ようこそ 上越市安塚区へ
安塚区は、長野県と境を接する新潟県の南西部に位置し、新潟市から南西に130km、上越市の直江津駅から東に20kmのところにあります。標高60~450メートルに28の集落が点在する純農村地帯で、日本海特有の重たい雪が平地で2メートル、山間部の集落で4メートルも積もる豪雪地帯でもあります。
写真:菱ヶ岳とスキー場キューピットバレイ
区内には縄文時代の遺跡が存在しており、その時代から人が住んでいたと考えられます。また、区の中心地にある「城山」の山頂にはかつて「直峰城」があり、南北朝の動乱時代から江戸時代初期まで山城として使われていました。戦国時代は関東へ続く三国街道の軍事的重要地となっており、上杉謙信公の出城として使われ、上杉景勝公の家臣である、直江兼続の父、樋口惣右衛門兼豊が城主となった時代もありました。このような歴史的背景もあり、明治以降には東頸城郡役所が設置され、この地方の中心地として大きな役割を果たしてきました。
その後、安塚村の一部と、菱里村、小黒村の三村合併を経て、昭和30年8月1日に安塚町となりました。当時は約1万人が生活していましたが、高度成長時代のあおりを受け、また山間豪雪地という条件もあいまって、人口流出が続きました。しかし、生活の重荷であった雪を逆手にとり、日本で初めて雪そのものを商品化した「雪の宅配便」、空き家を売り出した「田舎売ります」、そして東京に450tもの雪を運びこんだ「サヨナラ後楽園球場スノーフェスティバル」で、全国的に一躍注目を浴びました。昭和63年には、主峰・菱ケ岳山麓を中心に国のリゾート特定地区の指定を受け、平成2年にはスキー場「キューピットバレイ」がオープンしました。続いて、平成4年には温浴施設菱ケ岳・ゆきだるま温泉「雪の湯」がオープンし、これらを起爆剤に観光振興を進め、年間45万人が訪れた年もありました。
町づくりの特徴は、雪と緑と人を活かした全町公園の考えに基づいた「雪国文化村構想」にあり、景観条例の制定や、四季折々の花が町を彩る住民参加のフラワーロード、環境に配慮した雪冷房の導入など、少しづつ今につながる安塚の町が形づくられてきました。そして平成17年に上越市と合併し、新しく上越市安塚区が誕生しました。詳しくは、「なるほど安塚(やすづかのあゆみ)」をご覧ください。
現在、少子高齢化の影響も大きく、区内の人口は平成22年の国勢調査で2,878人、平成27年調査時には2,491人となりました。人口が減少する中、住民や自治組織が一丸となって協力し、秋の花であるヤナギバヒマワリが見ごろを迎える頃には、「花ときのこの秋祭り」や「棚田カフェ」が開催され、冬の一大イベント「灯火の回廊(安塚キャンドルロード)」では、区内各所で雪像やキャンドルのイルミネーションが灯されるなど、安塚区を盛り上げています。また、越後田舎体験の受け入れにより、作り上げてきた景観や自然を生かし、都会と地域の交流に力を入れ、安塚地域への愛着や魅力を感じてもらえるまちづくりに取り組んでいます。
安塚区は四季がはっきりしていて、南北に細長く、南へ行くほど標高が高いので、春の訪れは平野部に近い北の方から始まり、冬は南の菱ヶ岳麗からやってきます。春夏秋冬それぞれに、美しい自然を感じられるスポットがあります。
安塚区の中央を流れる小黒川沿いの遊歩道に桜が咲き誇ります。約6キロメートル続く桜の並木道は圧巻です。
リバーサイドロードの桜(撮影4月下旬)
新緑の緑から一層濃くなった美しい山々を見ることができます。菱ヶ岳の山頂からは区内を一望できます。
菱ヶ岳山頂からの景色(撮影6月)
ヤナギバヒマワリが見ごろを迎え、区内の各地で鮮やかな黄色い花を見ることができます。
安塚中学校脇のヤナギバヒマワリの群生地(撮影10月上旬)
雪を利用したイベント「灯火の回廊」。区内の道路沿いを中心に、多くの雪像と雪灯ろうが連なる道は幻想的で、かつ温かみのあるキャンドルの光に癒されます。
灯火の回廊(撮影2月)
安塚のイメージキャラクターは「雪だるま」。雪だるまをモチーフにした街頭や雪だるまが描かれた案内看板など、お越しの際は区内の雪だるま探しなどもいかがでしょうか。
こんな小さなまちのなかでも言葉が違うなんて、不思議ですね。
詳しくは、「なるほど安塚(方言マップ)」をご覧ください。
安塚区では、「NPO雪のふるさと安塚」(外部リンク)<外部リンク>などを中心に各種の交流イベント、交流施設計画、雪の文化の発信などを行っています。また、雪のふるさと安塚を広く全国にアピールしています。