城主は直江兼続の父 樋口惣右衛門兼豊(ひぐちそうえもんかねとよ)
上杉謙信奉納の灯篭(左) / 直峰城跡から出土した鍔(つば)(右) (2枚の写真は、安塚町史から)
上越地域振興局:上越妙高 山城マップ「上越・妙高の山城」(直峰城跡)(外部リンク)<外部リンク>
毎年5月8日、風間信濃守の遺徳を称えて、地元「直峰保存会」の皆さんが祭を開催します。
直江兼続公の実父(樋口惣右衛門兼豊)が城主 上杉謙信公の関東遠征の重要拠点
直峰城は、築城時期は不明ですが、南北朝時代(1335年~1392年)、南朝方の雄将風間信濃守信昭公(かざましなののかみのぶあきこう)の居城でした。中世の典型的な山城で、標高344m、自然の地形を巧みに利用して作られた堅固なものです。
上杉謙信公の時代には、春日山城から関東へ抜ける要衡であり、謙信公は関東遠征の際、1泊目の宿泊地にしたとも伝えられています。
謙信公が49歳でこの世を去ると、養子の景勝と景虎が跡目を争った「御館の乱」が起こり、春日山城・直峰城を押さえた景勝が勝利しました。景勝は、大河ドラマ「天地人」の主人公直江兼続(なおえかねつぐ)の実父の樋口惣右衛門兼豊(ひぐちそうえもんかねとよ)を天正12年(1584年)御館の乱の功績により、直峰城主としました。
慶長3年(1598年)、豊臣秀吉の命で、上杉家は会津移封、その移封に従い樋口惣右衛門兼豊も同行しました。息子の兼続は米沢も治めることになり、米沢には最近まで「直峰町」と呼ばれる町名がありました。
直峰城は、徳川時代になり、廃城となりましたが、今も大規模な空堀・曲輪の跡、2kmに及ぶ敷石の道(旧三国街道)などが残り、樹齢800年といわれている大ケヤキが歴史の流れを伝えています。
春日山城主、上杉氏の祈願所として名高い寺です。
直峰城主の菩提寺。吉田周防守英忠公の創建で、多くの寺宝を有しています。
建御名方命と直峰城主風間信濃守を祭神しています。4月27日には、神輿がくりだし「安塚の春まつり」として親しまれています。
市の景観形成地区に指定された安塚区内は花が多く、最寄り駅からゆっくり散策する場合に最適。10月10日前後柳葉ひまわりは120万本開花。また、城山周辺では、4月カタクリや5月ヤマブキの群生が見事です。
柳葉ひまわり
カタクリ