下小船津浜の浄照院の、本堂に向かって左側にある薬師堂(瑠璃殿)には、身の丈3尺8寸(1m15cm)の、自然石で造られた座像の薬師如来様が安置されています。
この薬師如来様の姿は実に美しく、ここを参観する人は、暫くこの薬師様から目を離すことができず、ただじっと見とれるばかりです。ではこの薬師如来様については、どんな言い伝えがあるのでしょうか。
昔、昔、今の浄照院が明照寺と呼ばれていたころのことです。ある日、下小船津の1人の漁師が、「今日は沖へ魚を取りに出よう」と、海辺に出掛けていきました。
海辺に着いた漁師は、「オヤッ」と思いました。それは、波打ち際からいくらも離れていないところに、大きな石のかたまりが見えるのです。
「おかしいなあ、何だろうか。」
不思議に思った漁師が近づいてよく見ると、それは仏像のようでした。手で掘り出してみると、3尺以上もある、優しい顔の、手に薬壺を持った仏像でした。
「こんな立派なほとけ様を、こんなところに置いとくのはもったいないことだ。うちの寺へ持っていこう。」
こうつぶやいた漁師は、仲間を集めてみんなで力を合わせ、「エッサ」「エッサ」と、明照寺へ運び込みました。この漁師たちはみな明照寺の檀家だったのです。仏像を見られた明照寺の住職は、
「これは薬師如来様だ。本当に美しい姿をしておられる。是非うちの寺の宝物にしよう」
と言われ、本堂の1隅に安置されました。
時が移り、天明8年(1788年)に明照寺が浄照院とその名を改めました。その後、文久3年(1863年)、第8世恵雲和尚の時、瑠璃殿が新しく建てられ、ここに薬師如来様が安置されました。
この薬師如来様は、海の薬師様として漁民をはじめ、多くの人々に信仰されました。なぜなら、薬師如来様を拝むと、諸悪病に効きめがある上、お産する時苦しまずに子供を産むことができたり、また、子供の無い人は、子供を授かる効能があるからでした。
そのため、毎年9月8、9の両日にわたり薬師祭礼の法要が営まれ、大勢の人たちが瑠璃殿に参詣しました。そして、夜は境内で踊りが盛大に行われてきました。
けれども、昭和44年から農繁期の関係で、10月18日を薬師様の日として変更しましたが、毎月の祭礼は7日に営まれています。
薬師如来様を安置してある瑠璃殿も古くなりましたので、昭和53年10月8日、第16世住職倉橋量勇さんにより改築され、見事なお堂に生まれ変わりました。
そして今でも薬師如来様を1目拝もうと、浄照院へ足を運ぶ人はあとを断ちません。
(薬師如来様というのは略称で、正しくは薬師瑠璃光如来といいます。)
(語り手 下小船津浜 倉橋量男 昭和56年 67歳)
(出典:昭和63年5月30日発行 大潟町史)