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現在地トップページ > 組織でさがす > 魅力創造課 > 当市で看護教育や地域医療などに尽力した「大関和」をモチーフとしたNHK連続テレビ小説「風、薫る」が放送されます

当市で看護教育や地域医療などに尽力した「大関和」をモチーフとしたNHK連続テレビ小説「風、薫る」が放送されます

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印刷用ページを表示する 掲載日:2026年2月5日更新

 2026年春、大関和(おおぜき ちか)と鈴木雅(すずき まさ)、2人のトレインドナースをモチーフに描くバディドラマ「風、薫る」の放送が予定されています。
 大関和は明治時代に西洋式の看護を学び、日本の看護師制度の礎を築いた人物であり、当市においては、知命堂病院の初代看護婦長として、看護教育や地域医療に尽力されました。

 この大関和をモチーフにした主人公の一人「一ノ瀬りん」役は、女優の見上愛さんが務めます。

大関和とは

大関和 肖像画
​(注意)画像は医療法人知命堂病院所蔵(無断転載禁止)

  • 生まれた年 安政5年(1858年)
  • 亡くなった年 昭和7年(1932年)

 大関和は、我が国看護界の先駆者で、日本最初の正規の訓練を受けた看護師(トレインドナース)の1人です。

大関和の功績

1  看護技術の向上や後輩看護師の育成に尽力しました

 看護師として働くだけでなく、知命堂病院(上越市西城町)の産婆看護婦養成所等では講師も務めました。

2 感染症対策と公衆衛生の普及に尽力しました

 コレラや赤痢などの感染症は、多くの人々の命を奪う恐ろしい病気でした。和は、看護学校で学んだナイチンゲール方式にもとづき、排せつ物の正しい処理、丁寧な清掃と換気、患者の身体や衣服を清潔にすることを徹底し、大きな成果をあげました。

3  看護師の仕事やその存在の重要性についての普及にも尽力しました

 『派出看護婦心得』や『実地看護法』を刊行するなど、著書の刊行や雑誌への寄稿を通して看護師の重要性や意義、看護の実践方法等について普及啓発を図りました。

大関和のあゆみ

 和は安政5年(1858年)4月11日、現在の栃木県大田原市に生まれました。

 明治14年(1881年)に上京し、英語習得のために正美英学塾に通うなかで知遇を得た植村正久牧師の勧めにより、同19年、桜井女学校附属看護婦養成所に入学し、その第一期生(鈴木雅など6人)の一人となりました。桜井女学校附属看護婦養成所は二年制で、後期の一年間は東京大学付属看護養成所で実地指導を受けています。この時、後に知命堂病院初代病院長となる瀬尾原始が養成所の講師を勤めていたため、二人は師弟関係でした。
 明治21年(1888年)10月26日に看護婦養成所を卒業した和は、そのまま帝国大学医科大学第一医院(現東大病院)の外科の看病婦取締(看護婦長)となりました。
 明治23年には退職の上、年末、新潟県の高田女学校舎監兼伝道師として同校へ赴任しています。
 そして、明治24年、東京大学付属看護養成所時代に師である瀬尾原始と高田のまちで偶然再会したことをきっかけに、和は知命堂病院の初代看護婦長となりました。知命堂病院の婦長時代には、近県に類を見ないといわれた近代病院において、瀬尾院長と共に、県下にさきがけて看護婦の養成を開始し、優秀な産婆看護婦を多く育成し、養成所の基礎を固めるなど大きな功績を残しました。
 また、当時流行していた赤痢に対し、感染症対策を徹底することで劇的な効果を上げたと伝わっています。

 その後、明治29年夏、東京に戻り、秋には東京看護婦会講習所講師となります。
 明治32年(1899年)6月には、自身の著書『派出看護婦心得』が刊行され、同34年には、東京看護婦会会頭に就任しています。明治40年10月には、病気療養のため那須湯本に逗留しており、この間、著書『実地看護法』の原稿執筆を開始するところとなりました。同書は翌明治41年4月、秀英社から刊行されています。

 和は明治42年(1909年)11月3日、大関看護婦会を設立し、大関看護婦講習所を開所しており、後進の育成と派出業務を通した実践活動に専念しました。さらに明治44年には、大日本看護婦協会東京組合長に就任となりました。晩年は、脳溢血で不随の2年間を病床で過ごし、昭和7年(1932年)5月22日、74歳で死去しました。

大関和の高田時代と知命堂病院

 明治23年10月、大関和は東京のキリスト教系の桜井女学校の分校である高田女学校に、舎監兼伝道師として赴任、伝導活動や廃娼運動を熱心に行いました。

 明治24年10月、知命堂病院初代病院長の瀬尾原始は岡山から高田へ帰って間もないある日、路上で大関和と偶然に再会しました。瀬尾原始は開院間近の病院にはかつて自分が指導し、共に働いた大関和に初代看護婦長になるようお願いし、大関和も桜井女学校の看護婦養成所時代から東京大学時代にかけて、恩義のある瀬尾原始の依頼に応え、高田女学校を退職し、知命堂病院で看護業務と看護婦養成業務に協力することになりました。

 明治24年11月29日、知命堂病院開院式が挙行され、大関和は格調高い祝辞を述べています。優秀な医療スタッフと婦長をそろえた知命堂病院の診療は順調で、明治25年5月には病院最初の施療患者の解剖も行っており、研究用の人体骨格標本も作られました。大関和は差し当たって医療に必要な、知命堂医院時代からの看病人や見習看護婦達に骨格標本をもとに解剖や教科教育を行ったようです。

 瀬尾原始は、明治27年4月に産婆看護婦養成所を創設し、本格的に養成事業を開始し、大関和も協力しました。明治29年3月、大関婦長は養成所第1回生を卒業させると、病院も養成所も軌道に乗ったこともあり、桜井女学校の恩師ツルー先生の看病のため知命堂病院を辞して東京へ帰りました。

(寄稿:医療法人 知命堂病院 森川 政嗣 理事長兼病院長)

瀬尾院長夫人と大関和(右)
大関和(写真右)と瀬尾医院長夫人
​(注意)画像は医療法人知命堂病院所蔵(無断転載禁止)

主な著書

『看護婦派出心得』(外部リンク)<外部リンク>​明治32年(1899年)刊行(国立国会図書館デジタルコレクションより)

『実地看護法』(外部リンク)<外部リンク>明治41年(1908年)刊行(国会図書館デジタルコレクションより)

大関和の出身地 栃木県大田原市について

大関和の出身地の栃木県大田原市については、下記ホームページをご覧ください。

大田原市ホームページ(外部リンク)<外部リンク>
​大田原市のホームページに遷移します

NHK連続テレビ小説「風、薫る」について

連続テレビ小説「風、薫る」については、下記NHKホームページをご覧ください。

NHKホームページ 連続テレビ小説「風、薫る」制作のお知らせ(外部リンク)<外部リンク>
​NHKのホームページに遷移します

このページに関するお問い合わせ先

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〒943-8601 新潟県上越市木田1-1-3電話:025-526-5111Fax:025-526-6111

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