昔、花が崎に1人の百姓のお爺さんが住んでいました。大変働き者で、毎日薪を作ることを仕事にしていました。
ところが気の毒なことに、商売の資本である鉈が全然切れなくなって、廃物になってしまいました。そこで、近所の物知りに聞いたところ、
「浜辺の村に、すごく腕利きの鍛冶屋がいるはずです。そこへ行って頼んでみなさい。きっと見事な鉈を作ってくれるから。」
と親切に教えてくれました。お爺さんは大変喜んで、早速浜辺の村へ行くことにしました。そのころ、浜辺の村へ行く道の半分は沼地で、あし や かや が生え茂り、人家もあそこに1軒ここに2軒というように、とても寂しくて、何となく薄気味の悪い所が多くありました。
けれども、お爺さんはそんなことには全く無頓着でした。今日は浜辺の村へ行くということで朝早く島村へ行って観音様にお詣りをして、「立派な切れ味の鉈が出来ますように」とお願いをし、それから道を急ぎようやく浜辺の村に着きました。それから少し歩いて、やっと目指す鍛冶屋にたどり着きました。
お爺さんは鍛冶屋に自分の来たわけを語り、
「是非お願いしたいので、遠い所を年寄りが精を出してやっと参りました。私は1人者であり、貧乏者でお金は全然持っていません。だからその代わり、あなたから鉈を作ってもらえるとなれば、その鉈を頂く日まで、毎日、薪をひと背負いずつ必ず持って参ります。ついでにできますならば、鉈の頭に玉を付けてもらいたいのですがどうでしょうか。」
と話したところ、
「よろしゅうございます。玉も間違いなく付けて差し上げましょう。」
と、相談がまとまったので、お爺さんは大変喜んで、威勢よく家に帰りました。そして翌日からお爺さんは、約束をよく守って毎日鍛冶屋へ薪を運びました。そして観音様へは行きも帰りも必ずお詣りをして、「見事な鉈が出来ますように」とお祈りをしました。
一方浜辺の鍛冶屋は、どうしたことか、一生懸命いい鉈を作ろうとすればするほど、思うようには出来ません。しまいにはいやになって一向に作ろうとしなくなってしまいました。家の裏にはお爺さんが「セッセ、セッセ」と運んだ薪が山のように積まれています。
数日後のある日のこと、いつものようにお爺さんは、薪を背負って来て店の前に降ろして帰っていきました。そのお爺さんの後ろ姿を見た鍛冶屋のおかみさんは、お爺さんが気の毒になって泣きながら、
「おまえさん、早く鉈を作ってやってください。」
と、切々と頼みました。おかみさんにこうまで言われてはと、それから鍛冶屋は体を冷水で洗い、すぐ仕事場に飛び込み、一心不乱に鉈作りに熱中しました。するとどうでしょう。今度はどうしたことか、数日で注文どおりの鉈が、殊のほか見事に出来上がったのです。
これを見ておかみさんは大変喜びました。そして早速出来上がった鉈を神棚に上げ、御神酒も上げてお爺さんの来るのを待っていました。
ちょうどそこへ、例のごとく薪を背負ったお爺さんが、今日もまた元気よく入って来ました。鍛冶屋は、
「ああよかった。今神様へお供えして御神酒をあげたばかりです。さあさあ、上がってください。」
と、お爺さんを抱きかかえるようにして、家の中に入りました。お爺さんの喜びと感激は大変です。それからみんなでお祝い酒をいただき、めでたく新しい鉈をもらってお爺さんは家に帰りました。
帰る途中お爺さんは、お堂に参り、今日出来た鉈を観音様にお供えして、
「観音様の御加護で、こんなに立派に出来ました。本当にありがとうございました。」
とお礼を申し上げ、いよいよ帰路につきました。
ところがどうしたことか、沼地のあたりへ来たころから、無性に眠くなり、とうとう前後分からず草むらの中に、ごろりと眠ってしまいました。
それから幾時間たったのか、ひどく血なまぐさい変な水が自分の体を包むようなので、お爺さんは、自然に眠りからさめました。夜中なので、星明りにすかしてみて驚きました。それは見たことも聞いたこともない大きな蜘蛛が、お爺さんの鉈でズタズタに切られ、のたうちまわり苦しんでいるではありませんか。お爺さんはびっくりして、
「ああ、ありがたい。もったいない。これは観音様が私を助けてくださったのだ。ほんとうにありがたい。」
と言いながら観音様に小戻りしました。そうしてまた観音様にお詣りをし、改めて御礼を申し上げましたが、とうとうお堂で1晩厄介になってしまいました。
お爺さんは、翌朝早々元気よく花が崎に帰りました。そして、早速新しい鉈を神棚にお供え申し上げ、
「どうぞこの新しい鉈で、今までのように仕事ができますように。」
とお祈りをいたしました。
(潟町 石井乙麿 「遺稿集」より)
(出典:昭和63年5月30日発行 大潟町史)