18日にオープン」
  • 643号(平成10年3月15日)「4月7日、直江津駅が生まれ変わってオープン」

月2回の発行へ

 「広報じょうえつ」誕生から2年を経て、昭和48年度からは班回覧の「広報じょうえつおしらせ版」を廃止し、本紙を月2回発行することになりました。合わせて題字も2代目に変わります。2代目題字は、28年間、620号に亘って使用されました。これは歴代の題字でも最長です。昭和から平成に変わるなど、世の中にもいろいろな変化がありました。

初のカラー表紙

 171号(昭和54年9月1日)で初めて表紙がカラーで印刷されました。以降、不定期ながら表紙にカラー印刷が使用されるようになります。平成5年からは、年始の1月15日号の表紙がカラーになるのが恒例になります(ただし、平成6年と9年はモノクロです)。

2代目題字のカラー表紙

広報じょうえつ336号表紙(画像) 広報じょうえつ478号表紙(画像) 広報じょうえつ639号表紙(画像)

左から

  • 336号(昭和61年11月1日)「ようこそ海の貴婦人。運輸省の練習航海帆船日本丸、直江津港に寄港」
  • 191号(平成5年1月15日)「雪の高田城三重櫓(平成5年4月2日完成)」
  • 639号(平成12年1月15日)「西暦2000年スタート」​

B判からA判へ

 行政文書がB判からA判へと変わる流れの中で、「広報じょうえつ」も506号(平成6年4月1日)からA4判になりました。読みやすさを考慮して文字も大きくしています。

コーナー化で情報を探しやすく

 この頃から情報量が増え、全体的にページ数が増加し、類似の情報をひとくくりにして、情報を探しやすくする工夫が見られます。市政に関する情報は「市政ニュース」に、告知関連の情報は「お知らせ広場」というようにコーナー化されました(「市政ニュースは690号(平成14年4月1日)から「市政トピックス」に名称が変わり今日に至ります)。

3代目:大きく鮮やかな変革者(チャレンジャー)

3代目タイトルロゴ(画像)

​3代目題字の時代

  • 使用期間:644号(平成12年4月1日)から689号(平成14年3月15日)まで、2年間(46回)
  • 発行頻度:月2回、1日・15日発行 
  • サイズ:タブロイド判
  • 印刷:表紙・裏表紙はカラー、内面は2色刷り
  • ページ数:8~14ページ

3代目題字の頃の広報紙

広報じょうえつ661号表紙(画像) 広報じょうえつ685号表紙(画像) 広報じょうえつ689号表紙(画像)

左から

  • 661号(平成12年12月15日)「新年早々、市民プラザ仮オープン。グランドオープンは3月4日」
  • 685号(平成14年1月15日)「東西をつなぐ発展への架け橋。謙信公大橋、建設進む」
  • 689号(平成14年3月15日)「本丸へ渡る木橋復元。高田公園極楽橋、完成間近」

初の毎号カラー、そして21世紀へ

 643号(平成12年3月15日)に「大きく見やすく」と予告されたとおり、644号からタブロイド判(新聞の半分のサイズ)になりました。同時に表紙と裏表紙が毎号カラーに、内面は2色刷りになるなど、誌面の大幅な変革がなされます。3代目は、カラーを前提として作られた初の題字です。この題字が使用された2年の間に、世界は21世紀に突入します。

(写真)広報紙サイズ3種比較 

 徐々に大きくなった広報紙。左から、B5判、A4判、タブロイド判。

市民にスポットを当てる新コーナー

 市民へのインタビュー「ホップステップJump」や、グループ紹介記事「広がれネット」などの新コーナーも作られました。また、「お知らせ広場」は「情報ファイル」に名称が変更され、今日に至ります。

タブロイド判への反応

 687号(平成14年2月15日)に掲載されたアンケート結果によると、紙面を大きくしたことにより「ページをめくらず、1面で記事を読むことができて、読みやすくなった」という評価がある一方で、「A4判の方が読みやすい」「保存しにくい」「配りづらい」などといった意見が多く、新年度からA4判に戻すことになりました。

4代目:情報化社会の力持ち(ビッグポーター)

4代目タイトルロゴ(画像)

​4代目題字の時代

  • 使用期間:690号(平成14年4月1日)から914号(平成23年12月15日)まで、9年9ヶ月(225回)
  • 発行頻度:月2回、1日・15日発行 
  • サイズ:A4判
  • 印刷:1日号は​、874号​​(平成22年4月1日)まで表紙・裏表紙が カラー、内面2色刷り。876号(平成22年5月1日)から全面カラー。
    15日号は、712号(平成15年3月15日)まで全面2色刷り。714号(平成15年4月15日)から全面モノクロ。 
  • ページ数:12~40ページ

4代目題字の頃の広報紙

広報じょうえつ754号表紙(画像) 広報じょうえつ801号表紙(画像) 広報じょうえつ839号表紙(画像)

左から

  • 754号(平成17年11月15日)「平成17年1月1日、21万都市・上越市に」
  • 801号(平成19年2月1日)「着々と進む北陸新幹線工事」
  • 802号(平成21年2月15日)お知らせ版「上越市立総合博物館企画展、天地人へのいざない」

大量の情報にメリハリを

 4代目題字の頃が、最もページ数が多かった時代です。特集記事などが掲載される1日号と、告知記事中心の15日号「お知らせ版」に機能分化され、表紙も1日号はカラー、15日号は2色刷り(平成15年度以降はモノクロ)とメリハリがつけられました。題字は3代目と同じくカラーを前提としたものですが、4代目以降は、毎号文字の色を変えて使用されています。

14の市町村が合併、そしてページ数はマックスに

 平成17年1月1日に14市町村が合併し、新上越市が誕生しました。その3年後の平成20年4月に、1カ月のページ数(1日号と15日号の合計)が「広報じょうえつ」史上最多となる62ページに達します。これは1号の16ページと比べると、4倍近い数字です。この後、平成21年度までの間に、1カ月62ページという月が4回ありました。

市民カメラマンの募集

 808号(平成19年5月15日)で、初めて市民カメラマンが募集されました。作品の初掲載は813号(平成19年8月1日)の「カメラスケッチ」です。この頃はまだモノクロでした。

携帯電話対応ホームページの開設と2次元コードの登場

 市で携帯電話対応ホームページを開設し、809号(平成19年6月1日)で紹介されました。このとき初めて紙面に2次元コードが登場します。当初2次元コードの使用は限定的でしたが、徐々に他の記事での使用も多くなっていきます。5代目題字の時代に急速に進む電子化の萌芽がこの頃に見られます。

ついに全面フルカラー

876号(平成22年5月1日)で、ついに全面カラー刷りになります。これ以降、1日号は全面カラーとなります(15日号は全面モノクロのままでした)。

5代目:変化の時代適応者(エクスプローラー)

5代目タイトルロゴ(画像)

5代目題字の時代

  • 使用期間:915号(平成24年1月15日)から1131号(令和4年11月25日)まで、11年間(217回)
  • 発行頻度:1098号(令和2年3月15日)​まで、月2回、1日・15日発行 。1099号(令和2年4月1日 )から、月1回、25日発行。 
  • サイズ:A4判
  • 印刷:1098号(令和2年3月15日)まで、​1日号は全面カラー、15日号は全面モノクロ。1099号(令和2年4月1日)から全面カラー。
  • ページ数:月2回発行時​、12~40ページ。月1回発行時、20~40ページ。

5代目題字の頃の広報紙

広報上越943号表紙(画像) 広報上越1000号表紙(画像) 広報上越1126号表紙(画像)

左から

  • 943号(平成25年4月1日)「科学館に恐竜あらわる。上越科学館に動くティラノサウルスの模型が登場」
  • 1000号(平成27年10月1日)「ともに歩んで44年。広報上越1000号」
  • 1126号(令和4年6月25日)「夏の夜空をのぞいてみよう。特集、清里星のふるさと館」

珍しい漢字ロゴ

 令和4年末までの11年間、表紙を飾ってきたなじみ深い題字ですが、周辺市町村を見渡しても漢字の題字は意外と珍しかったりします。デザインは、上越市シティ・イメージ・アドバイザーを務められた故・柴田長俊氏です。5代目題字の間に平成から令和に変わりました。また、電子化の進展などといった社会の変化により、紙面にも大きな変化が見られた時代です。

「広報じょうえつ」をネットで配信、市公式SNSアカウントの開設

 1011号(平成28年4月1日)から、「広報じょうえつ」のネット配信がはじまりました。1102号(令和2年7月1日)ではLINEとTwitterの市公式アカウントが、1108号(令和2年12月25日)ではYouTubeの市公式チャンネルが紹介されるなど、情報発信の電子化が進みます。

月1回の発行へ

 情報量が増大する一方で、市民の情報収集手段が多様化するなか、2次元コードの活用などで情報を整理し、より見やすい紙面構成にするなどの改善が行われました。各世帯への配布に係る町内会関係者の負担軽減のため、掲載内容の見直しなどでページ数の圧縮も図られ、月2回発行していた広報は、1099号(令和2年4月1日)以降、月1回の発行となりました。

6代目:市民参加の新来者(ニューカマー)

6代目タイトルロゴ(画像)

​6代目題字の時代

  • 使用期間:1132号(令和4年12月25日発行)~
  • 発行頻度:月1回、25日発行
  • サイズ:A4判
  • 印刷:全面カラー
  • ページ数:28~34ページ

6代目題字の頃の広報紙

​​広報じょうえつ1132号表紙(画像) 広報じょうえつ1133号表紙(画像) 広報じょうえつ1134号表紙(画像)

左から

  • 1132号(令和4年12月25日)「謹賀新年、大切な人と新たな1年を」
  • 1133号(令和5年1月25日)「寒い冬こそ始めてみよう、運動でカラダを整える」
  • 1134号(令和5年2月25日)「特集、公文書センターのおしごと」

市民参加で作られた初のタイトルロゴ

 より親しみを持ち、読んでみたくなる広報紙にするため、初めてタイトルロゴを一般公募しました。応募43作品の中から採用されたデザインも、市民投票により決定しました。最多票を獲得したのは金井遥南さんの作品です(詳しくは令和5年の広報1月号をご覧ください)。

 この新しいロゴとともに、「広報じょうえつ」はどのような時を刻んでゆくのでしょうか。

広報紙に刻まれたヒストリー

市民参加のコーナー

  広報ではたびたび市民へのインタビューがコーナーとして連載されてきました。

個人へのインタビュー

いんたびゅうロゴ(画像) 頑張れ上越人ロゴ(画像) ホップステップjumpロゴ(画像)

「いんたびゅう」20~67号(昭和47年12月15日~51年3月1日号)

「頑張れ上越人」506~606号(平成6年4月1日~10年8月1日)

「ホップステップJump」644~734号(平成12年4月1日~17年3月1日)

 市民グループ等の紹介

われらグループロゴ(画像) 広がれ!ネットロゴ(画像) 見つけたふるさと町愛所(画像)

「われらグループ」70~239号(昭和50年4月15日~57年8月15日)

「広がれネット」644~826号(平成12年4月1日~20年3月1日)

「見つけたふるさと町愛所」828~941号(平成20年4月1日~25年3月1日)

地域やイベントの紹介

上越再発見わたしはここが好きロゴ(画像) 見て聞いて参加してロゴ(画像) 上もん!ロゴ(画像) 

つな郷上越ロゴ(画像)

「上越再発見 私はここが大好き」346~362号(昭和62年4月15日~12月25日号)

「見て 聞いて 参加して」607~643号(平成10年8月15日~12年3月15日)

「つながるひろがるオタカラ自慢 上もん」876~1017号(平成10年8月15日~12年3月15日)

「輝く市民のチカラ つな郷上越」1019~1070号(平成28年8月1日~30年12月1日)


 趣向はさまざまですが、いずれのコーナーにもその時々の市民の声が刻まれています。また、近年では特集記事などで、市民の声を聴くことができます。

カメラスケッチ

 1号から現在まで続く唯一のコーナーですが、実は合併前の「広報たかだ」から引き継がれたコーナーでした。813号からは市民カメラマンの写真も掲載されています。初代のロゴは「広報たかだ」から引き継がれたもので、カメラのシャッターがモチーフになっています。現在のものは、690号(平成14年4月1日)から使われており、フィルムがモチーフです。この頃はまだ「カメラといえばフィルム」であったことが窺われますね。​

初代カメラスケッチロゴ(画像) シャッターをモチーフにした初代カメラスケッチロゴデザイン

現在のカメラスケッチロゴデザイン(画像) フィルムをモチーフにした現在のカメラスケッチロゴデザイン

 市民カメラマンが撮影し、広報上越に掲載した紙面は、「市民カメラマン活動記録展示」として、令和5年3月22日から4月12日にかけて、オーレンプラザを会場に展示されました。

毎号が「いま」の積み重ね

 「広報じょうえつ」の題字の変遷をご紹介しましたが、そこにはロゴデザインの変化に留まらないさまざまな時代の変化を見ることができました。広報紙は「いま」の人々に向けて作られているものですが、その「いま」も積み重なると貴重な資料になることが分かります。過去の「広報じょうえつ」は、すべて公文書センターで閲覧することができます。また、高田図書館や直江津図書館でも一部を除いて閲覧が可能です。ぜひ一読してみてはいかがでしょうか。

広報じょうえつ年表

広報じょうえつ年表 展示パネル [PDFファイル/279KB]

おまけコーナー:広報紙から分かる上越の歴史

高田公園にトラがいた!?ロゴ(画像)

高田公園にトラがいた 展示パネル [PDFファイル/481KB]

Q.おじいちゃんが「むかしの高田公園にはトラがいた」って言ってるんですけど本当ですか

A.本当です。

​ 「広報たかだ」と「広報じょうえつ」に、高田公園のトラの記事が掲載されています。

 「広報たかだ」136号に 昭和37年11月9日に2頭のトラが高田公園へ来たという記事があります。そのうち1頭が先に亡くなり、残りの1頭は昭和50年4月8日に死去しました。

「広報たかだ」136号記事切り抜き。人気集めるとら夫婦。にぎあう高田公園。このとらは、インド産のおす(7歳)とめす(8歳)の2頭で、11月9日に湯河原からトラックで運ばれ、出来上がったばかりの31.5平方メートル(9.2坪)の新居に入れられ仲良くしています(画像)

「広報たかだ」136号(昭和37年12月1日)

「広報じょうえつ」70号記事切り抜き。高田公園のトラ、昇天。高田公園で唯一の猛獣だったトラ。老衰のため今月8日の朝死にました。昭和29年生まれ。トラの寿命は約20年、となれば、天寿をまっとうしての往生といえましょう。(画像)

「広報じょうえつ」70号(昭和50年4月15日)

檻の中のトラの写真

昭和38年 高田市広報担当課撮影

このページに関するお問い合わせ先

上越市

〒943-8601 新潟県上越市木田1-1-3電話:025-526-5111Fax:025-526-6111

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