オーストラリア・ニューサウスウェールズ州カウラ市には、第2次世界大戦時、捕虜収容所が置かれていました。同様に、上越市にも捕虜収容所があり、オーストラリア人をはじめとする大勢の兵士が亡くなった歴史があることから、平和を願う両市民の交流をきっかけに、平成15年10月、両市は「平和友好交流意向書」に調印しました。
カウラ市の捕虜収容所では、日本兵が集団脱走をはかり日本やオーストラリアの兵士が大勢亡くなりました。カウラ市は日本人戦没者を手厚く葬り、慰霊していることから、「日豪友好礎のまち」と言われています。
上越市もまた、直江津捕虜収容所跡地に平和記念公園を整備し、「非核平和友好都市」を宣言するなど平和と友好を築くための取組みを進めています。
平成26年4月には、カウラ市長をはじめとする訪問団を迎え、直江津小学校での平和学習会や平和友好交流10周年の記念植樹を行いました。
令和元年8月には、上越市長が上越日豪協会の代表者とともにカウラ市を訪問し、今後の両市の交流事業について意見交換を行うとともに、「75周年記念カウラ捕虜収容所日本兵集団脱走事件慰霊式典」に出席しました。
また、令和5年8月には、平和友好交流意向書調印から20年を記念して、上越市長が上越日豪協会の代表者とともにカウラ市を訪問し、「79回カウラ捕虜収容所日本兵集団脱走事件慰霊式典」に出席したほか、記念植樹を行いました。
人口:12,500人
面積:約2,752キロ平方メートル
産業・経済:遊牧(主に羊)、農業、ワイン
位置:シドニーから西に約320km
第2次世界大戦当時、カウラ市に捕虜収容所が設置されました。収容されていた日本人兵士が脱走を企て、200人以上がなくなるという悲劇が起こった場所です。現在は牧羊場になっていますが、当時の悲劇的な脱走に関する写真や文章が展示されています。
捕虜収容所跡地
市民有志による、日豪関係修復の機運が高まりとともに、両国永遠の平和と友好のシンボルとして、日本庭園の建設が計画され、日豪両国政府、民間企業等からの資金援助や多くのカウラ市民の惜しみない協力により完成しました。 園内には、茶室、梵鐘、実演も兼ねた陶器製作所、あずまや、藤棚、盆栽鑑賞室などがあり、様々な趣向の水の風景も楽しめます。また、枯山水も見られる中庭や畳の部屋などを備えた江戸様式の建物も見学できます。
日本庭園
全長5kmにもわたるサクラの並木が立っており、カウラ戦没者墓地におけるオーストラリア人と日本人の両者の区域と、捕虜収容所跡地、日本庭園、文化センターを結んでいます。1988年(昭和63年)、カウラを美しくするだけでなく、カウラと日本の文化関係を強調し、国際理解を中心にすえていこうというカウラの信念を表すことを目的として、初めてサクラの木がこの通りに植えられました。それ以来、何百本ものサクラの木が、個人や学校、団体、日豪両国の組織によって寄付されてきました。サクラ通りは将来にわたる友情を築くために過去が大切であることを象徴しています。
サクラ通り
市民が日本に限らず全世界の人々の平和を願い国際理解を育み努力してきたことから、ユニセフから世界平和貢献都市として平和の鐘が贈られ、市民広場に平和の象徴として飾られています。
平和の鐘
カウラ日本人戦没者墓地にはカウラ集団脱走やダーウィン襲撃の際に戦没した日本兵、そしてオーストラリア各地で拘留中、及び他の収容所で収容中に死亡した日本人の遺骨が納められています。隣にはカウラ戦没者墓地があり、オーストラリア戦没者墓地管理委員会が両墓地の管理にあたっています。
日本人戦没者墓地
捕虜収容所跡地での献花
オーストラリア人戦争墓地での献花
日本人戦争墓地での献花
記念植樹