昔、今の犀潟の部落は行野浜村と呼ばれていました。そのころの行野浜村は、今のようにたくさんの家がなく、わずか8戸足らずの家しかありませんでした。そのころの話です。
ある日、村の人が浜にたきぎを拾いに行きました。たきぎを拾いながら、ふと波打ち際を見ると、白く光っているものがありました。「何だろうか」と思いながら近寄ってよく見ると、お地蔵様が転がっているのでした。
多分、どこかの土地から流されて、ここまで来たのでしょう。これを見つけた村の人は、「これはもったいない」と思い、村の衆と相談して、そのお地蔵様を村の中心にまつることにしました。
そして、村の人たちはそのお地蔵様を”白山様”と呼ぶことにし、みんなで金を出し合い、1メートル四方の木造りのお堂を造り、高さ60尺ものほどの白山様を、その中に入れました。
そのころは、行野浜村をはじめ近くの村々には、1人の医者もいませんでした。ですから村人たちは、病気になると大変困りましたが、特に虫歯や歯の痛み、星のまわり合わせでなる”六三”(ロクサン)という病気には悩みました。
けれども、この白山様はこれらの病気を治してくれる、不思議な力を持っていました。人々は、自分の年の数分の石や、食べ物、お金などを白山様にあげて、一生懸命お祈りをすると、本当に治ってしまうのです。
ただ、ロクサンを治す方法だけは、虫歯や歯の痛みを治す方法と違いました。この場合は朝早く家を出ます。そして、何も持たずに白山様にお祈りをすることでした。けれども、その姿を人に見られると、今までのことが無駄になってしまい、お祈りもきかないということでした。
その後、時代の移り変わりとともに、村の人たちは海辺から、今の国道寄りの方へ家を移しました。海の近くは風当たりが激しく、砂が飛んで来て大変な日が多いからでした。その結果、白山様だけは松林の中に取り残され、お参りに来る人もだんだん少なくなってしまいました。
強い潮風のため木造りのお堂が、コンクリートのお堂に建て替えられました。
そして、この白山様には、1本の大きな松が高々と伸びており、いつも潮風に当たりながらも、この白山様を守ってくれています。
(語り手 犀潟 渡辺セン 昭和56年 76歳)
(出典:昭和63年5月30日発行 大潟町史)