昔から、鵜ノ池にはカッパ(すじんこ)が住んでいると言い伝えられていました。昔は、この鵜ノ池は近くの村々の子供にとっては、この上もない水泳ぎの場所でした。けれどもカッパが出るというので、大人の人は子供たちに
「いいか、池に泳ぎに行ってもいいが、決して沖へ出るなよ。沖の深い所にカッパが住んでいて、お尻の穴から肝をとられるぞ。」
と言って聞かせていました。こんな話をいつも聞いている子供たちは、浅瀬で泳いでいましたが、決して沖へ出て泳ごうとしませんでした。
村人たちの話では、カッパは人間の肝がないと生きていけないが、ふだんは鵜ノ池にたくさん生えている、じゅんさいを食べて生きているのだ、ということでした。
この鵜ノ池には馬洗いの場があり、農家の人たちは朝と夕方、馬の疲れを直すためこの馬洗い場へ馬を連れて行き、体を馬タワシでこすって洗ってやり、水浴をさせるのが常でした。
ある日の夕方でした。山鵜島の若者がこの馬洗い場に馬を連れて行き、一生懸命馬の体を洗ってやっていました。するとどうしたことか急に馬が騒ぎ出したのです。おかしいなあと思い、
「ドウ、ドウ、ドウ、ドウ」
と言いながら、馬を前に少し引いてみるとどうでしょう。馬の尾を一匹のカッパがしっかりと握ったまま姿を現しました。若者は勇気を出して、
「このやろう、ひでえやろうだ。うんといたい目にあわせてやろう。」
と言いながら、カッパを取って押さえ、カッパの頭についている皿をなぐって割ろうとしました。この皿を割られてしまえばカッパの命はありません。するとカッパは目に涙を浮かべて、
「どうか今度だけは勘弁してください。私は、この池に二度と現れません。」
と言いながら、何度も何度も頭を下げました。若者は、そのカッパの様子を見ているうちにかわいそうになりました。そこで、
「お前はこれからどうするのだ。」
と尋ねました。カッパは、
「ハイ、私は梶の大滝さん(旧旭村の大地主)の屋敷の西側に、倒れかかった大欅があります。そこに大きな穴がありますので、その穴の中へ入って暮らします。この木さえ切り倒さなければ、二度と出てきません。」
と言いました。そこで若者は、
「約束を守るんだぞ。もう二度と鵜ノ池へは出るなよ。」
と言って、カッパを放してやりました。カッパは、若者の方を振り向き振り向き、さもさも嬉しそうに梶の方へ走り去っていきました。そしてそれからというものは、鵜ノ池にカッパが出なくなりました。
昭和35(1960)年ごろまでは、梶の大滝さんの大欅がありましたが、いつの間にか切り倒されてしまいました。しかし、カッパは鵜ノ池に出ないばかりか、その消息は杳として分かりません。
(語り手 山鵜島新田 清水利明 昭和56年 71歳)
(出典:昭和63年5月30日発行 大潟町史)