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現在地トップページ > 組織でさがす > 公文書センター > 関東大震災から100年 上越から送られた支援物資

関東大震災から100年 上越から送られた支援物資

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印刷用ページを表示する 掲載日:2023年12月22日更新

内閣府の関東大震災100年共通ロゴマーク(画像) 

 1923年(大正12年)9月1日11時58分、神奈川県西部を震源とするマグニチュード7.9と推定される巨大地震が発生しました。

 死者・行方不明者約10万5千人、全半潰・焼失・流出・埋没の被害を受けた住家は37万棟にのぼりました。関東大震災です。2023年(令和5年)は、近代日本の災害対策の起点となった関東大震災の発生から100年の節目の年となります。

 今回の展示では、高田での地震のようすや、関東大震災の被害状況、そして、被災地への支援物資がどのように集められ、送られたのか、公文書センターが所蔵する資料を中心に紹介します。

高田は震度3を観測 高田測候所の地震計

 関東大震災は、関東地方の埼玉県、千葉県、東京府(当時)、神奈川県、山梨県で震度6を観測したほか、北海道道南から中国・四国地方にかけての広い範囲で震度5から震度1を観測しています。上越では、当時の高田測候所で「震度3」を観測しました。

 高田測候所は、1921年(大正10年)の12月27日に開設され、翌年1月10日から気象観測が開始されました。同年2月10日には、中村式簡単微動計による地震観測がはじめられ、その翌年の1923年(大正12年)には、大地震を観測できる今村式二倍強震計が導入されました。そして、9月1日の朝から正式な観測がスタートしました。

 まさに観測初日のその朝、関東大震災が起こったのです。高田測候所に設置された地震計の記録紙には、地震の揺れが大きな波形となって記録されています。図1 高田測候所における地震の揺れの記録 [PDFファイル/693KB]

関東大震災の被害状況

 ​テレビもない、ラジオもない、ましてやインターネットなど普及していない大正12年当時。人々が情報を入手する手段として、新聞がありました。上越でも、9月3日付けの高田日報朝刊は「全市の三分の二は焦土 戒厳令下の東京市」との見出しを掲げ、東京から逃れてきた東京日日(にちにち)新聞の記者の話として「南千住から下谷日本橋方面は一面の火の海と化し深川など全焼してしまつたであらうなどと伝えています。大正12年9月3日付け 高田日報朝刊 [PDFファイル/404KB]

 震災発生から2週間後の9月15日には、報知新聞編輯局が「大正大震災写真帖」を発行し、被害の甚大さを伝えています。

大震災写真帖表紙(写真)
大正大震災写真帖 表紙

 また、情報を入手する他の手段としては「絵葉書」がありました。新聞ほどの速報性はなかったですが、写真で被害状況を伝える安価な媒体として数多く発行されました。

上野停車の惨状を伝える絵葉書(画像)
上野停車の惨状

銀座尾張町裏通の惨状を伝える絵葉書(画像)
銀座尾張町裏通

被災者支援始まる 新潟からはまず米

政府の動き

 大地震の翌日2日、政府は午前9時から内閣臨時閣議を開き、当面の対処方針を決定しました。これにより、被災者の救済に必要な食糧等を、内務大臣が必要に応じて非常徴発(臨時に集める)することが可能となり、早速、9月4日付けで、新潟県に非常徴発令が適用されました。

大正12年9月7日付け 高田新聞(画像)
大正12年9月7日付け 高田新聞夕刊

新潟県の動き

 新潟県では、非常徴発令の適用を待つまでもなく、被災者支援物資として米5万石(米の量の単位。1石(こく)は約150kg)を東京方面へ輸送する目標を立てました。県内の各郡・市への割当てを決め、9月3日午前2時、中頸城郡へ5千石を割当てる指令を発しています。大正12年9月5日付け 高田日報朝刊 [PDFファイル/453KB]

中頸城郡の動き

 (なかくびきぐん、郡は当時の行政機構の一組織です)

 中頸城郡では、割当て5千石のうち、1千2百石は大地主などから提供を受け、残る3千8百石を町村で負担する方針をたて、9月6日午後、町村長会議を開催して、各町村への割当てなどを正式に決定しました。

吉川村大字河沢(こうぞう)からは8石の米

 公文書センターが所蔵する資料のひとつに「大正拾弐年九月一日惨事 関東地方大震災事件書綴」があります。当時の新潟県中頸城郡吉川村(現在の上越市吉川区)河沢集落で、関東大震災発生から翌年5月までの震災に関連する出来事や書類を、集落の代表であった区長が記録・整理して綴ったもので、他に類例が少ない貴重な資料です。この資料から、中頸城郡の町村長会議開催後の吉川村や大字河沢集落での災害支援の動きを紹介します。

大字河沢資料表紙写真
大正拾弐年九月一日惨事   関東地方大震災事件書綴 大字河澤 表紙

吉川村の動き

 郡での町村長会議を受け、吉川村では、9月9日午後1時から区長会議を開催し、支援策が話し合われました。特に米の供出については、村への割当て200石をさらに大字(集落)ごとに割り振った割当表が配られました。吉川村 米集落割当表 [PDFファイル/705KB]

大字河沢集落の動き 集落内会議の開催

 河沢集落への割当ては8石でした。9月10日午前に集会を開催し、割り当てられた8石の各家への割振り、米の集荷や計量方法、集まった米を柿崎倉庫へ運搬することなどについて協議と確認を行いました。 河沢集落会議録 [PDFファイル/560KB]

 資料に綴られた、米を集荷した際に作成した調書や、9月12日に柿崎へ米を届けた際の受領書から、短い期間の中で支援物資である米を供出したことがわかります。米集荷調書 [PDFファイル/628KB] 受領書 [PDFファイル/331KB]

 このように、各集落から柿崎の倉庫に集められた米は、吉川村分としてまとめられ、鉄道輸送で東京へ送られました。大正12年10月10日付け 高田日報朝刊 [PDFファイル/298KB]

図2 関東大震災発生後の米送付要請のまとめ [PDFファイル/227KB]

鉄道を利用した支援物資の輸送

直江津町役場資料表紙(写真)
大正十二年 京濱大震災救済書類 直江津町歴史公文書:行政の記録として、関東大震災に特化して綴ってあるもの

 吉川村大字河沢のように、県や中頸城郡から割当てがあった米のほか、善意で集まった野菜や味噌、漬物など、上越地域からはさまざまな支援物資が送られました。この際利用されたのは、当時すでに全線開通していた信越本線を利用した鉄道輸送でした。

 新潟県では、被災地に県の出張所を設け、県内各地から支援物資を東京方面へ送る際のルールを定めて通知しました。 

駅通知(表紙)画像県通知(内容)画像 駅通知3
 救恤品輸送二関スル件   (大正12年9月11日付け各停車場出張輸送係員あて 新潟縣救恤品輸送係長名通知)

 救恤品(きゅうじゅつひん:支援物資のこと)輸送の取扱い方法を定めたことの周知
 救恤品輸送宛名及び着駅について、宛名は臨時震災救護事務局、着駅は田端駅とすること
 貨物送り状には、品目、数量、初発駅、貨車番号等を記載し、田端第一小学校内新潟縣救護事務所あて急送すること
 貨車の見やすい場所に札を付けること など (京濱大震災救済書類より)

 支援物資は、最寄りの鉄道駅(停車場)から送ることとされ、直江津駅は直江津町助役、柿崎駅は柿崎村長、郷津駅は春日村長、黒井駅は中頸城郡書記というように、各町村の長等がそれぞれ最寄り駅の物資受領係員に任命されています。図3 支援物資最寄停車場に於ける受領係員 [PDFファイル/253KB]

直江津駅に集約された近隣の支援物資

 直江津駅からは、地元直江津町でまとめられた支援物資のほか、近隣の諏訪村、保倉村、有田村などの支援物資も送られていることが、資料からわかります。

有田村物資発送報告書(画像)
有田村発送報告

 直江津町物資貨送状1枚目(画像) 直江津町物資貨送状2枚目(画像)
 新潟縣救恤品貨物送状(報告) (大正12年9月15日付け 新潟縣内務部輸送係あて)

 直江津駅 新潟縣救恤品輸送係 直江津町助役名通知
 白米77俵、味噌大樽入6個などの送付報告
 着駅 東北線田端駅 初発駅 信越線直江津駅 貨車番号 ワム 23,837号
 新潟県通知のルールに沿って送り状記載 (京濱大震災救済書類より)

表1 直江津駅からの発送記録(一部) [PDFファイル/238KB]

佐渡からも直江津駅を経由、東京へ

 佐渡郡(現在の佐渡市)からも支援物資が東京方面へ送られましたが、中継地のひとつとなったのが、直江津駅でした。佐渡郡内の各町村でまとめられた支援物資の一部は、小木港へ集められ、海路で直江津港へと運ばれました。そして、直江津駅から、直江津町や近隣町村から集められた支援物資とともに、鉄道貨物として東京方面へ送られました。

佐渡送荷案内書類(画像)
佐渡郡相川町送荷案内  京濱大震災救済書類より

表2 佐渡からの発送記録(一部) [PDFファイル/204KB]

支援物資の輸送経路

 当時、長岡・高崎間の上越線が開通していなかったため、新潟県から東京方面への輸送は、主に信越本線の鉄道貨物が利用されました。

図4 関東大震災発生(大正12年)当時の鉄道等の状況 [PDFファイル/444KB]

直江津駅構内の写真 直江津町歴史公文書

直江津駅構内の様子(アルバム写真) 在職記念写真
写真アルバム「昭和八年拾二月 在職記念寫眞帖 信越線直江津驛」に綴られている写真のうちの一枚

昭和8年当時のもの。直江津駅の駅舎やホーム、貨車、線路の状況等がわかる写真

このページに関するお問い合わせ先

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〒943-8601 新潟県上越市木田1-1-3電話:025-526-5111Fax:025-526-6111

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